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イザ!イナゴ団奮戦記!
2011.2.12 いなご団 坪井川を行く
作者 hayama   
2011/02/12 土曜日 20:26:08 JST

 

2011年2月10日木曜日うすばれ後くもり

坪井川謎の領域〜都市の裏側を旅する

登場人物;ぼく(イナゴ団: レッド)
;田中こうじ(イナゴ団:イエロー)

06:30坪井川の上流、八景水谷公園。

イエロー田中こうじのジムニーは最適と思われる出航ポイントにすでに到着していた。

きょうの作戦はぼくとイエローのコンビだ。

浅い、いかにも浅い冬の坪井川でも特にこれだけ渇水に近い状況である。水深20センチのカヤック限界水位の世界。

そんなときにいかにも酔狂な行動ではあろう。しかし知るべきことを知ろうという気持ちがぼくにはあった。

下水道探検をする少年の気持ちに近い。

ようやくあけ始めた水面には朝霧が発生している。

胸までのウエーダー、長ズボン、ヒートテック、靴下を二枚重ね。

長袖のtシャツにカシミヤの襟無しのセーター、古い寝間着を利用したアウター。

いつものカーキ色のひも付きハット。防寒というより怪我に供えて手にぴったりとつく青いゴム手袋。

フネはリキッドロジックのセッション+(2.4m)イエロー田中もにたような格好だ。

ただしフネは4m60ほどのアクアテラ。

ライニングに備え、ロープをナイフで1.2mに切り、イエローに渡す。

 

ざぶりと水に入り、出発。

水は意外に透明度がある。がすぐにがささと底ずり。

以後、底ずり大会である。

イナゴ団ブラック石塚からは昨夜、情報がきていた。ぼくらの計画に呼応し夜中にスカウティングしてくれたらしい。

あまりにも水が少なく、危険度が高いポイントを指摘してあった。

清水スバル裏には障害物の多い若干の瀬。

ぼくはリキッドロジックの上に両足を投げ出してこぐ、「リュージュ型」の乗りかたをしていた。

何か有ればスバヤくおりてすばやく乗るための工夫である。

通常の下半身をなかば艇の密着させる方式はこの場合不可だ。

もしそれでフリップしたら日向であおむけにさせられたカメのように肩上を水中に、

カヤックと下半身を空中にさらしてじたばたともがかなければならない。

 鴨の子育てシーズンででもあるのか家族で鴨が浮いている。

幹線道路をくぐると、しばらく田園風景が続く。

 

 土手上を通る自転車。走る人。相変わらず底ずり。

ひんぱんにライニングをやる必要が出てくる。川辺の蘆。川面のあぶく。水のニオイ。

熊本城が見えてくる。橋の下の住居。

 

やがて打越から住宅街にはいる。空が狭くなった。

 

コンクリートの護岸が川を押さえ込むように覆いかぶさって両側に立ちはだかるからだ。

廃屋。それぞれ違う時代に補修されたパッチワークのようなコンクリート、さらに上のフェンス。小学生3人に発見される。

「なにやってるんですか?」

「おはよう!調査!」

壷川小学校の生徒だった。

 

イエロー田中がなにか適当な調査内容をいっている。

「おじちゃんたちはね、チョーサしてるんだよ、ごみがどれくらいあるかとか、、、」

先生に言いつけられないようにという考えかもしれない。たしかに不審者として通報される可能性は高い。

『調査』といっとくと一応そこらへんはクリアできるはずだ。

 ためしに夜警官の職務質問にあったら「チョーサ」といってみるが良い。

警官の眼鏡の奥がきらっと光り

なんの調査かもっと詳しく話を聞かせて下さいーとなるであろう。

こうしてみるとこの川は単なる側溝だということがわかる、自然の土手や河原はこの辺から先一切残っていない。

雨水や生活用水の単なる排水のための人工的な溝なのである。

 

そして都市の裏側である。

左岸の頭上4メートルを女子高生が数名通る。

「おはよう。」

「おはようございます。」と礼儀正しい。

「どこからきたんですか?」

「はけみやだよ。」

「県外ですか?」しらないのかな八景水谷。

笑顔で見送ってくれる上品なおばさま。

ぼくらは流れ去り彼らとは逆行する。

宮本武蔵旧居近辺にかなり段差のある堰。ここが最大の危険箇所であった。

 

 

08:40市役所を過ぎると少しこぎれいな印象が出てくるが熊本駅までの川面からの風景は、疲れはてたた女が

化粧をおとして朝の光に素顔をさらしたような、赤裸裸な情景が連綿とつながっている。

それは作為的な、意図がまったくない正直なハダカの映像だ。見られることを意識していないというか。

 そして目に入るもので真新しいものなど何一つない。

古いトタン、傾いた窓枠、錆びた軽量鉄骨、おざなりのブロック塀、

今はあまり見ることのない木枠のガラス窓に葉の落ちたカキの老木。でこぼこで無秩序な空間のつながり。

 四六時中汚水をしみ出させる苔むしたパイプ。水中には分厚くどろをかぶった水草が窒息寸前だ。

 われわれはこの地下とほぼ同等の意味しかもたないであろう坪井川の水面に漂い都市の裏側を仔細に眺めた。

 錦鯉が肥大した胴体をもてあますように水中にたゆたっている。

 

「ちょっとあがって自販機でもさがそう。」とフネをとめコンクリの急な階段をのぼろうとすると

 

突如「じょろじょろじよろ」と階段わきのコンクリから突き出たパイプから米の混じった水。

 

「台所直結式」の排水だ。水の落下ポイントには米や食べ物の残さがある。

 鯉たちはそれを食べて巨大化しているのだ。

またかれらは非常に鈍感でぼくらのパドルがあたってはじめて気づいてあわてふためいて逃げる。

いわば池の鯉以下に「家畜化」された鯉だ。

 新町から熊本駅までは非常に近い印象だった。古い市場の建物裏面がさびしくそのかおを

 

さらしている。

 坪井川沿いには多くの人が住む。建築物に囲まれた谷底のような水面から見上げて

「ああここの事務所には○○くんがいるな」とか「そうだ○○に電話したら橋の上からおやつでも差し入れてくれないかな」と思う。

 知人のマンションの下にいることに気づいたので電話しようと思うがやめる。

おそらくはまだ温かいベッドにいるであろうから。

 

原付バイクが丸ごと水中に半身を埋めている。

橋の上をくるま、押し車のおばあさんが通る。

通勤通学時間でもあり、都市の日常時間を生きている人々にとっては

川の上をいくわれわれなど気づくはずもなく、

われわれもどちらかというと押し黙って

 

ときにがさがさと底をすりつつ流れにしたがうのであった。

それはまるで違う二つのチャンネルを生きているのと同じことなのだ。

 熊本駅近辺はさらに殺風景の度合いを増す。

工事現場のクレーンが川岸から立ち上がり橋の建設をおこなっている。

新幹線開通にむけてのことだろう。

 

その橋からしたしたと落ちてくる水をさけながら暗い橋梁を通過する。

あいかわらずずごごと時々乗り上げる。その衝撃でふとももをフネのコーミングが何度も打ち、痛い。

やっと空が広くなってきた。ボラが出てきた。

「海の魚がいるよ。」

 

「へー」

しゅばっと音を立ててイエロー田中の前をボラが飛んで横切る。

 

本日の到達点は熊本市西部を流れるもう一本の2級河川「井芹川」とこの坪井川の合流地点であった。

三つ又になった三角州のはじに小さな家があり、2fの物干し場から女がひとりほおづえをついてこちらをみている。

 

適当な階段付きのコンクリ護岸の岸辺にあがる。バス停を探しにいってもどってくるとイエローは

お湯をわかしてくれていた。

海まではもう数キロ。

丁度潮が満ちてくるときで川が逆流をはじめている。あぶくまじりの水がじわじわと寄せてくるのが肉眼ではっきりわかる。

「結構流れが速いですね。」

フネを安全な場所まで揚げる必要があった。

 

コンクリの堤を越えるとすぐそこに往復1車線のバス道路があった。バスの時間が迫っていた。

コーヒータイムは中止してバスを待つ。

 手にはパドルと川水のしみた服。異様な風体である。

「交通センターいき」のバスは10:50の定刻を5分過ぎてやってきた。

 

午後にはまちなかに引き上げ、ボクとイエローはラジオに出てガラス張りのスタジオで今日の出来事を少し話した。

終了後なにも食べず飲んでいなかったぼくらは食堂にはいり、テンプラそばとおにぎり、カツ丼などを食べた。

 

その後ひとりになりスーツに着替えたボクはいつものようにアーケードを歩いた。

 いつものように交差点で信号を待つボクの中にはほんの数時間のことではあったが

今日たどった川の風景が根をおろしていた。

川が気になるのである。

 それは繰り返す夢魔のように写実的、かつ抑圧的な都市の積層のどこか下の層が刷り込まれたような感じがして、

はやくいえば川が自分の肉体になったかのような感覚があったのだ。

信号が青になったのでぼくは歩き始めたが周囲のひとびとに問いたかった。

「そこに川がながれているのを知ってますか?」と。

今ボクらがわたるコンクリートと鉄とアスファルトで固めた道からほんの100mちょいのところにそれはある。

空には雲が多く、どんよりとした冬の午後、

ひとびとの波はそれこそ川のように流れていくのである。

                    完

 

 

後記

夜になり雨がふった。

都市部での川は河口部も含めて排水用の管なのである。それは荒廃地であり。

裏側であり、見向きされない、生活からは切り離された場所だ。

いけばわかるがもっとも短距離で土地と土地をつないでいるのが川だ。

道としての川が最初のはじまりであったためであろう。川がいろいろなものを結びつけていたメディアだった。

 車社会が捨てたものは大きい。

川がつないでいた人とものの交流、生活そのものは全て断ち切られ、

zみなそういうものがあったということを忘れてしまった。ひどい場合は上からコンクリートをかぶせ疎外してしまった。

同時に考えを広げれば、水道を地下にうめ,下水道を地下に隠し、電気もガスも地中化し、ゴミは埋め立て、

核燃料廃棄物も地下にうめ、隠匿という強迫観念の権化が現代社会だ。流通経路もわからず、

肉のパックを買うぼくらはその牛や豚がだれかによって殺されたことを自動的に意識からシャットアウトしている。

一種の自己催眠的隠匿の習性だ。このしゃばにリアルなものはなにもないというのが坪井川の機能のない空洞のような、

乾きかけた血管のような流れからのバイブレーションではないか。

 ある側面として事実を隠匿、空洞化したものとして体験することが現代における便利性ともいえる

(貨幣というものの本質は全て自分の代わりにだれかがやってくれたということの「お代」になるものなのだ)

がそうではなく時間と空間を肉体化する経験が必要だ。

自分の目で見る、聞く、考える、表だけでなく裏も上下も見る。必要な時間をかける、

そういうことを含めてカヤックはいい道具になるんだと思う。

文中にも述べたが地上での都市生活はひとつの時間感覚で統一されている。

それはそういう周波数のチャンネルでテレビジョンを見ているのと同じなのだ。

しかし周波数をかえれば別のチャンネルがある。マルチチャンネルなのだ。

 ひとつのチャンネルに支配されている自分をみるには違うチャンネルにはいらなければならない。

それは客観視の契機だ。

 

 
2010.9.11 イナゴ団上甑なり
作者 hayama   
2010/09/12 日曜日 02:19:43 JST

 

上甑

2010年9月4、5日

深夜前、目の前の暗い砂浜にはカヤッ ク、空には星がこぼれるほどある。

風が後方東のほうより音を立てて吹い てくるが里村の低く這うような家並みや防風林、標高数百メートルの遠目木山などの

おかげでぼくのいるところは不思議なほど静かだ。

海の彼方数10キロのところで巨大 な雲全体が光った。音は聞こえない。そのすぐ上には北斗七星が見える。

 

 夕方、東シナ海から九州にむけて不 穏な積乱雲が立ち上がり落日と同時に稲妻をきらめかせているのが見え始め、

終夜それは消える事はなかった。

 ごうと頭上をいく風の音、また音の しない遠い雷。小さなボトルに4分の一残ったウイス

 

キーを少しあおる。

九州まで20数キロの海峡はかなり時化ているだろう、東シナ海も同様だ。内陸では雨 も。 

 

海水は素晴らしく透明度が高くあたた かい。午後おそくここにたどりついたときは座布団ほどのアカエイが二匹、

大きな蟹をおいかけて低く水中を滑空していた。今は暗闇にかすかなさざ波の呼吸を 繰り返す気配のみが伝わってくる。

 ぼくは今一体どこに居るのか。カ ヤックも海も星も、闇の中に全て有る。

長い夜である。

巨人の手の内で守られているようにここは静かだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その日の朝。

 

07:10家を出た。天気はいまのと ころよさそうだ。100年来の猛暑といわれ晴天が続いている。

天草の西海岸か、または甑島列島周回 の前哨戦をもくろんでいたが、結局上甑にした。

九州道を南下し、鹿児島市の手前から 南九州道にのりかえ串木野までちょうど3時間。

10:15には串木野新港についた。待合所わきの駐車場にくるまをとめ、すでに目をあけていられないほどの

強烈な光の中に歩み出る。港の待合所で手続きと支払いをすませるつもりだったが眠そうなその受付嬢が

車検証がいるというので再びくるまにもどる。

 

そこへ作業着をきたおじさんが自転車 でやってきた。獲物を見つけたサメのような素早さだ。

「そこじゃなくて6番にとめろ」とい うようなことをいう。少しむっとする。

「里なら6番だ。」何か異常なほど汗 くさいおじさんであった。

 

さらに「おたくのははみ出てるから計る。」 という。

カヤックが車の後方からはみ出してい るのだ。車の長さで切符代が違うのだ。航送料という。

「1.mは み出とる。5.8mの6m以内だ。」手に巻き尺をもってはいるがなんとなくテキトーな感じだ。

車は他にトラックが数台。乗用が数 台。もどって手続きと支払いをすませる。11500円。

受付嬢は次の客に気を 取られぼくからカネを取り損ねるところだった。

数分後「ごおんごおん」というディー ゼル音が響くフネの腹の中にはいる。

 

11:15発で上甑島、里へ向かう。

最上甲板にあがって海の様子を観察。 視程はよし。甑島も上から下甑の途中まで見えている。

 

風がある。南東の風。三角波の頂上が ときどき白くなるのが遠くまで見えている。重油の焼ける臭い。

紺碧の海は光を吸い込めるだけ吸い込 んでなおかつ透明だ。

やや白波がたっており串木野の北の海 岸には波頭がくだけている。

 

やや明るいコバルトブルーはやがて黒 みをおびて深度が深まったことがわかる。

はるか南から流れてきた黒潮の一部 だ。

 うねりもある。

低く長いトビウオの飛翔力におどろか される。

彼らは突如海水から飛び出し水面をたくみに滑空する。

もう着水するだろうと思ってもその先がある。

翡翠色のナイフがひらめきつつ飛んで いくようだ。

この海をぼくはひとりでわたっていた。それは丁度去年の今頃であった。だからここは自分の海だという感慨が有る。

 

12:30過ぎに光に包まれた里港に つく。

重油臭い車搬送用の甲板から出て行くと去年世話になったお兄さんが見覚えのあるTシャツを 着 て

船首から吐き出されるようにして出てくるボクを迎えてくれた。あれからおよそ一年。向こうもびっくりしている。

 

偶然だがうれしくなつかしい。

「いまちょっと風が、台風の影響 で、、、」気をつけてといいそこねたまま忙しそうな彼はトラックを搬出するため

船内に消えていった。恐らく物資の輸送はトラックをリレー式に移動させる方 式なのだ。

港港で別の運転手がいるのである。

 

1000トン級のふねがはいる港だが 海底がはっきり見える。

ここにはウミガメ、をはじめイカ、アジ、おおくの魚類の稚魚が生息している。

 

前回から2度目の遠征となるが今度は 甑島のインサイドにはいって食糧調達をしながらのツアーをもくろんでいた。

将来的な計画としては4、5日の時間をかけて列島全体の周回をする構想もあった がまだ基本計画の段階であった。

 今回は半時計回りに上甑を回る40k周回の第一次案であった。

k単位で行程を組んで頭に入れていた。

 

しかし途中のフェリーからの海の様子ではかなり波が高く風がありそうだっ たので島の北西にある

不思議なラグーン海水湖『ナマコ池』の海岸に上陸してそこで夜を過ごし翌日早めに里へもどるという

2次案に縮小していた。

港内で準備を整える。

PFD,スプレースカート、テント、調理用具、水。最低限度の食糧。

そばの2軒あるスーパーのひとつでパン、水 2リットルを購入。

(パンはあとで食べようと思ってさがしたがどこにもみつからず、帰還して後も出てきてないので恐らくトンビにもっていかれたのだろ う!)

 こちらの水を飲料として飲み、料理 にも使う。それ以外にやく2Lの水.

これはだいぶ前に入れた熊本市江津湖の公園の水だ。それは予 備 だ。食糧はなるだけ自分でとって余す事なく食べる。

魚もいれば貝類もあるだろう。調味料も最低限度でいい。貝類は海水で塩ゆでにするのが手早くうまい。

で きれば加熱せずにすむものはそうしたい。

 

去年の9月、串木野の北、土川漁港か ら5時間の漕行のあとたどりついたポイントからフネを出すことにした。

港を出たとたん風に遭遇。耳元でな る。波が乱れて小さな山の連続になっている。

 島の形状と黒潮の支流である対馬海 流の関係からナマコ池へ向かう岬は通常でも流れが速かった。

ましてやこの風とうねりではどうなっているか、しかもこの状況は時間の経過に従い、好転する可 能性よりも悪化する可能性の方が高かった。

 風と流れに翻弄され疲労困憊のあげ くに岩に叩き付けられる、フリップして漂流するはめになる。

実際に起きる可能性のあることだ。ここでムリをすると事故になる。状況が煮詰まると事故は起き やすい。

余裕がなくなると追いつめられる。そこからの行動は選択肢が少なく危険度が加速度的に増す。

揺さぶられるカヤックの上で早めにリスク回避をするべ く引き返す事を決定。

 

 

とりあえず堤防を出てすぐの左手の磯 に避難。

呼吸を整えて里港へ引き返そうとするが次から次に押し寄せる波に出艇できない。

やっとの思いで漕ぎ出し。翻弄されつつ港へもどる。海水のエメラル ドのグラデーションは美しい、が危険な海でもある。

 フネを引きずり上げる。日差しが首 筋を焼く。今日は港にウミガメはいない。

思案どころだ。

 

 

16時のフェリーで帰る手もあるがそ れではちょっと残念だ。

車にカヤックを再度積み。島内探索へ 向かう。

次回に備えて状況を把握しておくだけ でもいいのだ。

上甑につながる鹿の子島を結ぶ甑大橋 下の狭隘な水道。

桑の浦の静かな広がり。数十分あれば島内の主立ったところは見れてしまう。

 長目の浜からみおろす水平線。

世界 的に見ても珍しいといわれるラグーン湖、ナマコ池にも水面近くまで

おりてみる。

 

どこにも観光客の姿は見えない。

結局里港にもどり酒屋兼釣り具やさん で簡単な釣り具を購入したあとそこのおばさんのアドバイスもあり里の裏側の西の浜に陣取る事とした。

ここの地形は東に突き出た岬の山から 細くつながる砂嘴がありその細い極限られた平地の上に里村が有る。

里村をはさんで九州本土をのぞむ方、東にメイン港、西に西の浜がある。

砂嘴は細いままやや広がって上甑の山 に繋がっている。寄り添うように集まった集落の中には学校や、警察もあった。

西の浜から里の港までは歩いても十数分の距離しかないが海の様相は全く違う。

東の港がかなり荒れていても西の浜は鏡のように静かだ。恐らく太古より人々はこの手のひらほどの平地にはいつくばるような家を立て、風と波をやりすごして 生きてきたのだ。

 

 すでに16時は回っている。長さ数 百メートルの砂浜とごろた石の海岸は清潔で海も里の東の荒れかたはこちらにはなかった。ささやくようなさざなみ。ここで一夜をすごすのもいいだろう。

 寒さより暑さより風はときに人の意 気をくじく。感覚を奪い孤立させる。

ここなら大丈夫。

陽の有るうちにとカヤックに釣り道 具、えさのキビナゴ、ナイフなどを積んでいそいそと漕ぎ出す。波よけのテトラポッドの隙間をぬけて沖へ。右手沖に向かって連なる岩場がよさそうだ。

 静かな夕暮れの海をちょっとだけカ ヤックでいくのは気持ちがよかった。

自転車で買い物に行くのと似て『日常』という感じがする。

 カヤックをだれもいない小さなごろ た石の岸辺に引き上げ、

釣り道具を手に数メートル離れた岩場まで泳いで移動。岩によじのぼって魚を釣る。

大きな車ほどの岩の向こうに針を振り込む。すぐに ぶるぶると手応えがきて20センチほどのイサキににた魚がつれた。

 

「なんだよそんなに簡単につれて」と いう感じである。

カヤックまで泳いでもどり、口にさばき用の小刀を銜えてもどって磯にのぼりびちびちと跳ねるそいつをその場で背骨をカット、動きを止めて 「あれれあたしはどーなってるの」」という魚の顔をみながら内蔵、鱗をとり、さばき、半身を食べてみる。ごりごりとした白身は海水温と同じなまぬるさでそ れほど旨くもない。

ぼくにとっては旨いまずいというより 生きた魚をとらえてそのまま食うという行為に意味があった。

次の一投げが根がかりした。と思った ら魚であった。2mほどのやわらかい竿がしなって手元まで引き寄せたところで魚は逃げた。さきほ ど のイサキ系の親玉だ。どきどきする。針が小さすぎるのだ。

 翡翠色の水中でえさのキビナゴを銜 えてT字になっているのはサヨリだ。

そいつは細っこいトンカチのシルエッ トのまま緑色の水の奥に消えていった。

うまくやったものだ。サヨリの細い淡白な刺身はさぞうまかったろう。一夜干しもよかったな。

温かい海水で少し泳ぐ。

貝類は藤壷、 しったか貝、まつば貝などあるようだが全て小さい。食糧とはならない。島の向こうに陽が傾いてきた。風が少し出てきた。里の東から回り込んでくる風だ。

 

 欲張らず海岸にもどることにする。

向かい風だ。モーターボートからボク とカヤックを撮影する人。

数分後「すつつつ」とやさしく砂浜に 乗り上げカヤックは止まる。

 夕暮れの海で泳ぐ。

水温は温かく、 夕日を背に大きなボラが「しゅば」と飛び出して何度も跳ねた。

全身を海にひたすことはぼくの今の気持ちにぴったりな事だった。きょうはこれが風呂でいい。

カヤックをそのまま浜に残し、里の スーパーに行った。

7時前だがまだあいていた。冷えたビールとぶたこま、タマネギを購入。本来はそういった贅沢品は必要なかったが計画の縮小をした今、も ういいではないかと言い訳をしてみる。

長い夜を一人で過ごすには少し自分へ の褒美もいいではないか。

もどってくると夕暮れの海はさらに美 しさを増していた。山の影はより暗く。

太陽光の長くなった波長は事物の彫り を深く立体的に見せる。

海辺においたカヤックの前に折り畳み いすを置き、ガスボンベでフライパンを熱してタマ

 

ネギと豚肉の炒めを作る。釣ってきた魚の半分を塩ゆでのスープにする。

さきほど半分は生で食ってしまって いたが骨と頭からいい出汁がとれる。缶ビールがうまい。

 ぼくはひたすらくれていく海とその 周囲をみていた。

視程があるのでかなり遠くまで西北の 空がみえる。雲、上昇する空気が陸に向かっている。

それは積乱雲になりときおりかすかに光りを放っている。

より大きな熱帯性低気圧の前衛の部分 だろう。

空は青く、沈んでいく夕日は、金色の雲からオレンジの赤熱したレンガ色を絞り出すように空を描き出している。

色の対比が限りなく美しい。何万年も 前に海を渡ったポリネシア人も似たようなものを見たはずだ。

あるいは中国の倭冦も、薩摩の侍も。かれらと同じようにぼくは旅人であった。

 足元のボクのおとしたタマネギに浜 の掃除やさんがきている。弓形に上にそった小さなムカデのような虫が数匹。

ハサミのついたしっぽを振り上げてタマネギをかじっている。彼らにはこのごろた 石の塩っぽい世界が生きる娑婆なのだ。

 

もう一本の缶ビールもすぐなくなって しまった。

 

酔いがさめたころ釣り具を持って里港 へいった。車を堤防の陰にとめて暗い波止場を歩く。

風が強く堤防の外には波が重い爆発音をたててぶつかっている。

そちらにはいかず堤防内側の一番静かな コーナーでキビナゴの例の仕掛けを投げ入れる。

すぐに手応えがあり手のひら大のフエフキダイ系の魚がつれた。バケツに紐をつけて海水をくみ上げすぐにさば く。


これも少しかじってみる。小さく刻ん でえさにする。しかしそのあとはつれても処理に困る部分がありそうそうにきりあげて帰った。

ふたたびカヤックのそばにもどり海と 夜の空の中で端座する。

やがて眠気も少しあってそのまま横に なる。ボクはシート1枚の上に全身を夜にさらしていかにも無防備であった。

テントを貼っても良かったが面倒だしこの方が気持ちよかった。目を閉じてあける と空には星があった。何度もそれを確かめてみる。

いつの間にか少し寝たようだが基本的 には浅い眠りであった。野性のねむりとはそんなものなのだろう。

五時半前、行動を開始。

起き上がると目の前にカヤックがあ る。数歩歩いてそのまま乗り込み朝の散歩。

 

 

透明な水はその存在をわすれさせるほ どだ。夢を見ているような時間である。

 

終わって里村の東側の岬、上甑島の北 端に車でいく。山を越えて市の浦という海水浴場におりるとすさまじい色の朝焼けが雲と海をそめあげるなか、強風と波が海岸に押し寄せていた。ぼくは言葉も なくそこにたっていた。。

数十キロ向こうに九州本土がうっすら と見える。風が吹き渡る9月初旬の海辺にはだれもいない。波はいろいろなサイズが有るがひときわおおきなものはコンクリートの岸壁に激突してぼくに海水を あびせかける。しぶきが風で飛ばされ、また朝の海が沸き立つようにあらわれる。寄せた波は未練がましく渦巻いて次の波に飲み込まれる。泡。

神話の中の地球原初の風景。豊かな自 然はそれそのものが神だ。永劫と呼ぶに等しい時間この情景が繰り返されているのである。

 

 

静かな西の浜へ帰って朝飯にチキン ラーメンを食い。

そのまま3メートル先の海に飛び込ん で泳ぐ。朝の洗顔と軽い運動。海岸沿いに右に150M、左に150M。アジの親子がいた。

カヤックを車に積んでいると起き出し た村人が行き交い始める

 

 

。たいていおばあちゃんだ。おじさんがひとり自転車で通りかかり

「つんできゃあんもすと?」という。

積んで帰るのかという意味だと3秒後 にわかる。

09:25里発のフェリーはやや混ん でいた。台風9号の影響でこのあとは欠航が出ているという。フェリー乗り場のあんちゃんがまたいてそれをしらせてくれた。切符売り場の女性が「去年もおい でになってましたね?」という。もうひとりのにいさんが「なんか(ぼくが)くるときはいつも時化てますね。」という。彼らにとってぼくは「カヌーできた 男」なのだ。かれらは乗船時いそがしくさよならをいう機会はなかった。

彼らはそこに残る。

 

ボクは去る。

 大きなうねりは1000トンのフネ を上下させた。

 

海は表面をこまかく皺だたせ、風が波 を作り、大きくうねっている。「甑丸」は巨大な牛のように串木野へ向かった。最上甲板で見ているとうねりに乗って水面を滑り波の底で海面にぶつかると真っ 白いなみしぶきが真横に何メートルもすっ飛んでいく。

甑島を振り返る。里は既に見えない。

そのときカジキが跳ねるのを見た。そ いつは甲板から右後方16時、百メーターのところで垂直に海中から飛び出し、3度それを続けた。くちばしまでいれて1.5Mほどのサイズ。このへ

 

んでは「アキタロウ」というらしい。そういえばもう秋の気配がする。

                        完

 

 

 
2009.6.6菊池班蛇口湖
作者 hayama   
2009/08/21 金曜日 19:01:52 JST

熊本カヤック紀行09年6月の記

:096龍門全景1.jpg

菊池班蛇口湖  09年6月6日土曜日曇りのち晴れ

06:30ソファで寝ていたぼくは玄関のドアを開けて外に出た。すでに

スペースギアにのったkが到着している。すべては昨夜のうちに整えておいた。

短い会話を交わし車2台で熊本駅へ向かう。

気温は21度。うすぐもりでおそらく午前中小雨の可能性もある。がかまいはしない。

 石塚のマンションの駐車場にバックで入れる。ぼくは猿のようにレガシーの上に駆け上がり、kが前石塚が30キロ近いカヤックの後ろを持ち上げて素早く屋根に乗せてくるのをゴムバンドで縛り付ける。

 なれた動きでたのもしい「イナゴ団」のめんめんだ。

〜今回の発端〜

5月某日、よる20:00。

水道町手取教会の前庭マリア像の下にわれわれはつどった。イナゴ団の集合場所は「0872220:00八雲公園の向かって右側から2番目のベンチ」などと表される。行動を秘匿するためである。

その日はぼく、石塚こーじ、シンタローの3名で近所の定食やさん「ぴか一」にいったのだ。

その際一人だけ焼き肉定食を頼んだしんたろーは今回不参加であった。なんでも予算課という市役所でも超ハードなところに異動になったらしく夜中八丁まで数字と取り組んでいるらしい。今日も仕事ということで欠。焼き肉定食の呪いかもしれない。

石塚としんたろーの頭越しに手製の梅漬けのボトルがならんでいる

冷や奴を生ビールで流し込みつつ

「やらにゃいかん。」

と団長であるぼくは言ったのだ。なにをか?

菊池班蛇口湖のブラックバスである。

「食ってうまいはずだ。」

と言ったのである。生中のジョッキの三分の一残ったやつをどんと小上がりのテーブルにおく。

昨今ではゲームフィッシングといってキャッチ&リリースで釣っても食べない流儀らしいがそれはちとおかしいのである。

「捕獲し、それを食してみる。」

今回それが目標であった。ついでに自転車にのり周囲をまわってみるという

「水陸両用欲張りセット984円とくとくプラン!!」

であった。

さらに「+温泉付き」というオプションも用意されていた。

焼酎といっしょに小さなヒラメの煮付けをついばみつつ石塚もうなずいていた。

我々以外には一組のサラリーマンらしい客が声高にしゃべっているだけのひっそりとしたぴか一店内においてぼくらのメートルはあがっていったのである。

 しんたろーの焼き肉定食がおいしそうだ。

 野菜炒めがうまい。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そしてきょう。土曜日の旧国道は気持ちよく流れている。

コンビニでおにぎり2個、あんぱん、398円の白ワイン。氷、缶ビールなどを購入。

ジョンスコフィールドのライブを聞きつつ北上、植木から菊池へ向かう。

アメイジンググレースを森進一風に歌ってみるとなかなかいい。

08:30ほぼ予定通り班蛇口湖到着。なぜか黒いヤギが1頭、迎えてくれる:096龍門黒やぎ.jpg

巨大なコンクリートの壁に押し詰められた水の量が圧倒的だ。やまやまの向こうにくもが沸き立ち、光る湖面に謎めいた雰囲気が漂っている。ダムの名前は龍門ダム。それによってできた湖が斑蛇の口の湖。。。北端のさらに奥には聖護寺などの本格禅寺が控えている。

 

スタンバイを終えてボート競技のピアーからこぎだすことにする。

0930時出航。

久しぶりにぼくとkのコンビで黄色いフォールディングにのった。ボクが前でkが後ろ。この組み合わせでいくたの小冒険をこなしたことか。湖面中央まで出て左折し、北上。

静かだ。風がいい。ほんのわずかな雨。

水のにおい。木々のにおい。絹を幾重にも織り込むようにいろんなにおいが

交互にやってくる。

湖岸から立ち上がる崖にはいずれもこんもりと自然の木々、おそらく広葉樹林を主体としたものが盛り上がっている。

 僕らはカヤックという道具で生態系の中に侵入していく。水がしみ込むようにだ。

 数十分で北端のつぼまったところに僕らは到着。そこには小さな瀧があり十数メートル上から水を降らせている。強い土砂降り程度のそこを突っ切ってみる。ナイアガラの滝などはでかすぎて話にならないほどだがなんという清楚でかわいい秘密めいた場所であることだろう。

 ばたばたと僕らの上に瀧が降る。:096瀧のかべ.jpg

さらに水上のフェンスをこえ奥のフィヨルドに進む。静かだ。だが

次第に聞こえだすものがある。絶えず聞こえるもの、それはじぶんの航跡をひく音。パドルの音。うぐいすの声。何か雅楽のようなものが聞こえると思って耳を澄ますと別の鳥の歌声の重奏。低く長く、5度くらいの音程。何かが水に落ちる音。虫の声が始まった。

 

 いや雅楽のようなものではなく、雅楽が日本の自然を模したものなんだということはあとで気づいたことだ。無作為の作為。

 意識の内外が一致したリズム。

そして時空の必然によって厳しく律せられた法は我々が自由とよぶものとはかけ離れたものだ。期せずして安定を保ち同時に変化していくその仕組みは一体なんであろうか?

水の色は不透明な翡翠色のいろいろなバリエーションだ。所々ぬかのような泥をかぶった水底がみえる。

 静かに沈殿するそれは止まった時間の表象のように思える。分解に至る最後の過程。フィヨルドは数度曲折しつつじょじょにせまくなっていき小川の流れ込みとなっているところで終わっていた。引き返す。:096パフィン瀧.jpg

ときおりモーター付き平底舟にのった釣り人とすれ違う。魚影が見えない。前回はあれだけいたのに。一応「忍者モード」で水面を移動しつつルアーを投げてみた。

驚いた。

ルアーの動きはまるで小魚が泳いでいるようにしか見えない!

みよ!あのしっぽのふり!

思えばほぼはじめてルアー釣りというのを経験した。

昨日山本釣り具にいってえさを買おうと思ったんだが、どうやら餌釣りをするヒトというのはルアーや疑似餌のヒトと比べて地味かつ差別をうけているのではなかろうか。

というのも道具がどおおんとある中えさ売り場というのは何か別室のようなところでひっそりとやっている感じなのだ。

えさは生きているもの。練り餌、虫類などいろいろある。何かちょっとよくない生鮮食品やさんのような雰囲気でさきほどの光り輝くルアー、竿、の売り場とは対照的だ。ファッション性は皆無だ。おそらく店舗内でもえさ売り場勤務は地味な持ち場のひとつになっているのではないか。

「菅谷君、、来月1日(いっぴ)付けで異動だ。えさ売り場にいって頭を冷やしなさい、な。」

「、、、、、は。、、、、しかし社長!!」菅谷

「いいからいきなさい、命令だ。」社長

といった感じ。

気のせいか一人だけ居る店員も表情が暗い。

なんとなくその場で

「みみずください」

といえない心理状態となりだまって退出。

意気消沈、豪華絢爛な道具売り場へもどる。

竿や道具など実に種類が多く、戸惑いに再度おそわれる。

竿など工芸品の美しさがあり値段もうえっっというほど高いものも多い。リールなど中国製は988円国産は12000円など。

「糸が巻けりゃええじゃないか」

と思うのだが。

釣り竿で数万円!

「そのへんの竹じゃいかんのか?」と思う。

道具に凝るのが好きな人が多いのか?

「よけいなものいらんから、釣り糸と針だけください。」と言いたくなる。

fのルアー売り場にいってみる。これまた目のくらむような品揃えだ。

何かみみずをぐじゃぐじゃにしたようなプラスティックのえさなどかえって気持ち悪い。ムカデみたいなもんとか。アレで何を釣るというのか?

「もうなんでもいいから手頃な安いやつ買って早く家に帰ろう。」

という気になり1000円くらいの小魚を擬したものを一つだけ購入。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その泳ぎっぷり(?)が実際すごいのである。かわいい。

しかし結局つれなかった。

そう甘くはないのである。

後ろからk

「ほれ今そこに居ますよ群れが」などというので

そこへ急遽ルアーを投入してみる。数度そういうことがあったが徒労であった。

 まあわかっていたことでもある。釣り人の周りには魚は居ない。というのがぼくが体験的に知っている事実だ。特にルアーのようなものでだまそうというような釣りはやっているちに魚も学習してだまされなくなるのが当然であろう。

石塚こーじが投げているうちに糸を絡ませる。

2艇をよせてウイスキーのこびんを回しのみする。梢の上から青空がのぞいている。遠くから水の落ちる音がする。小さな入り江に注ぐ瀧の音だ。僕らは枯れ葉のように浮いていた。

閉じていた感覚が次第に開き始めるのを感じる。

それで十分じゃないかー

ブラックバス捕獲作戦の中止を宣言。

 帰途はkの背中に釣り竿をたててトローリングをしつつ帰る。

広い湖面を巡航速度でこいでいく。

「結構ルアーの抵抗あります!」とkがいう。

気づいたらkが巨大な蛇の化身、「斑龍神」かなにかに湖水深く引き込まれ

冷たい湖底で釣り竿を背中にしょったまま引き回されていた。残っていたのは俺だけで後方を航行していた石塚コージも消えていて冷たい風がびょうと吹いて急激に日が陰った。

というようなことはなかった。

11過ぎ上陸。湖周自転車ツーリング。3台の自転車は気持ちのいい風の中を疾走する。緑の梢、坂道、湖面に向かって下る道。小さく変化する風景。

ダムの土産物屋の食堂で白飯を三つもらい(600円)湖岸で昼飯。

オリーブオイルと、タマネギ、セロリ、ニンニク、トマト、白ワイン、ローズマリー、イワシ缶詰、石塚の持参したソーセージでリゾットを作る。:096龍門昼.jpg

Kがやつの好物である魚肉ソーセージを数本石のテーブルにばらまいて大盤振る舞いだ。

「次はやはりルアーなんかじゃなくて突くとか、手づかみとかそういう僕ららしいやり方でせないかんですね。」とシンプルに反省している。

あまりにも気持ちのいい風が吹いてくる。

3人で「アメイジンググレースを歌う森進一とサッチモのミックスバージョン」をがなり立てる。石塚が一番うまい。ニッチモサッチモという芸名を与えた。ビール付昼寝を経て、3時過ぎになり、泳いでみた。自転車で適当な入り江まで走る。

 Kが歓声をあげつついきなり水に飛び込んだ。

3人で心地よく冷えた淡水に浮かんでみる。:096泳ぐk/石塚.jpg

「海獣」とさえいわれるkは生き生きと水と戯れている。

表層は暖かいが下は冷えている。湖中央部のふかいところなどはおそらくもっと冷たいだろう。

 引き上げ、みずをしたたらせつつ3人で自転車を走らせる。

山の向こうに小振りの入道雲がある。

「もう夏だな」

「その前に梅雨がありますけどね。」と常に冷静な石塚がいう。

16:30帰途につく。

雪野という美しい名前の地区がありその村でわき水をくむ。

小さなほこら、地元の老夫婦が水を汲んでいる。

 振り向くと坂の下でさっき道を聞いた女の子が塀からそっとのぞきぼくらがたどりついたかを確認するとさっと消えた。

::Desktop:096雪野わき水.jpg

 清冽な水はほこらの下からわきおこり小さなタニシや何かの稚魚を養っているようである。苔むした岩に一匹の沢ガニが木漏れ日を浴びている。オレンジ色の胴体に黒い翼のトンボ。

水はやわらかく、冷えている。小さいがやさしく豊かな日本の原風景だ。

細い流れの先にはクレソンが数株。その先には水田がある。

6月の日差しはすでに午後遅く沢ガニもこけの間に巧みにこしらえた我が家の中に入り込んでいった。::Desktop:096雪野沢かに.jpg

菊池で温泉にはいり、熊本着が1900時。

龍神のご加護により今日も無事だった。

                          完

::Desktop:096ほこら雪の.jpg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あとがき

ちなみに釣りを好む友人に聞いたところ、滋賀県ではブラックバスは給食に出ているとのこと。え釣りであれば、生きているえび、またはミミズだろうというアドバイスをもらっていた。

 また次回挑まねばなるまい。

また帰りの温泉で気になったことはかけ流しのそのお湯はどこに捨てられているのかという問題であった。もし河に直接流されているものとすれば日本の河は流量が少なく、水温の変化は生態系にとって非常に大きな問題ではないだろうか。露天風呂の向こうにある河は白濁し淀んでいた。特に菊池川は水温が低く真夏のある時期でないと長時間泳ぐことはできない。

 温泉はいいものだ。しかしよく考えてみる必要もあると思うのだ。

                        終わり

 
2009.8.18 夜の軍団早朝の江津湖に挑む〜の巻
作者 hayama   
2009/08/21 金曜日 16:32:14 JST

江津湖

09年8月18日火曜日

夜の軍団早朝の江津湖に挑む〜の巻 ヨーコージ作

夏の早朝、久しぶりの江津湖である。

幹線道路を斜めに入り、さらに緑なす往復1車線の道に入ると木々の間から水面が見える。

カヤックをはじめたせいでこのわき水でできた奇跡的な沼沢湖のことがいつも脳裏にある。

雨が降れば水位がきになり、藻のかげの鯉やフナたちがつかれてないかと心配する。

降らねば水位が同じく気になる。

昨年夏泳いだあのカーブの芦の陰は水深がおちているだろうななどと思うとちょっと気持ちがしぼむ。

ぼくが「亀石」と名付けた3かかえほどの江津湖上流の岩礁は今日は水没している。よかった。水は豊富だ。

単純にほっとする。

 

出航ポイントの駐車場に、3台のクルマで乗り入れ。

エスティマから私の弟、通称「ジョーム」。

ハイラックサーフからマネジャーの永田、正正好の大型クルー財部がおりてくる。

よってたかってタンデムのフォールディングカヤックを組み立てる。

奴らはほとんど寝ていない。セカンドサイトの夜型人間達である。

以前からいこういこうといっていたのだが、やっと今日実現した。

そこに朝日をバックに江藤しげひろ、通称「エトピロ」が大きなスクータにのって登場した。

「おあようございまああす。」短パンにヘルメット

長袖のtシャツでかれのやせた体は何か全般に羽をむしられたトンボのような感じにひょろりとしてる。

黒ぶち眼鏡がいい。斜めに立っている様子が何かおかしくて皆で観察する。

 

カヤック組み立て作業が続く朝6時半すぎの江津湖。

野球帽のおじさんがよってきた。

わーこらなんですか?ひとしきり説明する。

アルミのパイプをつないで骨組みにしていること、これからセイルスキンをかぶせること。

よくできたフネだ。アルミのパイプの精妙でフレキシブルな構造。セイルスキンの絶妙な強度。

てこ方式のテンションの掛け方。エア注入式のサイド剛性強化。つり下げ方式のシート。もの作りの良心を感じる。

 

 

5人居るので二人をフォールディングのタンデムに乗せてぼくが一人のりのシーカヤックでパイロットをする。

先発は永田と大型クルー財部である。前席に永田、後席に財部。

460センチのフォールディングは財部が乗るとやや小さめに見える。ジョームとエトピロは残留。

幾多の遠征で傷だらけの舟底から浸水がなければいいが。まあ奴らなら心配ないだろう。

 店一個やっていればホントーにあらゆる種類の問題が起きる。

それを毎日乗り越えているのだからたいていのことは乗り越えるであろう。

 

水面はおだやかで遠く金峰山がのぞまれ、急激な落ち込みの先には藻が密生した流れが斉藤橋の

たもとに集中していく。

上江津に集まったわき水は丁度漏斗状にこの橋から流れ出し、数百メートルほど流れたあとで下

江津の広い湖面にでる。

上江津と下江津を結ぶこの流れは比較的水が清らかで野生の雰囲気が残っている。

ときおり「がぼり」とあらわれる魚類におどろく永田や財部の声が聞こえる。

今日は釣り人もまだでていない。

 

下江津にでて中央の島を回ろうかと思うがホテイアオイが密集しているので引き返す。

そもそも生物学的知識はほぼないのでいまでこそホテイアオイなどとぼくもいってるが以前は適当に「水びょうたん」など

と名前を付けていた。

この江津の流れは加勢川となり緑川をへてやがて海にいくのだが下流の堰には

「水びょうたん」がびっしりと川面をおおっている。

 下江津の向こうに水の浄化タンクが遠く見える。左には御船の山と九州山地のやまなみ。

あそこから川尻までカヤックで30分程度である。

そういうと「へえ案外ちきゃあですね。」永田

水びょうたんにはばまれたのでそこから引き返す。

 

さきほどまで永田と財部はよくしゃべっていたが少しずつ言葉少なになってきた。

ひきずってきた日常を忘れつつあるのだ。そうなるまで少し時間がかかる。

身の回りについてるホコリやひも付きのカンカンみたいな日常。

 

斉藤橋手前で水のにおいがこゆくなる。

広い水上の香りを水流が集めて橋の下に送り込んでいるのだろう。

魚臭いにおい。次に草のにおい。高級鉄観音茶の馥郁たる芳香がする、上流のどこかできっと花が咲いている。

そしてまた水のにおい。

眼下の幅1センチ長さ1メートルほどの緑色の水草が流れにそっていっせいにダンスしている。

実にダイナミックではないか。

 

上江津の出発地点にもどるとジョームとエトピロは暇を持て余していた。

ジョームはわれわれがかえってくるのをまっている間

「すっこつがにゃあ。」

という。35分くらいのことだが。

「クルマをだしてピストン輸送するというのはどうか。」との提案。

なんのためにカヤックに乗りにきたのか?

「まあいいから。」

といって永田、財部組とチェンジ。

 

水上で乗り換えを見守っていると裸トンボのようなエトピロが前席にまずよろよろと入り込み不安そうに足をそろえて

座る。うしろからウェットスーツを着込んだジョームが押し出しつつ乗り込もうとする、瞬間フネは水面に横転せんばかり

に立ち上がった。片方の舷側が真上をむいている。

エトピロの小さな叫びがして3秒後持ちこたえきれず転覆。エトピロは悲しき水中花となった。

ジョームは大喜びしている。

「戦艦大和の沈没んごたった。」

::Desktop:20090818075546.jpg

 

ジョーム/エトピロ艇はなぜ非常にバランスが悪く。左へ左へと回っていく。

だいぶいろんな人をのせたがその中でももっとも蛇行が激しいコンビだ。

アレじゃあ楽しくないよ。

エトピロは斜めにかしいで細い腕に握りしめたパドルを回転させている。

悲しいかな回転させればさせるほど事態は悪化するようである。

下江津の入り口で釣り人2名発見、右にさける。

帰りは流れをさかのぼる。土手道にはクルマの行列ができはじめている。そろそろ通勤ラッシュなのだ。

ジョームエトピロ艇の迷走状態がひどくなっている。ジグザク航法である。

エトピロの表情が「人生に疲れた」顔になっている。

何かアドバイスを、とは思うがまあもともとアウトドアが好きじゃないんじゃないかとも思え、ほっとく。

何か第二次大戦末期の特攻潜水艇「回天」や「呑竜」の乗組員の非情な雰囲気である。

::Desktop:20090818082409.jpg

 

空が青い。

蝉の声がしみこむようだ。

出発地点にもどる。

ちょっとのってみらんねといってジョームにボクの乗っているバリーを貸してみる。

幅は五〇数センチ、長さは540センチの美しい船体に嬉々として乗り込み

漕ぎだすジョーム。

「オーはやいはやい!」と喜んでいる。

 

 

上江津に移動を試みる。上流はおそらく十分泳げる水量と水質が期待できる。

永田mgはクルマで移動。エトピロ、財部ニューコンビでフォールディングに乗る。

ぼくのカヤックにジョームが足ひれをつけてしがみつくことになった。

細いバリーの後部はボリュームがないために不安定だ。そこにジョームがしがみつくと非常に不安定である。

前が浮いてバランスがとれない。

ん?なにかがおかしい。調整式のフットレストが片方ずれている。ジョームの仕業である。

あれ?パドルのゴム製の水止めが極端にずれている。ジョームの仕業である。

昔から何かを貸すとたいてい壊れてかえってきた。

ははあ、またもやそういうことかーもうこれは運命である。

 

恐ろしく重くなった艇をあやつり上江津へ向かう。

よせばいいのにフィンのついた足をジョームがばたばたやるたびコントロールを失う。

「ちょっとじっとしとってくれんね。」

じっとする。

安定した。

しかし藻に突っ込むとほぼ動かなくなる。

通常は難なく突破するのだが先端を浮かせたカヤックは後尾にウエットスーツをきたジョームがひっついている。

サルガッソ海での苦行である。

宮本ボートを過ぎて藻が切れた。

 

「はいっこっからジョームは泳ぎ」

でぼくは解放された。

永田mgもクルマで先回りしていたのでめいめい上流に向かう。

エトピロ、財部のコンビは相性良好らしく、速い。先行して上流にいった。

鰻釣りのおじさんが2名。そこへ最後尾のジョームが近づいていく。

「ジョーム!」と呼びかけるがジョーム直進。

釣り人が何かいっているがジョーム直進。

藻があって流れをこちらに横切れないらしい。

結局釣り人の手前で土手にあがった。

 

芭蕉園林に5人で忍び込む。

透明な水が流れ出すそのさまはここが日本の熊本市であることを忘れるほど。隔絶された時空のありかたを示している。

緑陰かさなる芭蕉の葉陰に赤茶や目にしみる翡翠の苔むした飛び石。流れがそれらを縫っていく様子。

みな静かだ。人間も静かになる。

不思議な水と木陰の大広間を発見。スッポンの甲羅がなぜかいくつか落ちている。

浅い流れの上に大きく木々がおおいかぶさって木漏れ日のドットが白く星のように水底に映っている。

「ここにいすをおいて読書したらいいね。」

「ビール片手にね。」

そこをでたところでしばし思い思いに遊ぶ。上流に向かうもの。泳ぐもの。

またジョームが財部ののったバリーに下からしがみついて喜んでいる。

そろそろいい時間だ。

帰りはぼくとジョームはクルマでもどり、エトピロ/永田のコンビと財部のソロで出発点に向かう。

 

無事帰還。永田が最後に転覆。

 

フネ関係撤収。朝の光はすでに凶暴な紫外線赤外線こみこみの貫通力を発揮しはじめている。

最近ボウズにしたのでそれが首筋、脳天に食い込んでくる。

蝉はますます盛んに声を上げ、本格的波状攻撃を展開している。

黒焼きのような少年が海パンいっちょうで走っていった。

::Desktop:20090818080512.jpg

船舶被害なし

転覆2未確認1

撃沈1

近所のジョイフルでぼくはシャケ切り身定食。

他はみな肉系統のものを頼んだ。

平和な日常にもどったエトピロは嬉々として、スープバー、ご飯大盛りにした。

律儀に3度席を立ちそのたびにドリンクバーでコーヒー、コーラ、メロンソーダと飲むものをかえ、スープも全種類飲んでいる。

「それは何かの修行だろ?」とからかう。

いったいこれだけの種類のメニューをどうやってさばいているのかという話、

カヤックであちこち行った話。

                           おわり

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

45分後ぼくはガスバーナーの燃えさかる上通紅蘭亭の調理場に居て汗だくになっていた。

ややあって

「専務」石坂さんだ。「茄子のミソ炒めが辛いとおっしゃてます。」

横でなべをふっている藤田賢太郎、通称フジケンがこっちをみて「しまった」

という顔。やつは今屋上の実験園芸場の係となっている。イザという時にやや弱いが基本的にはまじめないい男だ。

 客席に行く、茄子と牛肉のミソ炒めをスープで洗って食べてらっしゃる。

謝る。

もどってきてこれもなんかの修行か。そうだそうだ。とナベの水を返す。つつうと汗が背中を伝う。

「さんが酢定、いーがランチ、うーが太平燕です。」

とパン屋のせがれ今村がコールする。

2時に調理場をでると夏の日差しが強く。

アスファルトの照り返しがなにやらじりじりと心の奥底をやくような熱を発していた。

あの水の冷やっこさ、水色の無限のバリエーションが懐かしい。

                  終わり

 

 
イザ!イナゴ団奮戦記 「太平燕北へ 」 by ヨーコージ  2008.11.12
作者 hayama   
2008/11/12 水曜日 23:16:47 JST

太平燕北へ

〜銀ぼんの詩〜

北の大地は心地よく冷えていた。
ここ9Fの仮設キッチンの蛇口をひねると水がいきおいよく飛び出す。
札幌の繁華街にあるT百貨店でデパート特有のこもった熱気で微熱を帯びたような両手に水道水は鮮烈な冷たさで、それは地中深くを通じて豊かな大自然を感じさせてくれる。
腕から指先まで心地よい流れにさらしつつみると奥のバーナーに杜永海、手前に木村`ヤス`泰之が立ち、なべをふるっている。お玉と鉄なべがぶつかる乾いた音。
お待ちのゲストが6名ほどいてガラス越しに鍋の中をのぞいている。
湯気、油煙、杜の鍋に火がついた。炎が高くあがり顔を突き出して鍋の中を見ていたおばさんがあらまとのけぞる。
蝦,肉、イカ、野菜、全開で段階的に加熱し、スープをお玉で2回3回といれると油と水分が激しくぶつかる音がして旨味が一気に素材から飛び出すのである。
春雨をそこに投入。やがて太平燕は完成する。
耳にしつこく残る日本ハムファイターズの応援歌。
紅蘭亭太平燕。北にてかく戦えり。




08年10月22日水曜日
第一日〜北へ〜

熊本


8時前、朝の三年坂に3人の男が集結した。
杜 永海       (36歳)中国山東省出身
木村泰之 通称ヤス ( 26歳)熊本八代出身
ぼく         (46歳)熊本市出身。
段違い平行棒のような年齢差である。


ゆるやかにカーブする坂をのぼり、熊本空港そばの林の中にえいやと曲がりじゃじゃじゃと砂利飛ばしてとある駐車場にはいる。
キャンピングカーを改造した事務所から女性2人組がわらわらとでてきてなんだなんだと思っているうちになぜかイロイロとものをくれる。
100円割引券、ヤクルトを3人に、くじ引き制でウーロン茶(ぬるい)をもらう。(後で考えると1日700円というのは他に比べてやや高かった)
巧妙なわなであった。時すでにおそし。

秋空に飛び上がった瞬間爆睡、羽田経由で千歳に1330着。
途中眠っていてほぼ記憶無し。室蘭というのだろうか地図で見ると下の方にあのほれとがった岬があるがおそらくソレが見えた。北海道である。
寝てるうち日本列島を縦断したのである。
バスで札幌に向かう。
途中の風景がいかにも北海道。紅葉の林、突然現れる四角い平原に羊達の群れ。
15:00過ぎ市内にはいる。
札幌のまちはいかにも静かであった。
時計台。並木道。
「みんなの歌」の挿絵のようなはかなげな少し悲しいまち角。
縦横に整然と走る道路。
行きすぎる人びとのヒールの音もこつこつとそこはかとなくヨーロッパ的だ。
今までの「人間丸出し都市大阪」や「アジアの中心名古屋だがや」とは大分違うぞ。なんなんだろうこの落ち着きは。
「もういや人ごみ地獄未来的迷宮都市新宿」とも違う。

肉屋さんの納品にあわせてT百貨店9fにいき、なぜかカツ丼を三人で食す。こういう時はチャンスがある時に食べたいものをとる。カロリーもしっかり。
明日以降はゆっくり食事ができる余裕はない。
杜さんはカツ丼はじめて食べるらしい。
T百貨店の諸永氏に挨拶、ぼくらの前にやっている催事、「加賀百万石展」をみていったん帰る。またホテルでスイッチをぶちっと切ったように眠る。つもった疲れが寝汗となってにじみ出た。
いつもの事である。ここまでくればぼくががんじがらめになっている日常もおいかけてはこれない。
くらやみに電話が何本か鳴ったがとる気がでない。

8時再集合。
2020加賀百万石展は魔法のようにあとかたもなく、YAMAGENという業者が急ごしらえの会場組み立てを急ピッチで行なっている。この会社は阪急、高島屋、三越などいろんなデパートで催事専門でやっているようだ。
入れ替わりのネタで年中動く「デパート催事業界」というのがある。
安材料のベニアや使い古しの窓枠、むき出しのコード、管類がちらばり、
殺伐とした風景が広がっている。蟻の戦争をみているようだ。
案の定配管などがまだなので再度まちにでてstarbucksでコーヒー。杜さんははじめてらしくキャラメルマキアートをぼくと一緒に飲む。中国はなんでも漢字だが「キャラメルマキアート」なんてどう漢字で書くんだろう。
杜さんに奥さんに電話したかと聞くと、
「、、、、、、、、、、だいじょぶ」
あとは静かに笑っている。
寡黙な男だ。山東省煙台、青島からどこまでも続く麦畑の真ん中をハイウエイが走りその果てに海沿いの町煙台がある。倭冦ゆかりの名前で杜はそこからきていた。海に沈む楼閣の美しい伝説の町。もう日本で3年目。

もどってみるとほぼ電気ガス水道が立ち上がっていた。10個近い段ボールにつめた道具類、缶詰なども無事届いている。今回は行方不明の荷物は無い。
特に何のインストラクションもないのでどんどん勝手にアンパックと資材の配置をはじめる。離れたところにでかい冷凍庫がありそこに冷凍太平燕170個を先に入れる。
仮設厨房内には「ただおいた」という感じで鋳鉄製の3連バーナーが2器、ごろりと置いてある。

「これでやるんですか?」という顔で新婚ほやほやの木村がセッティングの様子を見ている。

ごとくの下にはブロックが2個。鍋をかえせる背面の排水溝はないのでいちいちシンクまで歩いて鍋をあらわなければならない。
フライヤーはない。
台下冷蔵庫などはあるが押すとへなへなと動いていかにもたよりない。
せまいので仕込みものの移動、配置など考えておく必要がある。
不完全な条件、限られたモノ、スペースを使ってやりこなすしかないのである。
ボウルひとつ、空き缶ひとつが役に立つ。
ぼくらが通常「銀盆」と呼んでいるどこにでもある取っ手つきの盆。今回は
肉の解凍のうけ、商品運び、原材料の運搬、及び一時保管場所、洗い物のまとめ、いろんな事に使えた。一つ事にソレを使い即洗って消毒しておけば即座に次の事に使える。
今回は広さも適当にあり恵まれている。
ガス台が正面ガラスに近い。
「ガス、、、、、、、、、、、アブナい」と杜さん
火からゲストまでの距離は数十センチ。路上でやる感覚に近い状態である。
水道ホースがない、ダクトのドレインが油漏れ、右のバーナー種火がつかない。高さもブロックを入れて調整。臨時のシンクが水漏れ。比較的早く対処調整してもらえた。材料も基本的には全て揃っている。野菜だけはT百貨店の手配で初回分だけ頼んだ、明日以降自前で調達しなければならないだろう。なんとかなるさ。
セッティング終了、物品配置が23時終了。


さっそく外へでて居酒屋をさがすがどこも閉店時間が早い。北海道的な居酒屋は全て終わっている。
「座わたみ」で食事。ここ札幌でも外来の業態は強いのである。朝までやっている。朝までやれないとこよりは生命力がある。
ボタン蝦、イカの一夜干し、刺身盛り合わせ、牡蠣のチジミ、など。
杜さんがジャガイモをイカの塩からにつけて食べている。
そりゃ違うよ杜さん。いや案外旨いのかもしれない。
「今村(注)に北海道は4度しかないですよ、と言われたですけど全然寒くないすね。」
とヤス。脅かされたのだろう。ボクらの頭の中にはすでに粉雪が舞い散る冬の町、雪だるま、はては流氷などのイメージがあったのだ。そんなものはどこにもない。
「ほんとだな。」
「おす、ほんと寒くないす、おす」
きょうの札幌は多少涼しいのかなという程度だ。
深夜ひんやりとした夜の札幌を歩く3人。明日からが闘いである。
札幌法華クラブはなかなかいい。ぼくとヤスは10F、タバコを吸う杜さんは4F。
2530就寝予定。
* 今村→上通厨房の今村くんはパン屋の息子

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
08年10月23日(木曜日)晴れ

〜2日目〜デパート9fのヒマな午後ディレクターは火だ火だとわめいた〜

0730集合にてTの9Fへ、初日である
セブンイレブンで飲み物、軽い朝食等購入。
「きょーはてんきが、とてもいいです。」
「さんにんでがんばりましょう。」
「からだのちょうしはいかがですか?」と信号待ちでなるだけ正しい日本語で二人に話しかける。
ヤスは「おすおす」と言ってるが杜さん黙ってにこにこしている。かえって熊本弁のほうがわかりやすいのかな?
厨房の仕事というのは基本は「みればわかる」ので言語を必要としない。
逆に映像文化や小説、演劇はしゃべりすぎなのだ。

仮設厨房にはいる。ここがぼくらの7日間の仕事場だ。
杜は野菜関係、ぼくは卵揚げ、木村はその他で仕込み。
スープは前前回の名古屋から豚骨実物5K+缶詰でいくようになっている。
寸胴の沸きが遅い。直前にならないと電気をつけないらしく薄暗い中での仕込みだ。卵200個ほどあげつつ、キャベツ30k、その他野菜を切り終え、春雨をもどし、調味料を配置。
杜さんが「どかっ」
と中華包丁を「龍口粉糸」の段ボールに突き刺して仕込は終了。
09:40フロアミーティング。
徳島の徳島ラーメン。
久留米ラーメン、
岩手のじゃじゃ麺、
秋田の横手やきそば、
香川の讃岐うどん、
新潟へぎそば、
東京油そば。そしてわれわれ熊本太平燕。一般的注意事項が諸永さんからある。毎日これやるのかなと思ったらこれ一回だけであった。入店時のセキュリティーも厳しくない。


10:00開店。当初動き無し。
10:30頃だろうか最初の一杯は杜さんがつくった。
恐らく北海道で太平燕を作った史上最初の男。
事前の予想通りのスローさだ。昼過ぎでまだ50杯いってない。
14:30切れたところで杜さんから休憩。なぜかコーヒー牛乳を1リットル買って来ている。
「コーヒー牛乳好きなんですか?」と聞いたら
「、、、、、ときどき」
続いてヤス。
隣の讃岐うどん「もり家」は香川県からだ。直径3センチ長さ1Mほどのめん棒で平たく麺をのばし、独特の動きで体重をかけながらがすんがすんと伸ばす。おっきな座布団ぐらいのやや四角に近い円状のそれをひょいひょいとたたんで「移動式目盛りつき半自動うどん面切り器」で右手小指で握りを持ち、軽快に切って行く。「たんたんたん、たんたんたん、たんたんたんたん、たんたんたん、」
この音が今回の通奏音であった。

主人らしきひととちょっと話す。
「ぼくらはラーメンやうどん屋さんには絶対かなわないとおもってんですよー。」
というと
「うれしーこというねえ。」
と素朴に喜んでくれる。もっと言ってくれという感じなので、うどん屋さんやラーメン屋さんが10個作る間にぼくらは中華鍋を熱して、油を敷いて、えいやと炒めて、いっこいっこ味つけして、、と説明すると。
また「いやうれしいこというねえ」とのたまう。
これが香川県の県民性なのかもしれない。

17:00にテレビ取材があるという。
事前に初老のタレントがはなから抜けるデカ声で各地の麺を紹介してまわる。リハーサル段階だがやたら声がデカイ。隣の久留米ラーメンで厨房内に入り込み、
「はいっ!!!!というわけで麺好きにはたーああああまらない全国麺フェスティバルっ!!はいいっいらっしゃいませえっ!!!っていうかなんで店の中にはいってんのっ!て気にしなあい。」
これはキメの台詞であって本番と全くいっしょなのである。これを繰り返すので本人も疲れるだろうがみているこっちも疲れる。1種の人工的な躁状態だ。
日本のテレビは特にうるさい感じがするがこれのせいである。

事前にディレクターその1がやってきてぼくに指をつきつけるような勢いで
「テーマは火です。」
という。この男も躁状態だ。
「火でいきます」
「火をぶあああっと出してさっきみたいにやってくださいっ!」
「はあ」とぼく
「ぶあああっと!」
あんまりいうのでダクトを覗き込み、
「ちょっとダクトに火がつくとやばいんですがねえ、まっそんときゃ御願いします。」というとそのディレクターは苦りきった顔をして目をそらした。
責任のとりようがないからであろう。
この手のデパート関係のイベントではたいていバーナーに覆いがないので周囲から鍋内に火がはいりやすい。
一寸油断するとナベの中が燃えてしまい、あまりいい結果にはならないのだがテレビ的にはそれが欲しいのだ。さっきぼくがやってて火がついたのをみたのである。
「わかりました。」といってリハーサル2回ほどやった。焼いた鍋に全開のまま油、そして酒をふるとやばいほど火が上がる。
例のデカ声レポーターもそれにあわせてここぞとばかりにさっきとおなじ台詞を3回ほど繰り返している。
まあそれくらいヒマだったのである。
全体で4、5回はリハーサルしてる。それにしてもテレビというのはどうしてあんなに人がいるのだろうか??照明に2名、タレント1名、ディレクターみたいなひとが4、5名。カメラ2名、でっかい蓑虫みたいなモノを棒の先にくくり付けた音声の人が2名。わっせわっせと右左に大騒ぎである。

生放送というのは特に大変なのだろう。
ディレクターその2がやってきて「すいません秒数をはかってやりますので」
ともう一回リハーサル。

導入部と太平燕の紹介の2度無事に火焔をあげることができ、つつがなく終了。
ぼくの台詞ははったりの火焔をはでにあげたあとそのまま太平燕を作りつつ、
「さああっ!!!この太平燕地元熊本では人気のほどはッッッ??」
と聞かれて
「これは熊本では給食にもでているような人気のあるものです。」
であった。「それだけ言ってください。」とディレクターその3からいわれ、さっき練習させられたので簡単だ。同時に隣のレンジでは杜さんが試食用の太平燕を作っている。そういえば昔のスポーツ選手は演技力が無く、王貞治選手なぞは「棒読みの鬼」であった。
「ナボナはお菓子のホームラン王です」続けて
「森の詩もよろしく」
というのがあったがロボットのような演技力の無さが印象的であった。あれもリハーサルを繰り返す事によりテンションが下がっていく過程があったのではなかろうか。
終わって30分休憩。
エレベータが小さいのが2機しかなくしかも距離が微妙に離れていてどちらがはやいか確認するのに蟹歩きをしなきゃならない。古参の従業員は達観していて「どっちでもええよ」という態度だが新参もののぼくはどっちが早いかが気になるのである。建物が古いのだろうが不可解であった。
思えば厨房内もせまくて基本的には蟹歩きがこの東急での主な歩行方法であった。

外に出るがちょっとお茶を飲めるようなところも無い。
5時半くらいで既に暗くなっているのでびっくり。明日は雨らしい。
8時には終了
終わってホテルのロビーで仕込みのミーティング。在庫チェックに関してはほぼ毎日、ヤスと杜さんがやった。
昨夜はいりそこねたオホーツクなんとかという炉端焼きで食事。古典的な居酒屋炉端焼きを経験してみたかったのである。
刺身がうまい。ジンギスカン鍋、海鞘、蟹みそ、韮とスナズリの炒め。焼きおにぎり

飲めないヤスはウーロン茶。
静かな出だしである。夜中に風が強くなってきた。
びょうびょうと吹く風が暗い外から聞こえる。
熊本は雨だという。

今日の結果は
売上個数太平燕171個(ハーフ501円/140個・単品735円31個)
冷凍      14個(945円)

 

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08年10月24日金曜日・風強し

3日目〜札幌中央市場哀愁の冷凍イカあきらめの秋雨〜の巻き

夜中じゅう風がなって眠れないまま7時起床。
そのまま3人でタクシーで札幌中央卸売市場へ。野菜がT百貨店経由だと高くて話にならないので現地調達である。
魚介類がすごい。
ハタハタ、いか、ウニ、いくら、鮭。蟹などの珍味関係がうなるほどある。貝類も豊富鮑、ホッキ貝。海が豊なのだ。場外市場の八百屋「サワスイ」でキャベツ、小葱、等を購入。とても安い。
不安材料であった刺身用冷凍イカは1500円と高いのでひとのいい若おばさんに相談するが
「値引きは出来ません」とのことであきらめ。野菜類をTまで配達を頼む。
小雨の中またタクシーで帰る。
「わたしゃ釣りやるんですがね、今年は河の水温が2度ほど高くてまだあがってこないんですわ鮭が。」
名も知れぬ川にあがる鮭がいてそれについては禁漁もおめこぼしらしい。
タクシーの運転手さんが普通に鮭の遡行について話すこの自然の豊かさはどうだ。
「キャベツだったらその辺で30キロ袋で1000円ですよ。よりましょうか?」というがまあそのまま帰って仕事。北海道は食料自給率が非常に高いのである。200%だときいた。
昨日より忙しい。
朝から市場で買ったスパムおにぎり2個とどら焼きが今日の燃料だ。
昼過ぎ木村を休憩にやったとたん床上浸水に気づく、ぼくの立っている手前から客席のほうまで水がじわーっといっている。座布団くらいの水たまりがあっというまに絨毯の大きさになる。
あれれと思ったらうちのシンクの春雨もどしからのものであった。
あわてて外に出て、東急諸永さんに電話。
「カンザイ課をよびます。」
という。
「すいません、すいません」と行列のゲストに声をかけながらあるだけのタオルを出して床にはって水分を吸収させようと試みるがなかなか。
木村を休憩からもどして事態の収拾に備える。
やがてどこからともなく青い制服をきた集団がてにてに箒や棒つき雑巾をもって「ざっざっざっ」とあらわれた。みな年寄りだ。「カンザイGメン」である。彼等はプロであった。目つきが妙にスルドイ。道具を駆使してあっという間に現状復帰。
たまった伝票を木村らとさばくうち「ざっざっざっ」とGメン(爺メン)は帰っていった。

終了間際中年のご夫婦、「塩だけって書いてあるけど塩だけじゃないでしょう?」とおっしゃる。太平燕のパンフレットのことだ。ぼくもよく読んでないのでわからない。
「ええ基本は塩ということですね。」
「こしょうが入ってるでしょう?」
「はいってます。」
これはクレームだろうか。
「塩っぽかったわよ。」
との声。
終了後すすきのまでタクシーで行く。たぬき小路のドンキホーテの前で待ち合わせ。大学時代の友人N氏に会う。今回事前に八百屋の件で御世話になっていた。Nの友人でHさんというアーティストとわれわれの5人。なかなか面白い人だ。原野さん、なんでも六本木ミッドタウンのシンボルを作った人らしいが何の因果か札幌に引っ越してきて今は大理石を彫っているという。
「今からはみんなビンボーになるんだから食べ物がいっぱいあるとこがいいよ。」「もう仕事なんてないからさー東京も。」
アーケード内で路上演奏をしているのが目立つ。ダンサーもいる。
金曜日のせいかどこも居酒屋が一杯なのでぐるぐるまわったあげくなぜかタイ料理屋さんにいく。
11時過ぎ帰る。金曜日のすすき野、かなりな人出だが不思議とガラが悪い人間がいない。長い一日だった。

08年10月25日土曜日・晴れ
4日目〜400個の壁突破に夜更けの生ジンギスカン旨し〜


7時半にはおきて腹筋など。腰痛の予防だ。
8時過ぎセブンイレブン経由で仕事場にいく。
9時半目標で仕込み。卵を約5缶、250個あげる。この作業は少なめの油で連続的に高温で揚げて行く、やや危険を感じる事も多くあまりヒトにまかせたくない。
もしこの施設内でダクトに火がついた場合、ぞっとする事態になるだろう。消火器を使うこともできるがその際両隣の食材は使えなくなる。


「ずばばば」とたまごを10個ずつほど揚げて行く。油煙がでて近所に申し訳ない。
讃岐うどんのあんちゃん達の中で一人よくしゃべるリーダーっぽい男がいる。わーわーいいながら仕込んでいる。こういうところにくるとそれぞれの会社の素の状態というのが分かる。
きのうまでは中年の親父さんがいたのだがエラい人はたいてい早く帰っちゃうのである。
「っへらっっしぇいっ」とか「ありゃたんす、ぶっかけ一丁!」とか威勢良くいってるのがひとりいる。
近所の100円ショップへレンゲを買いに走る。朝の札幌、外は明るく、ひんやりとした雰囲気は北海道ならではだろう。日光も透明感がある。赤青黄色3色のレンゲとザル、トレイを購入。
出足わりと好調。
昼は途切れる事はない。
「リャンがハーフ、いーが太平燕」
「はいーっ」
ヤスも杜さんも反応がいい。テンポよく数をこなしている。
なるだけ待っているゲストにはお声がけを早めにし伝票を預かる。
とても良いチームだ。

昨日ラストに「塩辛い」とのお声をいただいたので今日はなるだけ頻繁に味見をした。自分でいいと思うものを出すしか無い。
夕方きのうのHさんがくる。昨日とおんなじオレンジ色のジャンパー。太平燕を食べて「暑い暑い」と汗をかいている。「こんなに熱いものとは思わなかった。」
色んなメン屋さんがでているが決定的に違うのは温度である。数段階に分けて加熱して行く過程で100度以上という高温を経験するものは太平燕だけであった。つまり炒める/煮込むという過程である。
「Hさん今日ものみにいきましょうよ。」カウンター越しにいうと、
太平燕をたべつつえ?という感じで近寄ってくる。なぜか青っぱなを垂らして。
「あの、ハナでてますよ。」
と教えるとあわててふいてそれをちらりと観察したのち
「いや明日から東京なんで朝早いんすよ。」
正直ないい人である。
その後もしばらくじーっと調理行程を観察して帰って行った。観察が好きなのであろう。ぼくが春雨を丼にいれそこなうとこも観察しててふりむいたら笑っている。
「見られる」ということは非常に重要でそれによって動きは洗練されていく。
それに気がつくべきである。そういった「みられる」という事に関して自意識がないようではいけない。
動きはモノの配置によってまた逆に決まる。みていて気持よい動きでなければならない。
讃岐うどんの男に揚げ半熟卵をもらう。意外にうまい。
きけば朝早くからうどんを踏んで練っているらしい。根気のいる作業だ。
おいしいものの秘密など案外簡単なことで朝早く起きて汗をかく、時間をかけて丁寧に仕事をする、スープの原料をけちらない、など当たり前のことばかりである。
ゴミを出し先に帰った。木村と杜さんには残って在庫チェックをしてもらう。
2Fの警備室前で総菜、おにぎり、甘味類のパック商品を従業員用に売っている。デパギャル、おばたちが買っていて賑わっている。
閑話休題
「中華料理だからざっとしてていい」、というのは単なる偏見であり先入観であり誤解である。フレンチのシェフはかっこよく、中華はどことなく洗練されない、とかパティシェはおしゃれで、点心師はそうでもない、というのは恐らくイメージの問題だがわれわれ自身の問題でもある。
スパゲティはかっこよく、やきそばは格好わるいとは理屈があわない。
おなじようにある種のアーティストが傲慢であったり、偏屈であったりするのも容認していいことはない。イメージの問題もそうだが下から積みあげるそのプレッシャーが実は上のものにいい仕事をさせるのである。
しっかり拭きあげた銀盆に丼が乗っていたら盛りつけも心地よい緊張があるはずだ。仕事のベースになるものとはそういうものだ。

反省会のあとそのままホテルのロビーで今日の伝票半券をビニール袋から取り出し3人で数える。ハーフが337個、単品が65個、計402個、意外にいっていた。今日は流れが切れず休憩は15分だけだった。
大入り300個で1000円というルールだったが、100個上回ったので2000円
3人で手を打ち合った。

なぜか客の少ない生ジンギスカン屋にいき祝杯。
「幻の羊肉」というのを食べる。他に4種の肉、ニシンと野菜の漬け物。
牛脂を鉄兜型鍋の凸部分で溶かし、縁に野菜(玉葱ともやし)とてもうまい。
白御飯と合う。
今日は杜さんがよく話す。
酸菜鯉魚というのがうまいらしい。また麻醤につけて食べるヤギ肉、牛肉豚肉の鍋、腐乳をたれに加えるとなおいいという。木村も杜さんもよくがんばる。
宿に帰り、シャワーと同時に洗濯。服を脱いだらさっきのジンギスカン屋に客が少ない理由がわかった。匂いが凄いのである。いやほんと。これは羊が悪いんじゃない。


08年10月26日日曜日/晴れよる小雨

5日目
〜疑惑のスナック「DIANA」百円ライターすすき野回転寿しに驚愕のウニ寿司480円をみた〜


8時集合で出勤。いつものように仕込み。3色のレンゲが少なくなったので100円ショップへ行く。ヤスが300円で買った缶切りがいまいちで今日は向かいの油ソバに借りたがそれもいまひとつなので結局1500円のvictorinoxを西武ロフトで購入。
レンゲは無いのという声が多いため購入したのだが、悲しいかな100円ショップの3色レンゲは捨てられてしまう場合が多い。のだ。しょうがなしにイラスト入りで段ボールに告知を記し太平燕受け取りカウンターの前に「捨てないでください」と張り出した。
それで大分「歩留まり」はよくなったが今日も老齢の女性が使い捨ての丼ごとゴミ箱によろよろとわがれんげもろとも捨てようとしていたので
「はいっちょっとまってください!」と危うくセーブ。
見ていた久留米ラーメンさんも
「アブナかったですね、さっきのは!」と笑っていた。

昨日並の出足。
N氏本人とその息子、と母上がきてくれた。
5時過ぎ30分の休憩がやっととれる。外の空気が吸いたくて1fにおりて札幌のまちを歩く。トマトジュースがうまい。
やり方が固定してきた。テーブル上にガムテープで3本の線をひき伝票を3分割する。一つの鍋で最大3個を基準とする。1分以上時間差がある場合は
まとめ炊きはしない。それでいけた。並んでいるほうからすればまとめ炊きはいやなものだ。
今日は結局
274個と68個で342個
一日料理をすると、ビニール、紙、カンなどのゴミがかなりでる。
それも最初の段階から発生する。それに備えるのが先だというのが真である。
通常は毎日毎日やっていてもその事に気づかない。だから憂鬱な後片付けが待っているのである。
備えなくして憂いが有る。そこを考える必要がある。

短い休憩のとき同じフロアにある喫茶店にいってみた。コーヒーが丁寧に入れてありおいしい。
顔が油でつるつるなのでおしぼりで拭こうかと思うが悪いのでやめる。
帰りに忘れ物のライターをもらう。着火マンを忘れていたので杜さんの100円ライターだけが火種だった。
もらったライターには「スナックDIANA」と書いてありそれをみたヤスはぼくがこっそりスナックにいったとすぐに思い込んだ。
「いついかれたんですか?」
ぬけがけだと思ったのであろうか。
「ばっばかな!」「おまえオレを疑うのかよ。」
黒いライターの表面に「旭川」と住所があったのでぼくの疑いはすぐに晴れた。
札幌からは遠いとこのはずだ。
あいにくぼくはスナックが好きではない。

20時前先に帰り、法華クラブ1001号室でCPの仕事をやろうとするが
ちょっと椅子に座ったとたん睡魔に襲われ、ヤスの電話で起きる。
時計をみたら8時半なので朝と間違え「しまった!」と飛び起きる。
、が夜であった。

ヤスのリクエストでラーメン横丁へいく。
すすき野だが不思議なほど客がはいっていない。
ぼくは醤油味のラーメン。蟹肉やメンマ、モヤシ、ゆで卵などが乗っている。
木村は醤油バターコーン。杜さんは辛みそラーメン。どれもうまい。厨房を除くと中華鍋がおいてありモヤシなどはその都度ゆでているようだ。だしは骨系というより海鮮系、煮干し、昆布などの味が強い。

そのあと回転寿司。イカゲソ、ウニ480円、ボタン蝦など最高級の素材だ。

 

3人で4000円ちょい。回転寿司がこのレベルとは!
こりゃ中華もフレンチもいらんわい。

 

08年10月27日月曜日晴れ/夜小雨

6日目〜枯れ葉散る交差点に冬の使いゆきんこ爺あらわる〜

大分冷えるようになって来た。いつもより30分遅い8時半に集合
仕事場へ。
0940時には大抵の仕込みは終わり、サラダ油とビニール袋、等を買いに近所の大丸へ。交差点で横断歩道を歩いていると、
「寒いよ、、、、、、、」
と背後から老人の声がする。
ななめ後ろをうかがうと茶色系の服をきた小柄なじいさんが一人で歩いている。
「雪だ」、、、、、「雪だよ、、、、」と独り言をいっている。
「雪がくれば、あられもなあ、、、」
、、、、「ゆーきやこんこんあられやこんこん」
だんだんリズムがでてくる。「ゆきんこ爺」かもしれない。

大丸の食品関係はいい。この辺は東急、西武loftなど大型店舗の老舗がひしめいている。さすがに北の都である。食材が圧倒的だ。
毛ガニが1はい2000円。

今日はスローだろうとたかをくくっていたが昼は結構圧力があった。
今日も昼間Nが太平燕を食べにきた。

その昔ボーフラのような生活をしていた22、3歳の頃やつとは酔ってゲンちゃり3人のりして新丸子のストリップ劇場にいく途中で警官につかまったっけなあ。懐かしい東京。
あとやつのアパートで大宴会やって2fの窓から非常用ロープでおりてターザンやってみたり。
志賀高原にスキーにいったことがあったが夜中に酒飲んで女風呂のぞきにいって窓際のさんに張り付いたまではいいが
「げえっみえるみえる!」といったとたん興奮して足滑らして壁沿いに出来上がったアイスバーンのような斜面を10メートル滑ってゲレンデに出るあの西部劇用の開き戸みたいなやつから鉄砲玉みたいに飛び込んだり。あの時は死ぬほど笑った。(しかもそのあとだれもいないのを確認後女風呂に入り風呂の水をのんだうえ、さらに素裸になってちん×のあとをつけるんだといって外に出て雪にダイブしたものだ)
思えばバカなことばかりやっていた。

今は一児の父親で手堅い保険の外交員。

20分休憩、40分休憩がとれた。
自分も外へでて再度札幌ラーメンを喰う。
オフィス街の隙間にあるひとけの無いラーメン店。
だれもいないカウンターだけの店内におそるおそるはいると奥からごつい店員が1人でてきた。「焼きチーズラーメン」。950円
こんなメニューはやや悪のりではないかと思うがうまかった。厨房の作りが独特で、カウンターに座っていると左の奥の階段下スペースから「ごおおっ」と蒸気があがったりする。客はぼくだけだった。「ずごおおっ」とときおりあがる湯気をみながら一人ラーメンを食す。
T百貨店9fにもどるとむっとした空気のなか杜さんと木村ががんばっている。

だんだん会話が杜さんのペースになって来た。単語での会話である。
「イカ」
と杜さんがこっちにいえば
「イカが足らないので補充してくださいまたはどこにありますか?」
ということなのだ。
「杜さん今日ひる何食べました?」
「ジュース、、、、、、、、、、、2本、、、、、たばこ、、、、2ぽん」
よくしたもので「いらっしゃいませ」がキチンと言えるようになっている。
また数日目の疲れで中枢神経の狂いがかなり目立つようになってきている。
塩といおうとして「砂糖」と言ってしまうそれも2回。
ヤスも一度春雨をあげて丼に盛りつけているくせにもう一回春雨を湯がいている。
他にも塩を入れ忘れたり。丼の外に春雨を盛りつけたり。
きょうは
ハーフ太平燕212個/単品74個の286個であった。
冷凍が10数個、やはり高いのか。

仕事は積み重ねである。だから積み重ねにならない仕事は絶対に繰り返してはならない。時間とエネルギーの、無駄。またよくないものを積み重ねてもいけない。常にニュートラルな始まりの状態をキープする事が大事なのだ。
掃除が大事とよくいわれるが1動作1クリアでいけば汚れる事は無い。
終わってNとまた会う。せっかく熊本からきてるんだからと歓待してくれてるのだ。「古典屋」という居酒屋。
Hさんの話で盛り上がる。米と漬け物のうまいこと。これじゃ料理が発達するはずがない。コーヒー焼酎も慣れると旨い。
数カ所の店で見かけたメニュー、「ラーメンサラダ」を注文したみたら、
「冷やし中華の汁少ない版」であった。
どうやら北海道では定番の居酒屋メニューらしい。
11時過ぎには別れる。また会おうNよ。
タクシーで帰る途中時計台が見えた。
意外にホテルのそばだったのでタクシーをおりて時計台まで3人で歩く。
雨粒が冷たい。

08年10月28日火曜日/曇りよる雨

7日目〜Tデパート2f休憩室に蝟集するデパギャル軍団の真実をみた〜


8時半ロビー集合。
今日はSANKUSで買い物をし東急へ。
きのう野菜は切っておいたので今日仕込む必要はない。
卵を揚げたあと地下へ油を買いに行く。ついでに北海道の野菜、小松菜と生麺を2種。
5、6日立つとご近所付き合いがぼくらの間でも多少始まる。
お互いの商品を物々交換してみたり。みんなで讃岐うどんの仕込みをみたり。
例の半自動麺きり包丁をみて。「こりゃ簡単に指つめちゃえますね。」と久留米ラーメン。わっと笑う。
ぼくらがちょっと空いた時間で蝦と北海道産の野菜で試作していると。徳島のラーメンが見にきて
「かっこええですねー鍋の使い方が、、」
後2週間たてばお互いに手伝ったりするコミュニティができるかもしれない。
みな仕事というものに対する興味があるのだ。
昼比較的昨日並の圧力有り。
ただ3時以降は1時間の休憩がとれた。
試作をしてみる
例の麺で小松菜といためて焼きそば→非常にうまい。
そのあとおなじ素材で塩味の湯麺→これもうまい。
ヤス、杜さんにも食べさせる。
「こんないい素材使っておいしくなく作る方がむずかしいんだよ。」
「おす、そうすね、おすおす」
隣の久留米ラーメンのあんちゃんにも分けてやる。
「これ旨いすね、なんか落ちつきました」とひとのいいあんさんが言ってくれる。あんさんの相方サトーくんも小さくうなずきつつ食べている。
明日はあのホソホソの麺を使ってやってみるか。
彼等には仕込みなどはほぼない。いい、悪いではなく人手をかけずにモノが作れるようになっているのだ。
ヤス、杜、で休憩。ぼくのときで5時だった。

余裕があったので前から気になっていた2Fの休憩室兼食堂へいった。かなり広いスペースに制服をきた女性スタッフばかり。思い思いに弁当を広げたり、化粧を直したり、携帯を操作してみたり。最初女性専用かと思うが一人二人おじさんがいるのを視認。男性はどこで休憩してるんだろう。謎である。
窓際で小さくなって木村の買って来てくれたシュークリームと缶コーヒーを摂取。
ひさしぶりに椅子に座った。窓から並木の通りが見える。既に暗くなった往復4車線の道を車が行き交っている。
もう一度観察してみると全員おなじような手提げをもっている。シースルーに近いものが多く恐らくなんらかの決まりで私物はそういうものに入れなさいということになっているんだろう。盗難が多いということか。
ここは従業員食堂もかねていてメニューにはうどん、カレー、などが並んでいる。200円台は安い。恐らくこのビル内で1000人単位でヒトが働いているだろうからボクら並かそれ以上に忙しいときもあるだろう。
ここは禁煙になっているが隣には壁を隔てて喫煙可のスペースがかなり広くとってある。常にケムが渦巻いているような感じでカスんでいてかなりの人数がそこでタバコをのんでいるのだ。何か「ガス室」というようなイメージがある。
皆化粧が濃い。
タイムtoタイムで仕事をし、着替えて地下鉄駅に消えて行く彼女たち。
1fの化粧品売り場や高級ブティックの店員は一日なにをやっているんだろう。退屈じゃないのかな?彼等自身が展示商品のようではないか。 
そして明日の朝にはまた吸い込まれるように戻ってくるのだ。そういえば9fにも東急の男性社員が数名いたがほぼぼくらに対してはなんの接触もなかった。単にウオッチしている感じである。
エレベーターを待っている間柱に貼ってあるポスターを読む。

「お客様の本当のご要望を知ろう。」
「お客様も知らない本当のご要望を発見しよう。」
壮年の社長さんの上半身写真が映っている。
6時前にもどるとじょじょにゲストが増え始めた。

「くろこしょー、、、、、、、、、、、、」杜さんがこっちをみている。
昨日購入した家庭用のヤツが切れているのである。もうひとつある。
「ある」と調味料の台の下を指差す。
今日はハーフが209、単品52の261個
冷凍も割と売れていた。
八百屋の支払いを地下で諸永さんへ。
熊本からケーキの注文が一件、宴会場の下見の件が一件、電話が入る。

終わって近所の中華屋さんへ。葱油白鶏、茄子の炒め、乾焼蝦仁、葱爆羊肉、炒銀芽。など。あまりにも現地的な味、厳しい。もう一工夫、または適切なディレクションができれば、、、。
できたばかりの店内にいるのはぼくらだけ。山東省の人がコックだったので杜さんが話す。
帰りに札幌駅をひとまわり。気温8度、寒いはずだ。熊本の厳冬期に近い。


08年10月29日水曜日/最終日/晴れ・気温低し

8日目〜春雨抜き太平燕抗議男ははあはあとまなじりあげつつ〜

最終日だ。さすがに日に日に寒くなってきた。
「杜さん疲れてないですか?」
「ん、、、、、、だいじょぶ、、、木村さん26歳、わたし、、、、36歳、、
専務、、、、46歳、、、仕事、、、、、、いっしょ。、、、、、、、、、すごい。」


交差点行き交う人びとはすでに冬支度だ。
200を最大目標にがんばる。昼東急の地下で油とキャベツを緊急購入。

夕方「すいませんがこれ麺がはいってないんじゃないですか?」
とやや怒り気味の中年の男性が丼をもってくる。まさかと思いつつ箸で具をもちあげてみる。
たしかにはいってない。
「???」
春雨の入れ忘れであった。(ヤス)
岩手の「へぎそば」というのをもらう。つなぎに海藻が使ってあるという。
ざるそばのようなものだが旨い。杜さんは
「これ、、、、、、、、、、、だめ」
苦手らしい。

結局126の54で180個最後に単品が増えたというのはいいことだ。
太平燕を目的のゲストが増えたということだからである。最初の予想では
ハーフのお試しサイズ80%、単品が20%であった。
単価的には750円の太平燕は最高値であった。他は高くて701円。

5時半終了。
怒濤の勢いで後片付け。デパートの場転は早い。
冷蔵、常温、冷凍で仕分。どたどたと片付けどたどたと出て行く。
2Fにおりるとすでに明日からのコートフェアが洋服かけにがずらりと並んでいた。
もうここにもどらなくていいんんだという独特の開放感とともに路上へ出る。
「終わったね。」
「おすおす終わりましたおす」
「、、、、、、、、、、、」

気になっていたホテルMOTEREYの華蘭亭というところで食事。
3人で乾杯。
北海道産の赤ワインが旨い。杜さんがいかにもうまそうにタバコをふかしている。
作りが凄い。札幌はホテル文化がある。いろいろなホテルがひしめいていて
競争も激しい事だろう。
寒さに背を丸めつつホテルEDELHOFを見学。
明日は南へもどるのだ。
昼間3人で練習した「我門明天回熊本」を歩きつつ繰り返す。
道を渡ると眼下にさらさらと川が流れている。この川にも鮭がのぼってくるのだろうか。






08年10月30日木曜日晴れ

9日目〜千歳まで電車車掌と静かなる37分の激闘〜

8時集合で法華クラブを出る。他の麺屋さん達にも会い。軽く挨拶する。
千歳まで札幌から電車でいく。
電車には女子大生がたくさん乗っていた。こんな牧歌的なところで育つ学生は性格もいいだろう。
指定席車両の間の狭い乗降口に立っていたのだがやたら自動ドアが開いたり閉じたりするのでぼくと木村は指定席車両の後端に立っている事にした。
こりゃいいわいと両窓から流れる田園風景をみていると。向こうから案の定車掌がやってきて。注意を受けた。
車掌がさったあともう一度おなじ事をやっているとまた同じ車掌がもどってきてちっと舌打ちをするような感じで
「ここは指定なので中にはいらないでください。」しぶしぶ動く、
さらに
「ドアからはなれて下さい」
という。一応離れるがそんな前に立つだけであくドアにしてる方が悪いんである。
「おれたち問題児すね、くるときも杜さんが飛行機で背もたれいきなり倒して怒られたし。」とヤスが笑う。千歳空港で手続きを済ませやっと自由時間がとれた。
滑走路を眺めつつイクラ丼を喰う。
ヤスは目玉焼き定食。
ついでに生ビールの小。遠慮する杜さんにもオーダー。
ほっとする。ポケモンキャラを全身に塗られた747が数機。
また一機青い煙をあげて着陸した。紅葉の林と原野が滑走路の向こうには広がっている。
1時間ほどの自由時間。
空港をうろついているとまた讃岐うどんの一行と会う。
10時半の飛行機で香川に帰ると言う。
今にして思えば礼儀正しい青年達だった。うどん作りのような地道な仕事に
従事することは時代の流れとは逆行している事かもしれないがモノ作りの基本はヒトである。
11:40北の大地をわれわれはジェット推進によって離れた。重力と戦いつつ浮上していく空に雲が浮かんでいる。
「おす新聞です。」とヤスが新聞をくれる。なぜか神戸新聞。
この世の中1週間やそこらでなんもかわりゃせんさ。と思いつつ新聞を広げた。

羽田経由で15時30分熊本着。
空気が柔らかく、人肌のような落ち着き、空気がおいしい。
迎えの車を待つ間
「杜さんどうだったですか。」
「、、、、、うれしい、、、、、、、」
結構キツかったんだろう。やややつれている。よくやったよ杜さん。
「木村は?」
「おす、かなり勉強なりました、おす。」
と頭をうなずかせている。今回は重要なマネジメントをやらせた。年下で大変だったろう。
やがて駐車場の車が迎えにきた。
例の何かとモノをくれる駐車場だ。今日は女性ではなくおじさんだ。
広い砂利をしきつめた駐車場にはぼくの車がおとなしく待っていてくれた。支払いのあいだ杜さんがなにか隅っこのフェンスの向こうにいったなと思ったら立ち小便をはじめた。
「杜さんだめだよ、紅蘭亭の社員が立ち小便したら。」
たしかにおれたち問題児である。
ぼくらは車にのり、逃げるようにそこから熊本市に向かった。

市内にはいると久しぶりの熊本は妙にくすんで小さく見えた。
見慣れたはずの建物、ランドマーク、、、、、

「なんだろうなこの小ささは」ぼく
「おす、なんか小さいす、おす」 ヤス
「、、、、、、、、、、、、、」 杜
札幌はすでに2000キロのかなたである。

 
イナゴ団奮戦記 八代海 柴島編
作者 hayama   
2008/10/07 火曜日 15:31:09 JST


イナゴ団奮戦記〜八代海・柴島編 2008年8月

〜イナゴ団とは〜

きれいな水とその環境を探索するなぞの団である。
歴史は古く城東小学校5年3組の男子3名により1973年に創立。
人力による移動を尊び、観光地、リゾートなどには滅多に行かず
身近なところにある赤裸裸な自然環境をみつめる。
現在団員4名

主な登場人物:佐藤ポテチk:酒は弱いがアウトドアは強い
ヘヴィ級ライフガード
好物は魚肉ソーセージ・耐寒機能AAA
05年の「白川ガタ地獄編」
同年「球磨川絶叫低体温ツアー」などで活躍
:石塚`スロー`コージ
:話はスローだが行動が妙に速い
:愛車ジムニーを駆ってどこへでも行く
熱血/アホな事でもまじめに考えるタチ

野口シンタロー:市役所職員
自作の「ファイアーダンス」が得意技
いきなり見せられた人は笑いの発作に襲われ
のたうつ。
カヤックが欲しいがいかに嫁さんをだますか
の作戦が立っていない。
ゲスト参加
御立岬荘のおばば:オーダーをとるのが非常に苦手でできれば
受けたくないと思っており、複雑なオーダー
をすると途中で遮り「今メモばとってくる
けン待ちなっせ。」という。

同露天ぶろのダシ係:山本喜三郎(64歳)仮名
露天風呂に死んだようにうつぶせになり
瞑想している/湯との一体感が素晴らしい




08年8月のとある土曜日

朝5時前の川尻マック、まだ暗い空、雨脚は弱まらず執拗に降り続けている。
「24H」の表示はあるものの但し書きで4時〜6時は店内に入れず
外のテント部分で佐藤Kといっしょにコーヒーを飲んでいると石塚こーじ
が銀色のジムニーの上にニンバスパフィンを積んで現れる。
そして徒歩で野口シンタローが、シンタローは何か妙にでかいスニーカーをはいて赤いキャップ。
立ったままそれぞれの情報を持ち寄り実行案の最終検討を行なう。気圧配置図、警報、注意報、汐。午後以降は晴れて安定するという見方は前提だが基本案である脇本海岸⇔阿久根大島の鹿児島阿久根方面は波が1Mはある。海上での1Mはカヤックなどにとっては体感的にはもっとある。外海に接した阿久根沖は危険性が高い。本日の阿久根大島は断念。

聞いてみると4人とも昨夜は興奮して眠れていない。明日にずらす、はまず却下。もっとも消極的な案、江津湖、なども出る。そく却下。
最終的に残った2つの腹案の中から御立岬近辺から御所浦方面に八代海を横切る案を採用。
最短で出発地までの移動も短い。
ジムニーのシンタローと石塚、レガシーのぼくとKで分乗。マックを出発。
先行の石塚コージが右手コブシをあげる。
一路高速で芦北方面へ。
高速前にぼくのノードカップのパックが緩そうなのでローソンへはいり屋根に上って昨日買っておいたゴムのベルト2本で補強。高速道路でカヤックを落としたら大変だ。
少し走るとすぐに朝がやってくる。
前方のジムニーは大きな唐墨を積んで走ってるようだ。Kと雑談。魚を銛でついてとる話になる。
「銛でつくあれは怖いのは自分のあごをあれで突くんじゃないか?という恐怖があるよね。」
「こうっ!」
左手のゆびを銛の形にしてあご下からはなの上に突き出すようにしてふがふがしゃべる。
「あれは返しがついとるけん痛いですよ、抜けんですよ。」

窓外には低い山に雲が絡みついたモンスーン地方である日本南部の風景。
木々の揺れは無く風はほぼない。
高速を降り弁当の平井でパンその他少しずつ買いものをし御立岬方面へ。
海水浴場の方へは曲がらず、山地のようなワインディングロードを上って行くと突然崖の間から静かな海が眼下に広がっているのに出くわす。美しい。
対岸に天草が見える。

それは封印された思いでが画然と思い出されるように「あれを渡れ」という本能に対する訴求が視覚を通して呼び起こされるのだ。
それに従い何万年も前の人間は海を渡った。
くだって行くと単線、単車両の肥薩オレンジ鉄道が走っている人気の無い内海に接した道に出る。
突き当たりにトンネルがありその傍らに小さな漁港があった。
漁船は一隻だけ。 堤防は小さく漁港としての活気はない。線路沿いの空き地に駐車。車の屋根にまたがりカヤックをおろしていると突然轟音。すぐ傍らをオレンジ鉄道の白い車両がトンネルに凄い勢いで吸い込まれて行く。
とりあえずフォールディングカヤックを出して組み立て。Kとシンタローの艇だ。ゆっくりと思考を巡らせつつ海上を観察していると、
「部品が無い!」とK.
みればアルミ製の三角形をした骨組みの一部がない。そういえば家のどっかであれが1個だけあったな。
はしっこの致命的な部分ではないためそのまま組み立て続行、精神力で漕ぐべしと伝令。
 

07:38名も無い漁港を出航。

まだ雨はぱらついているが海はないでいる。
透明度はまあまあ。生き物の影は水中には見えない。とりあえず視認できる島影が前方にあるのでそこまでとりあえず行ってみようということであった。
その島は2Kほど沖にあり、おそらくせいぜい周囲100M程度のごく小さな岩礁であったが木がちゃんと生えていた。わがイナゴ団の連合艦隊としての攻略目標としてはかなりちょろいと思われる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一歩海に出たわれわれを待っていたものは果たして、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


石塚コージの乗艇するパフィンがパイロット役となり重量のあるK、シンタロー艇がぎくしゃくと進みはじめる。ぼくはぼくで初のノードカップによる
本格的ツーリングであった。

港を出てすぐに風を感じた。波形が北から南に来るのでソレを横切る形で進むのはやや安定感を欠く。ぼくも不安だがこのK,シンタロー艇が最も不安要素だ。
波をかぶり100Lでも水がはいれば艇は二人の体重あわせると相当なおもさとなりコントロールできなくなる。
沖に行くに従い風が強くなる。少しヅツだが横波も大きくなり時にぼくも尻をふられ一漕ぎ一漕ぎに神経を使う。空には雲が走り、海もやや鉛色の不安げな色をみせている。予想とかなり違うハードさだ。
水面の様子は陸から見ただけでは判断できない。
平和そうにみえた内海は沖合に行くに従いやや荒れて来た.大潮、低気圧、風は4、5m、いやそれ以上か。
風は山を避け広い海上を通りたがる。
大きな背中を丸めてパドリングするKとシンタローらは時に何か小さな悲鳴のようなものをときどきあげつつ前進している。石塚こーじはぼくから見ると左前方かなり離れたところまで進出している。やや遠くこの条件下では不安を感じる距離だ。
こういう不安げなときは声を掛け合うのがいい。ひとりだとこれはできない。
「現在25分経過。」と叫ぶ。
長い時間がすぎているようだがまだそんなものである。
「ようそろ。」とKがこたえる。会話はなんでもいいのである。状況に心を閉じるとまずい、それは一種の内的防衛機能だと思うが現状を肯定的にとらえられないと積極的な対応などできない。
大海にたったひとり、砂漠にたったひとり、孤独というパニックが人を襲う。
とにかく声を出すのだ。たとえひとりでも声を出す。シンタローもやや緊張気味の様子だ。
ちらりと右にひろがる風上側をみるとかなり高い波が連続的に送られてくるのが見える。
—なぜ甑島なんて大それた事を考えたんだろうー
オソロしや。
フネがどうしても右にふられる。このままでは最悪の場合目標の島北側の白い波濤くだける岩礁に叩き付けられる恐れがある。石塚のルートは正しいが特に船足の遅いK/シンタロー艇は方向が定まらない。
右前方に回り込みつつ、左に転回と声をかける。
かなりヤバさを感じつつ前進。見よ、空も海も対岸の風景も何か悲劇を思わせるグレーの世界だ。
今ぼくらは手こぎの小舟に乗り、太古の人間達と同じ条件の中で海を行っている。全身を使い、脳と5感をフル動員し、なおかつリラックスしていないと見えるものの範囲、予想をつけることの範囲がせまくなる。
現代社会に生きるわれわれにとってオフィスの中にいる生の感覚、車に乗っている時、脳を含む肉体の感受性は寝ている。その鈍った感覚を引きずっていては危ないのだ。
右を強く漕いだときにちょうど波に艇尾をとられヤバかった。
フネの挙動が予測つかないため首を回して後方を確認することすらできない。予想はしていたがシーカヤックの原型ともいうべきノードカップの挙動は敏感過ぎるほどだ540CMの艇長で幅も広いところで50数CMしかない、艇のボリュームは後方は特に少ない。
引き返すタイミングはとうに過ぎている。

45分後くらいだろうか石塚艇を先頭に目標の島南側の小さいな入り江に3艇無事入港。
とりあえず難関は通り抜けた。
振り向いてみると山がせまる出発地点の上空でかなりなスピードで雲が移動している。速い。
なぜ陸上からはそれがわからなかったのか?

島の周囲は東側も西側もかなり波が高く特に西側は川の流れに近いようなはやさがある。
この島は北から南に抜ける海流の中州のようなものなのだ。内海とはいえ油断できない。
安全地帯にはいったぼくらはとりあえずフネを引き上げた。みな黙り込みがちだ。地図を出し、位置を確かめようとするがこの小島は記載が無い。
流れは10時に最大速度になるというKの予測だ。待つべきか。
西に進めば川のような流れを横切り、なおかつそこを戻ってこなければならない。天候が悪化した場合かなりなムリを強いられる。選択枝を多くしておくことは危機回避のコツだ。
出発地にもどるのもやや北上する形となりここから見える波の様相ではやる気が起きない、逆風である。
結局南東にくだり御立岬海水浴場へいったん上陸し沿岸沿いに北上するルートをとることになる。三角航法である。
艇の底をチェックしたらぼくはスケッグを出さないまま漕いでいたことに気がつく。スケッグとはシーカヤックについている小さな鰭だ。直進性、安定性に役立つもので出し入れ自由になっている。それでは不安定なはずだ。

とりあえず方向性が決まり、お菓子類、酒、チキンラーメン、カップラーメンなどを食す。石塚こーじが最も品揃え豊富に食物を持って来ている。ソーセージにビスケット。漂流、その他にそなえて水。
火をつけお湯を沸かす。
まだ九時半だ。
Kは腰まで水に浸かりどうやら小便をしているらしい。やつはその後背後の木の間で大便もした。(らしい)
「Kくんいまおしっこしてるだろう?」というと
えっなぜわかるんだ?という顔をしてこちらをみたが正直に
「はいやってます。」といった。いい男である。


焼酎にウイスキーがちょっと混じったものを回しのみしつつ話す。火もある。
ここは一時的にでも安全だ。人間はどこにいてもそんなにやる事は変わらない。人と話し、排泄し、火を焚いて食事をし、平常心にもどる。
離れ小島であっても都市であっても。
この名も無い島があってよかった。
「イナゴ島」と勝手に命名。われわれにとってはおおいなる救いの島となった。

何か屁が出るので「屁おかまいなし」の了承を団員にもらう。
皺立つ海は遠い島影に続きその向こうはかすんだ陸地。

「子供の時にカヌーで無人島にいく夢あったでしょう?」
ぼくらはいまそれをやったのである。よろこびの記念写真。
さっきまでの短いながらも不安に満ちた航海はすでにすぎたこと、基本的には人間はお調子者なんだと思う。
ちょっと泳いでみたが透明度はそれほどなく、海中生物の気配がない。
くらげがいたのでそうそうにあがる。
野口探索方より双眼鏡でななめ対岸の御立岬海水浴場状況報告。目測3Kほどか。
「だんもおらんです。」
前方に動力船有り状況報告
「なんしよらすかわからんです。」あまり有用な情報はない。
でかいくらげの死体が2つ、3っつ。

ぼくのカヤックでその漁船に接近、ウエットスーツの白髪短髪おじさんに話を聞く。
島の名前は柴島。れっきとした(?)八代海に浮かぶ無人島である。
ぼくが見ている間にアジを4匹ほどつり上げた。
「4、5メートルのところにおるもんな」年期のはいった日焼け顔に笑顔がいっぱい。竿がまたしなる。
「どっからきなはった?」
「熊本市です」おじさんはこたえを聞いて曖昧に笑った。
この漁船もかなり流されつつの操業である。後退してはエンジンをかけて元に戻っている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
島の入り江にもどり再出航の準備。たとえカヤックでも3艇いればそれなりに出航時は活気づく。
しかし御立岬海水浴場へむけて出航したわれわれを待ち受けていたものは、、、、、
またしても男児の鉄腸をくだかんばかりの恐るべき驚愕の事実であった。嗚呼イナゴ団の運命やいかに!

続く

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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イナゴ団奮戦記・八代海・柴島〜最終編

1056再出航。大分穏やかな状況になっている。雲の走る速度も遅くなった。
K・シンタローコンビも息があって来たようで順調だ。
近いところでディーゼル音がする。
「右後方より漁船!」
全員パドルを立てて待機、やりすごす。
野口ウオッチが双眼鏡で浜を探索。
「やっぱだんもおらんです」
数十分後。御立岬海水浴場の砂浜に上陸。
無人に近い砂浜に防風林の中からチェンソーの音だけが響いている。
まずは浜の案内所へいき。挨拶。
人のよさそうなおじさんが2名。
「こん天気だけん売店は休みだもんなあ。」
「ちべたいビールの夢」はここで挫折。
海水浴客は約10名ほど。砂浜に散っている。
「海水浴客がうじゃうじゃいるところへカヤック3隻で勇躍登場!!驚き逃げ惑う原住民を奴隷にしあわよくば独立国樹立!!イナゴ帝国!」
の夢もついえた。

人気の無い夏の終わりの海水浴場。パラソル用のブロック台がさびしく行列を作っている。帝国どころではない。
おとなしくそれぞれの艇に乗って遊ぶ。
石塚コージのパフィンは舵があり両足でソレを操作するのは慣れが必要なようだった。小ぶりのブレードを持つパドルは長時間漕ぐにはいいものだと感じた。
重く、いい艇だ。
ライフジャケットを付けたまま浮かんでみる。水でできたソファに座っているようで楽だ。
K、シンタロー艇の底部リペアあとのふせがはがれつつあったので
接着剤を塗り直し上からガムテープで強化。
砂浜から漕ぎ出し海水浴場の安全ブイを越えて沿岸沿いに北上。
右手には山がちの海岸が続き、酸化した岩礁がそのあしもとで茶色い縁取りを作っている。
完全に凪いでいてほぼ滑らかな水面だ。釣り船に挨拶。ゴムボートのひと。
ふたりで手漕ぎのひと。沿岸に生きる人びとだ。こんなときほぼ例外無く
人は笑顔でこたえてくれる。
笛をふいて艦隊接舷。集合して小休止。パドルを持ち寄ってぼくを真ん中に
3艇集まる。こうして漕ぐ手を休めると広い空間が意識される。いつもと違う時間の流れ。戻らなければならない娑婆のことがちらつく。

話してるうちに数十メートル後退している事に気づく。
このなぎでもそうなのだ。引き潮の流れであろう。
恐らくこれならこの八代海の北側のチャンネルとなる宇土半島の先端、三角近辺は河のように流れているはずだ。
数キロありそうなボラが水中から飛び上がり小さな爆発音をひびかせる。
ボラは不知火、島原湾沿岸でよくみる魚だ。白川河口など3、4キロありそうなやつが集団でせきの下に群れているところもある。

右に怪しい洞窟発見の声あり探索。近づいてみたら鉄道の下のただの枯れ川。
やっとバリーにもなれ艇をゆらさず加速できるようになってきた。
天候が回復し青空が見えてくる。

12時前後だろうか出発地点の漁港に無事帰還。
出発地は様相が変わっている。
汐が大きく引き小さな堤防に囲まれた港は貝殻だらけの底を見せている。
やたらと重い石塚のパフィンをえいこらさと揚陸。

全員フネを引き上げたところでふと傍らを見ると
ガードレールの下「イナゴ団」の団旗がそこに残されていた。出発のとき野口シンタローが忘れたのである。やつは自分のポロシャツを犠牲にし、手書きで夜中にこしらえた。パドルをあわせ無事帰還のよろこびを共にする。
Kの持って来たぼんたんあめを食べながら撤収。
2,3軒ほどの人家には熱帯性と思われる木が絡み付きいえを壊さんばかりだ。そのうち1軒は廃屋。
その向こうの空き地から年寄りと孫が遊ぶ声がする。
陸からは隔絶され海に迫られたこの小さな集落はこれからどうなるのだろう。取り残された内海の空白感が海で会った老人たちの笑顔のイメージと重なる。
「どはっ」
とトンネルから1両列車が飛び出しレールを鳴らして海岸沿いの緩いカーブに消えて行く。
撤収作業も済み漁港をあとにした。
曲がりくねった急坂をのぼり緑のトンネルをくぐる。

崖の上にある御立岬で温泉にはいる。客はココでも少ない。
広い窓から広大な内海と対岸が見渡せる。柴島、があっけないほど近いところに見えている。
ぼくらが渡った海は今静かな午后を迎えている。完全な凪。
ぼくらの心もそれに似ていたかもしれない。
外に出ると露天風呂があった。

おじさんが一人死んだようにうつぶせになっている。よほど気持いいに違いなくじっと瞑想的な入浴を楽しんでいる様子だ。
そこで3人でしゃべる。おじさんはしばらくしてすーっといなくなった。
お湯を少し味わってみると塩気がありやや苦みもある。
「あのおじさんのダシじゃないか?」
「なるほどダシ係」
「株式会社御立岬温泉、ダシ課、課長、山本喜三郎64歳」

あがって2Fの座敷にいく。テレビをみつつ横になる人びとが数名。
ベランダに望遠鏡がありそれでみると僕らが柴島でやっていた事なぞは全部見えていたんではないか、
「ひょっとしてぼくがうんこしているところとか見られていたんじゃないか?!」とKがさわいでいる。
「おれも立ちションしたです。」とシンタロー。
石塚コージがなかなか風呂からもどってこない。探しに行ったら洗濯をして車にソレを干してたらしい。行動が速いのである。

御立岬荘のおばばはオーダーが苦手らしい。こちらがオーダーしようとすると早足でみないふりをする。やっと捕まえ注文しはじめると「ちょっと待たんね。」
途中でメモをとりにいきそれに書き込んで再度確認。
「あーたは?」「生小」「はい生小、、、、。」書き込んであらためてkをみて
「小ね?」「小」
「そすと?」「こっちはナマ中二つ」「生ね。」
「中ですよ。」「2つですよ。」「生ね」
「そすとあーたはセットね?」「セットです。」
「ならセットがひとつ、、、、あたたちゃ?」
「いやセットはいっちょです。」
くびをもたげて
「いっちょでよかつね?」
「よかです。」
「あーたは小ね。」「小です」
とふりだしにもどる。

悲願の「ちべたい」ビール。刺身定食、カツカレー、あら煮定食など。
シンタローが頼んだ生ビール+5品セット(1000円)が結構いい。

期待、恐怖、緊張、汗、不安、喜び、などなど一日の心地よい疲れを温泉とビールで溶かし出したあと昼寝。
起きるといつの間にかとなりにいたはずのお年寄りのファミリーは消えている。
子供の頃の昼寝からの目覚め。あの頃の夏も光にあふれていた。
畳の感触に幻聴のようなテレビの音声。

1630帰途へつく。
〜理想的な夏の1日。
2008年8月の終わりの事であった。




■今回実際に役に立った装備
笛:ロープ:地図用のビニールパック
:火力:磁石:リペアキット/ガムテープ:双眼鏡
軟膏(きんたまがふやけてしまうのをふせぐ)
■翌日の肉体の状況
:左臀部、左肩甲骨近辺、両肩に軽い筋肉痛
左手首間接にやや不具合(テーピング必要)









 
熊本カヤック紀行その28
作者 Administrator   
2007/10/28 日曜日 13:54:57 JST

阿久根大島


0530起床/まだ暗い中起きだして、昨夜取り揃えた道具類を寝ぼけ眼
でレガシーに積み込む。
この夏は7月にフォールディングを組み立ててそのままにしていた。
それも昨夜車の天蓋にしばりつけてある。
0600出発
まだ暗い中阿蘇の向こうに曙光がきざす。
熊本インターから高速で八代をめざす。
八代で間違えて人吉方面に向かってしまう。
トンネルが23個あります。と看板が後ろに跳び退っていく。
これは結構痛かった。途中インターはないので人吉までいっていったんおりて再度もどってくるしかない。往復46個のトンネルだ。時間にして50分ちょい。いっそ球磨川くだりに変更するかなどと思う。
朝霧に煙る人吉についてとんぼ返り、やっと八代にもどりしばらく行ったところのlawsonでジャムバターコッペ、チーズかまぼこ(4本入り)スターバッ クスのキャラメルラテなどを購入。このラテが210円といい値段だが非常に質が高い。ふんふんと感心しつつ、田浦.芦北を過ぎる。それを食しつつ出水の脇 本海岸をめざす。
水俣を過ぎると何か南国の感じが出てくる。植物や潮焼けした板張りの家など、名も知れぬ洋品店、そんな風景がボクは好きだ。個人としては新幹線なんか通 さないでほしい。もっとゆっくりしたほうが豊かだと思う。便利になっていいですね、とはあまりにも想像力にかける考えだ。

AppleMark
0900過ぎ脇本海岸へ着、いい天気だ。気温もちょうどよい。日中は予想通り25度くらいになるだろう。ドライスーツは不要と判断
砂利敷きの駐車場に車をとめた。
光がすごい。防風林の間から思いがけず近いところまで海が迫っていた。
間もなく満潮なのだ。湾曲した白い砂浜が遠くまで広がっていて自分以外にはだれもいない。眼前にはエメラルドの海。阿久根大島が数キロ向こうに横たわっている。その向こうに甑島が煙っている。
ほぼ晴天。海は無風、凪ぎ。
ちょっと残念。台風20号の影響で強風/高波警報が出ていたので今日は外洋
すなわち東シナ海での荒天時のパドリングを経験してみるつもりだったのだ。
気温/天候あたり考えると今日やっておかないと次はなかなか無いと思い。
急遽昨日決めた。
しかし目の前の海はぼくを歓迎してくれていた。長過ぎた夏の終わりのプレゼントである。シングルシートをセットし、フットバーを調整する。


1000出航
しばらく漕ぐうちに舳先のしたスペースにダンゴムシが1匹居るのに気づく。
恐らく最近家のウラに伏せておきっぱなしにしてたのでそのまま我が家にしたものであろう。彼にとっては安楽な居宅であったはずがまさか本人もそれが船とい うもので自分もいっしょに海を渡るなどとは思っていなかったであろう。ややうろたえた様子でうごめいている。
今日はイナゴ団(注)の団員もおらずボク一人なのでダンゴムシとともに
いこう。
漕ぐにつれ少しずつ体が順応しはじめる。パドルで水を掴む感じが出てきた。それにしてものどかな海だ。

 


振り返ると意外にまだ近いところに出発地が見える。
左に長島、さらに視線をのばすと牛深だろうか漁船が横切っていく。
左2キロほどのところに崖がちの海岸線が続いているので距離の目測には役立つ。
後方から運動会のmcがいつまでも追いかけてくる。脇本のどっかでやっているのだろう。
海の色が少しずつ藍色に近くなっていく。
右数キロ向こうを鳥の大群が低空飛行していく。

1102阿久根大島の砂浜へ上陸
陸地とはいいものだ。気持よく晴れた空を鳶が数羽舞っている。
カヤックを引っ張り上げ。島内探索へ。
ぼくは飲料水を忘れるという失敗をしていたのだが自動販売機があ
った。これが観光地でもなんでもない無人島なら一つ間違えばぼくはひからびて死ななきゃならない。
財布を探ったがあいにく10円数枚と1円しかない。「なんでこういうときに限って!」と思うが結局自分の準備が悪いのだ。釣り人が2、3人いるのでちょっ と両替をとも思うがどうも気がすすまない。釣人というのはのんびりしてるようだが実は大抵忙しい、そして欲に駆られている。中国の墨絵の世界に出てくるよ うな枯れた釣り人はほんの少数派である。

飲料水は断念。
松林の木漏れ日の中に鹿がいる。それなりに警戒心はもっているらしく近づくと一定の距離に達した時点で優雅に跳ねながらまた距離を保つ。
島の裏側は崖っぽくなっていた。下を覗くと岩がちの浜辺が広がっている。風が遠く水平線の煙る東シナ海のほうから吹いてくる。穏やかで静けさに満ちた朝だ。
海の家の古びたタイル作りの洗面所や、潮風にさらされた木製のドアが気になり、写真をとる。それらにも木漏れ日があたたかな陰影をあたえている。

1130再出発
黒い服をきた男が突堤で竿を振っている。オフシーズンだが少数の釣り人の需要があるらしく1日は出水港から何本か船が出ている。その汽笛がなんともちゃちな感じでいい。
少し漕ぐとすぐに海の色が変わる。

帰りはややおもむきが違った。午后近くなって天候に動きが出てきた。
西風がやや強く波が立ち始めた。進行方向に向かって左真横から風と波が来る。
やや難儀だが「おーよしよし」と思う。波の越え方もある。足の踏ん張り方でも直進性とスピードが変わる。西の方をみると雲が出てきている。
舳先が波にぶつかりしぶきが艇内にもはいる。「オー感じ出てきた」と思う。
ペースを一定で漕ぐとかえってつかれるので数種類の漕ぎかたをする。
漕ぐほうのウデと同じ方の足で踏み込む方法、逆足で踏み込む方法。
背中を立てて背筋と腹筋を使う方法。目線もあまり遠くを見るとなかなか目標が近づいてこないのでつらい。そこで手元の海をみる。そうするとちゃんと進んでいる事がわかる。

漕ぐのを止めて小休止。
水平線を見るのは気持がいい。東シナ海は行きと違いやや凄みのある紺色に波だっている。雲が甑島後方に立ちあがりはじめた。
1本釣りの漁船が右前方にいる。鯛かアジか。右の沿岸をバスが尺取り虫のように走っている。
来るときに目印にしておいたグリーンの屋根が段々近づいてくる。
あと数百回パドルすれば脇本の湾内にはいるだろう。

1230頃脇本海岸へ帰着
エメラルドの湾曲した水域はさほど高くない波で縞模様になっている。
砂浜が随分広くなっている。汐が引いたのだ。
しゃがみ込んで貝をとるひと、家族連れが数組広い海岸線に散ってい
る。
日射しはあふれんばかりに降り注いでいるが何故か秋の気配でもある。
ダンゴムシはシートの後方で海水に浸かり、死んでいた。
ここまで一緒にがんばってきたのにダンゴムシのばかやろう。

  いったん上陸するが車の位置が違っていたので再度カヤックに乗り込
み移動。そろいのトレーナーを着たそれほど若くもない男女がなんと
無く目障りだ。両方とも膝までジーンズをたくし上げ何かすなを掘っ
たり、手をつないでみたりしている。
再度上陸。
カヤックを引き上げ防風林横で水だし。墓がある。随分古びた墓
石の横に小さな地蔵がちんまりと座って陽をあびている。
あまりにもいい天気なので泳ぐ。
何ら問題は無い。寒くないし、クラゲもいない。こんなに気持のいい
海水浴日和はない!10月の終わりに海水浴は初めてだ。
引き潮に巻き上げられた砂煙の中を何かの稚魚が群れをなして通過す
る。恐らく砂底からの微生物を食するためだろう。
少しジョギングして再度泳ぐ。
上がり際に沖を見渡すと甑島の上に雲が堆積し、どうやら局地的に雨がふっているらしい。それ以外はやはり光に満ちた10月の海辺の風景であった。完

 
「電磁の力だ新宿なべふり日記」その1 ~リョータロー飛行機に乗る~
作者 Administrator   
2006/02/15 水曜日 13:52:31 JST

妙に暖かい あれから一年またもや新宿へ舞い戻ったのだ。
岩田、矢野、おれの3人トリオは霧とも霞ともつかぬ熊本空港を朝九時の飛行機で発った。
黙り込みがちなタクシーの中で最年少の矢野にきいたところ 飛行機に乗るのが初めて、東京に行くのも初めてということであった。
「飛行機の事故はひでえもんね。」 「なんかあったらひざを座席の上にあげんと後ろの座席が雪崩うっておそいかかるけん足がつぶれるぞ。」 「大体あんな何百トンもあるもんはほんとかろうじて空中に浮いとるというだけのこっだけん。」 「スチュワーデスなんかはそういう事実、ないしヤバさばかくすためにきれいな女の子にして笑顔でだまそうというこっだけん。」 さんざんおどかした。 もやの中からボーイングが一機着陸態勢で脚をだして おりていくのが見える。

「しかし飛行機ちゃ鳥に似とるね。」 早めに空港につき朝食。 矢野は去年子供が生まれたばかりで一週間も家をあけるのは初めてらしい。
ミルクなんぞを飲んでいるやつの横顔に不安が見える。 岩田もそうだ。朝飯もそこそこに煙草を吸いに空港ロビーに消えていった。
たまにはいいではないか。男は外に出て仕事をするもんだ。 「ヒコーキの乗り方はどうすればいいんですか?」と矢野が聞くが特に乗り方というものはないのでフツーに座るだけだ。 定時過ぎに離陸、矢野、岩田は特にパニックを起こすような事も無かった。
雲上は真っ青な空が重層的に覆っている。 雲海をみて雪のようですねと矢野は言った。

10:40分 無事羽田着 モノレールで浜松町経由、新宿へ向かう。 東京湾岸は殺風景だがぼくにとってはある種の郷愁を感じさせる。
都市の機能美とは無雑作なものだ。
工場、住宅、潮さびた実用一点張りの船舶。 ふとした瞬間覗くビルディングの窓の内側、決して美しいとはいえない海辺。通り過ぎた船のウエーキ、立体交差する道路。 首都高速が見え巨大都市の稠密で入り組んだ空間に侵入していく感覚。
12:00 新宿はその喧噪が懐かしかった。
ホテルは新南口から歩いてすぐだったがチェックインまではまだ時間があった。 荷物だけ預けランチに出かける。
歩き回って結局「ライオン」にする。 牛カツレツの定食、牛タンの定食、スクランブルハンバーグ定食など。
地下の客席ホールは予想に反して混んでいた。やはり局部的な昼間人口の多さは特筆すべきだ。 サラリーマンが非常に多い。

13:00高島屋10fへ 思ったよりセキュリティが厳しくない。
10fはまだ比較的閑散としていた。薄暗いマネキンの並ぶ空間。 ぼくらのブースはその先に有った。
まだ冷蔵冷凍の機械や、電磁調理器具の配線が取り散らかされた状態だ。
バックヤードがありそうだったのでウラに鉄の扉をあけて入ろうとすると 作業着を来た男がでてきた。
ここは立ち入り禁止だ一切禁止だ、というようなことをややけんのある言い方でこっちに向かって歩きながらいった。
電磁調理器具用のフライパンが重すぎて使えなかった。 あまりにも鈍重だし、中のものをどんぶりに返すということができなかったのだ。
ヤマゲンにきいてももうひとりの高島屋の人に聞いてもはっきりした対応は無く、途方にくれる。途方に暮れるというのも予定のうちだ。
新しい場所、新しい道具でなんとかモノ作りをやるしかない。
身長195センチリーゼント頭の葛西さんに電話してどうにかしてくれと頼む 電話が途切れがちだが「マツモトをはりつかせるから」という返答はもらう。 この葛西さんは数週間前突然熊本の紅蘭亭フロントに現れた。事前調査にきたわけである。
食料品バイヤーの仕事は要するにスカウトである。日本全国をこうやって回るのだろう。

フロントに現れた葛西氏はツクリモノのようなリーゼントで 「以前北海道のいくらドンブリやったときは写真とちょっと分量が違うというクレームがはいってシャコク出してそれで4000万ですよ。」 シャコクとは陳謝広告のことか。 「バーンとシャコクですよ。」 両手を丁度新聞の1面の幅くらいに広げてそういった。 帰りに立ち上がるとあまりにも背が高いのでびっくりした。なんとなく存在そのものがウソっぽい。
あれから2週間ぼくらは新宿で再遭遇したのだ。 葛西氏のリーゼントは絶好調となってひさしのように張り出している。
ちょっとした小雨なら傘はいるまい。エレベーターの壁に「極端な髪の色、服装はやめましょう」と張り紙がしてあったがこのひさしはいいのかね。

ナベ問題はあっけなく解決した。結局手持ちの鉄ナベを使用したらそれでよかったのだ。 最初からそうすればよかったのだ。
モノのレイアウト、原材料などが全てそろったところで退出

18:00 ホテルにいったん帰り夜の新宿に出る。
シャツ1枚の岩田は少し寒そうだ。 会話の最後に「じゃん」か「さあ」をつければわれわれの熊本弁も東京弁のように聞こえるのではないかとさかんにぼくと岩田で練習する。 「こらやっぱさみーねー東京は、、、、、、じゃん。」とか 「よかじゃんかさあ。」とか。

歌舞伎町に「葉青」という台湾料理屋をみつけてはいる。 コブクロの炒めがうまい。
ぎゃはと笑っちゃうような丸い分厚いワイングラスのなりそこねみたいなグラスで生ビールが来た。
あれやこれやと料理の話しをしつつ食事。接客がいい。恐らくオーナーのひとりであろう女性マネージャーの動きが良い。
少し歩いてホテルに帰る。まだ8時台だ。 矢野の部屋でちょっとミーティング。 自室へそれぞれ帰る。
小さいが清潔な部屋でそれぞれ何を思っているのか。
1メートル四方の窓をあけると電車の音が飛び込んできて向かいのビルの非常階段が視界一面に広がっている。

ああまた新宿に戻ってきたぞこれから一週間だなと夜の冷気に当たりながら思う。

 
道で寝る男2
作者 Administrator   
2005/09/12 月曜日 13:49:20 JST

夏の午後であった。
8月ももう終わりで商店街のアーケードには午後の喧噪が 潮騒のように広がっている。
脇道にはいったところで休む男をみつけた。
丁度腰掛けるにいい石造りの縁石に座り背中を曲げて首をうなだれている。
よく寝ている。
目の前には業務用のごつい自転車、後部のプラスティックの箱には新聞紙が見える。
野菜かなにかの配達の途中だろう。 疲れた魚のようだ。
川に行くと岸辺の薮の足下でよく魚が休んでいる。それに似ている。
雨のあと奔流に もまれた大きな鯉などがよくそうしている。 バランスの取り方が絶妙だ。
重い頭が上についているので傍目からみると非常に不安定に見える。
「おきあがりこぼし」の逆である。
ぞうりに短パンをはいた足はちんまりと前方にまとまめられ腰は次第に湾曲しつつそ のカーブによって頭をつり下げている。
丈夫な短い釣り竿にすごく重いおもりをつけたような状態を想像していただければよ い。
そふしてゆうらりゆうらりと揺れている。
後ろにヒックリ返りはしやせんかと 心配するがそふなる事前に腰でコントロールしている。
名人の域に達しているといえよう。
彼は今このひとときの人生をこのようにしてやり過ごしている。
幼き頃の海辺での思ひ出が彼の胸に去来し、彼の長年の労働に報いてきた両手はまっ すぐに垂れ下がり一つのバラストとなって働きつつ軽く握られている。
嗚呼、白日の夏の夢はいまいずこ。
この人の来し方行く末を思ふ。
アアケイドのさんざめく人声が遠くなる。
傍らの街路樹で蝉が低く鳴いている。


急に涼しくなったようで・・お盆の頃の猛暑が懐かしい。
「まだまだぁ~!」と暑さに逆ギレしてた頃、ヨーコージから投稿があっておった。
(以下投稿) 道で寝る男

真夏の朝10時とある繁華街のゲーセンで熟睡する男をみつけた。
まっすぐに立つということを忘れ去った肉体は見事なまでの脱力である。
この男のねじれ具合をみるがいい。
段下の石畳に右足のかかとをあずけ、左足は臀部への負担を軽減するかのように右足 の下に上手に折り畳まれている。
「おれもおええやあ、カワグチ部長もリカコももうええやあ。」 という「おれもおええやあ」という精神状態のまま倒れふしたのだろう。
「昭和生まれ哀愁の午前4時あきらめの夏」であろうか。
いずれにせよ彼をそうせしめた原因よりもわたしをとらえたのはその姿勢であり、力 の抜け方であり、彼の平和そのものの顔の表情であった。
彼の頭蓋にはタイヤのゴムがアスファルトを噛む音が聞こえているに違いない。
すでに日差しは白熱し、気温は30度を超えている。

 
熊本カヤック紀行その23 湯島海峡横断
作者 Administrator   
2005/06/30 木曜日 13:46:50 JST


一回の下見、江津湖での演習をふまえついに実行の日がきた。
昨夜は興奮して眠れなかった。
宮本ボートでバラスト用のタンクに水を入れ2個準備。風が強い場合は役に立つだろう。
ついでに艇やからだを洗える、水を捨てればフロートにもなる。 15キロが二個。

佐藤kは0558時にジムニーに乗ってやってきた。
「いやあきのうは寝れませんでした。興奮して。」 kはいきなり後部座席から食料の入ったビニール袋を出した。
中身はリンゴ/チョコバー/魚肉ソーセージ/カロリーメート/黒砂糖飴 など。底の方に鮫よけの乾電池が数個。
非常用食料だといってまっさきに魚肉ソーセージのあの不気味なオレンジ色のビニールをむき始めた。 かなりな緊張状態とみた。
とりあえず荷物をすべておれのレガシーに移し。

0500時;
江津湖宮本ボート出発 途中空模様、が気になる。雲が結構南から走っている。海上は風があるかもしれない。 宇土半島、太田尾付近から渺々と広がる島原湾が見える。幸い風はそれほどでもなく波の様子もおだやかだ。これならいけそうだ。  青空ものぞく。

0600時:
天草大矢野着       
七つ割漁港にてセットアップ 僕の艇は昨夜雨のそぼ降る100円駐車でほぼ組み立て終わっていたのでkの乗る方を2人で組む。
この七つ割漁港は湯島までの最短距離だ。約5キロちょっとだろう。1時間ほどが適度な速さだ。
組み立てながら海をのぞくと大変透明度が高いのに驚く。甑島などと似た水の色だ。6月最後の海の色は翡翠色だった。、
犬を連れた女性が立ち寄り、犬にともなくわれわれにともなく話しかける。 「うわあ、いいねえ、おにいちゃんたちいいねえ。」
犬は知らんふり。 「まああ、かっこいいねえ。」犬はしきりに傍らの薮でにおいを嗅いでいる。

  湯島は目前に洗面器を伏せたように見えている。 朝の光は海に反射してまだ不安定だ。雲も低くどう変わるかわからない。
伴走船の松尾さんが大盛丸という立派な漁船で入港。直前に電話で連絡を取り合っていた。
道具を詰め込んでkから先に出航。船底のチェックなどする。ぼくも追って出航。ああこのどきどきはなんだ。よし棍棒も積み込んだ。

0655時:出航 短い埠頭を回り込んで直線にて湯島をめざす。 水温は高い。
大盛丸はつかず離れずで左後方をついてくる様子だ。 波は穏やか、風もほぼないでいる。小潮の停滞をみての作戦行動があたった。
一気に湯島までいきたい。 右奥に雲をいただいた雲仙島原が大きく見え左に天草下島が広がる。 たことりの漁船が数隻みえる。 のどかな風景だ。
Kがやや遅れてついてくるが十分対応できている。さすがライフセーバーだ。
飛び魚が一匹僕の前を横切った。背中がはっとするほど美しい。海の化身のよう。
アップダウンが心地よい。波の谷底で加速する。水面の揺れ、最初の軽い疲労がすぎてリズムが出てくる。
広い空間とスピード、肉体のバランスがうまくかみ合ってくるのがわかる。  

30分こいで小休止。 左に小島。ウーロン茶を手渡しでkからもらう。空に大きな晴れ間が見え る。
日が射して海の色が明るいグリーンに変わる。この辺は浅いようだ。 Kは大汗をかいている。ちょっとペースが速いかもしれない。
しかし 今日は早めの方が全般いいはずだ。 後半は湯島港の手前までほぼ一気にいった。よかった、鮫はいなかった。

大盛丸に艇を寄せて松尾船長と打ち合わせ。
「西側の海水浴場に上陸しょかなーと思うんですが。」
「なら南からまわりましょかね。今日はフカ狩りしよるです。港は通りにっか。」 えっフカ狩り?
「まだ時間も余裕があるけんですね。」
海面から見上げると松尾さんの真っ白いtシャツから赤黒く日焼けしたウデが見える。
Kが右手の浜辺をすすめるが結局港を通って内部のスロープからの上陸。 大盛丸の先導で我々カヤック艦隊はしずしずと湯島港にはいった。
埠頭に比較的大きな漁船が入ってきている。どうやらフカ狩り船らしい。
堤防に人だかりがしている。そうかほんとにフカはいるんだな。
と思ってよくみていたらちょうど3メーターほどのシュモクザメがその邪悪な姿をクレーンでつり下げられておるではないか。
げえっ! ぼくはジャッククストーの記録映画などでたくさん鮫の映像はみたが実際にみたのは初めてだった。
そのかたわらを通り過ぎて埠頭を回り込むと湯島の内懐だ。狭い斜面に数十戸の民家がかたをよせあっている。

 
0750時:湯島入港 一番おくまったところで上陸。Kと握手。 さっそく港まで鮫を見に行った。 大盛丸の松尾さんもいっしょだ。
どす黒い血を流しながら200キロから300キロのしゅもくざめが荷揚げされている。
「観光フカ狩りツアー」のおじさんおばさんたちが遠巻きにして多数それをみている。 歯はすべて船上で取り除いてあり鮫の口元は血まみれだ。離れた目は真っ黒で表情がない。形容しがたいグレーの肉体は見事な流線型で速さと力の象徴だ。 全身これ筋肉。
群衆をかきわけて触ってみた。さかなですると「ぎっ」と指がひっかかる。うむこれが鮫肌か。と納得。
ムこりゃかなわんー と僕は思った。水中でこんなのに襲われたらイチコロでアウトである。つくづくおれたちは馬鹿だと思った。
この圧倒的なパワーは乾電池や棍棒で防げるはずはない。畏怖すべき動物だ。 ばばさんたちがフカは完全に死んでるのを納得したらしく、
横たわったフカの上に数人で座りピースサインで記念写真をとったりしている。

いかにも精悍な初老の漁師に聞いてみたら餌は穴子だそうだ。 大きさはやはり200から300キロ。
出刃包丁を持ったフカ漁師が「ひれはいらんですかさしあぐっですよ。」 といっている。数人の人がひれをもらっている。
紫のジャンパーを着たおじさんが出てきた。 「これは中華のフカヒレといっしょですもんな。」 ばっと皆が聞き耳をたてる。
中華のふかひれはほぼヨシキリザメと相場は決まっている。これはハンマーヘッド、シュモクザメだ。
どうやって食べるんですかという質問に 「やっぱりうまい具合きってからそのまま吸い物に。」 いやそりゃ違うと思うが。
「ほすと時間がかかるけんですね。」 知ったかぶりの権化である。 だが数人の人が鰭をくれと言い出した。もらっても困るのになあ。
だまされたふりをしてぼくらは一番でかい尻びれをもらった。 それを持って船小屋の下のカヤックにもどりふねを引き上げる。

「ふとかつのとれたなあー。」とくわえたばこの漁師が気軽に声をかけてくる。
「はあ、この辺に中華屋さんはなかですか、売ろうと思ってですね。」 というと「うしゃうしゃ」と笑っている。
年寄りがのびのびとしていて気分が良い。

やっこらとカヤックをコンクリートの岸壁におろすと木陰のパゴラで数名の日焼けした漁師がいかにもゆっくりとくつろいでいる。
Kとぼくは30キロのカヤックとフカヒレを下げて港内をうろうろした。 とある雑貨や(一軒しかない)にはいり缶ビールと醤油を購入。
鮫を食おうというのだ。 とりあえず乾杯。 しっぽのくびれの赤身を少し削って食べた。血の味がこゆすぎる。さっと霜降りにしたらうまいだろうなと思った。
Kのもってきたスイスのアーミーナイフで皮をはぎとってみた。 まず皮が硬い。刃がなかなかたたない。ざぎぎと刃をやっとの思いで入れて何度も小刻みに動かしていく、白い腱があらわれるがこれがまた強い。 通りすがりの人が見物していく。
「そらどぎゃんして食うとな?」と尋ねる観光客らしいおじいさん。 伴走の大盛丸を紹介してくれた昭和丸の姉さんもきてくれた。
不思議とだれもが警戒心がない。普通に挨拶し普通に話すのが不思議だ。 なぜか安らぐ。湯島はそういうところだ。  


重いカヤックをおいてフカヒレをぶらさげ西側にある海水浴場に行った。 道ばたの花がきれいだ。小さな冒険のあとは特にそう感じる。
水中眼鏡をつけて泳ぐ。冷たい水が心地よい。何度か小さな湾を往復する。 港の水がきれいでうれしい。このまま美しくあってほしい。
危険からの解放感もあり爽快だ。時間もまだ9時半過ぎだ。
フカヒレを両手両足ではさんでkが泳いでいる。 後ろ向きにかなりな速さで進んでいるがちょうど鮫に襲われているようにもみえる。
これが洋上で沈したあとの現実でなくてよかった。ぼくもKと同じことをやてみた。 鮫の切り口からまだピンク色の血が出ている。
「ほんとなら6キロさきから鮫がよってくるはずですよね。」とKがいう。 鮫の鰭を手でもって遠投したが数メートル向こうに落ちただけで水中をみると 切断された優雅なそれは低く沖に向かって滑空していく。
もうちょっと沖合にすてようということで沈んだそれを再度拾い、「ぶどう玉」(これなんていうのかな海水浴場でよくあるやつ)の向こうにKがすてた。
鮫は止まったら沈むという。
かつて数年にわたり名もないシュモクザメを縦横無尽に駆け巡らせたそのひれは静かに湯島のかたわらに沈んだ。

ぼくはしばらく泳いだ。沖合に風が立ち始め、海が少し動き出した様子だ。 小潮の停滞時間が終わったのだ。波も出てきた。 透明なはずの水の分子が無限に重なるグリーンの沖合からやってくる鮫の幻影に急におびえ陸に上がった。あがって魚肉ソーセージを食べた。無性にうまかっ た。  

新たな雲が西からやってくるはずだがその向こうには目も開いていられないほどの夏の光と空間がある。
ほんのわずかな天気雨がその知らせだ。

 
番外編 「ウエムラの頭」
作者 Administrator   
2005/05/20 金曜日 00:00:00 JST

5月下旬にしてはうすら寒い。
朝から前衛劇団ゼーロンの会代表、上村清彦から電話があり「きてください」 というので指定の場所崇城大学芸術学部までいった。
11時に打ち合わせをするはずだったナベもいっしょだ。 アリーナ上になった広い空き地に上村は首だけ出して生き埋めになっていた。
野菜のようである。芋かキャベツか。 一個だけ収穫されそこねたそれ。かまたは他は全部死んで上村の首だけが実った。そんな感じだ。
彼の首から下は完全に地中にある。それは根っこなのだ。 周りでは芸術学部の学生がてんでにスコップを使って最後の仕上げをして
いる。

上村は愉快そうだ。


「上村さんなにやってんですか?」 と聞いたが首をまわせないので笑顔だけが斜め上から見下ろせる。 ああ葉山さん、と言って目前の大地と雑草の狭い狭い彼の目のために用意された庭をみている。
上村の目の前には段ボールがしいてあってその前に人がひとり寝転べるようになっている。
ナベがそこに寝転んで上村と話している間にぼくはソプラノサックスをとりに車へ帰った。
左手にサックスを下げて戻ってきたときはまだナベと上村は話していたが。 かまわず吹いた。学生どもがおおとかなんか言っている。
そのまま最低音のBフラットを吹きながらかがんで上村の頭に吹き出し口をおいた。 上村の五分刈りの頭によって音はやんだ。「おお」と声があがる。 上村は嬉しそうにしているに違いない。ボクの吹き込む息と上村の頭はソプラノサックスによって隔たっている。手でもたなくていいいので楽だ。
再び上村の頭から吹き出し口をはずすととまっていた息が入って音がまた出る。「すごいすごい」と誰か言っている。
何度かそれを繰り返す。 アリーナ上の校舎の向こうから白蛇マリーがやってきた。
「あら葉山さん」 「これはこれはマリーさん」
うすでのワンピースの上にバスタオルのようなものを羽織っている。ヌードのモデルをきょうはやっているそうだ。
ちょうどナベの話も終ったのでサックスを吹きながらその場を去る。
校舎の前のロータリーを通る際に運転席の窓から上村に声をかけたが 数十メートル下方に見える「上村の頭」からはなんの反応も得られない。
少し動いたようだ。 何かぼくに向かって言ったのかもしれないがわからない。小さすぎる。 石ころと何ら変わりはない上村の頭。

 
番外編 「大阪食博なべふり三昧記その1」
作者 Administrator   
2005/04/27 水曜日 00:00:00 JST

大阪鍋ふり日記1 2005年4月27日(水)
アキオとユージ、オレの三人組はボーイングに乗って春遅い空に斜めに突き刺さっていった。
飛行機からの視程が非常によく阿蘇の噴煙と大分の海が同時に見えた。
四国近辺と瀬戸内の海はまるで銭湯の絵のようで数千メートル下には小さな漁船が蝟集しているさま、繊細な山肌にいくつかの集落がよりそっているのが見えて飽きなかった。


出発前朝六時半アキオは数分遅れてきた。いつものように漫画喫茶で夜明かしをしておくれたんじゃないかとユージは早朝の空気にハイライトメンソールの煙を吐き出しながら言った。
アキオはタクシーの中でよくしゃべった。
アキオ: 「太平燕のホームページ作ってるサイトーさんて言う人はウチの隣で  床屋さんしよらすです。」
「専務によろしくていいよらしたです。」
ボク: 「ヘー」「じゃあ今度頭に春雨乗せていってすいません切ってくださあい。」 ていうのはどうだと言うと
前の席でユージが笑った。
アキオ:「何年か前の台風のときは瓦が今は高いけんもう少し待ってくれていうて待ちきらん人にはもうよそでしてくれていいました。」
「あんときゃすごかったです。」
ボク; 「あ、そう」

アキオは37歳。実家は工務店でやつは調理師の仕事を選んだ。 金太郎のような体に眼鏡が似合う。密な髪の毛はスポーツ刈りだ。
離陸のとき妙に静かになったなとよこめで見たら薄っすらと笑いを浮かべて半眼になっている。
あとで聞いたら 「離陸が苦手で恐ろしかったんです。」ということであった。
「あのギューンて行くときがだめです。」とオレンジ色のポロシャツから突き出した腕を斜めにしていった。

  伊丹に着陸後空港の外に出たらまるで初夏のような日差しだ。 風に少し冷ややかさがある。
千里中央までモノレイルでいき阿波座まで中央線で「ニューオリエンタルホテル」にチェックイン11時頃。 安い。「毎日の掃除無し」だともっと安い。いい加減だが実質的だ。
食博覧会会場のインテックス大阪はここから25分ほどだろうか。 空いた電車の車両ではアキオは漫画を読んでいる。いつの間に買ったのかと思い聞いて見たら 「拾いました。」とのことであった。
いつの間にか大阪港が見えている。タンカーが何隻か。 会場インテックスは巨大であった。
巨大なドームが6個ほどありそのすべてを食関係の展示、即売、実演、イベントで占めようというのだ。
資材を運ぶ人、恐らく徹夜明けの作業員がそこら中で寝たり、座ったり、ドリルの音、すごい喧噪の中迷いながらわれらのブースを探す。

われわれの小間は熊本県のブースの半分をしめていた。このドーム全体が「ふるさと街道」という日本全国のウマいもの大集合という趣向らしい。 そのほんの片隅のいかにも目立たないところにぼくらのコーナーはあった。

  幅5メートル奥行き2メートル50くらいか。 見てうむむと思う。
まず防火ができてない。床は普通のグレーのカーペット。壁はたたくと単なるベニヤに紙をはったようなもの。でかいさいころを組み合わせたお立ち台のような 箱の上にガスレンジが2基。ローレンジが2基。鍋は普通に洗う事はできないのでいちいちシンクで洗わねばならない。 排気設備は無い。 油ばんばん使っていいのだろうか。
まあたいていの事はなんとかなるものだ。新宿伊勢丹の春のイベントでもなんとかなったし。

 防火板をレンジの背後にリクエストする。ガスがなかなか開かずガスの担当者に電話するが心細い声で「何時になるかわからへんのですわー。」 冷蔵庫を開けると通電前で非常に臭い。消臭剤をもとめて隣の駅まで行く。
準備その他が済んで19:00時 アキオとユージ、ぼくは素早くなんば、道頓堀方面の夜の迷路へ去った。
以前から気になっていたおはぎ専門店でおはぎ3個、きな粉おはぎ3個購入  縁辺路とかいう吉林省出身の人の店で食事。
次から次に現れる路地に 脚が棒のようになるまで歩く。
視界の届く限り続く隘路の灯火。ネオン、道頓堀の鈍い光。ソウルメートというお好み焼き屋で葱焼きを食す。 宗右衛門町がいい。何度も迷う。
「だけんあっちていうたじゃなかですか」とアキオがいう。わかっとるよアキオちゃん。 明日からが問題だ。10日間の戦いやいかに。

 
熊本カヤック紀行3
作者 Administrator   
2004/09/18 土曜日 00:00:00 JST

「菊池川河口」2004年9月18日 8:00過ぎ上熊本から本妙寺を抜け、
雲を少しだけまとった金峰山を超えて河内へ出る。
右に曲がって30分ちょっとで菊池川の河口にぶつかる。
「新大浜橋」から川沿いの道を進むと茫漠とした河口の風景がみえてくる。
1の橋としての新大浜橋から下は護岸工事がほぼ全域を覆っている。
いつ降った雨の分だろうか、水たまりをさけながらカヤックをおろせるところをさがす。

海までもう2~3キロの地点で適当なところを選び車を止める。かたわらに カヤックをおける丁度いい芝生もある。
骨組みだけにして屋根に積んでいたフォールディングカヤックをおろして 組み立てる。
カヤックを肩に、細い急な階段をおりると、海から川につながる漠として茶色がかった水面を風が吹いてくる。

有明海から吹く風だ。 遠くに普賢岳がかすんでいる。 波はほぼない。
護岸のコンクリートから水面まで14,5メートルの水平な石組の土手が続いていて
その上をよろけつつ歩いてカヌーを水におろした。
とりあえず上流に向かってみるかと舳先をさきほどの橋にむける。
対岸まで2,300メートルはあるのだろうか?  

海に出ていく漁船が数隻。海苔か船釣りだろうか。2キロほどさかのぼるともう橋だ。
さらに上流に向かうとすこしづつ生活のにおいがしてくる。
小さな漁船たまり。川岸を竹を積んで走る自転車のおじいさん。
たき火のにおい。どこかでやってる運動会のアナウンスが風に乗ってときどき 聞こえてくる。

 護岸工事もとぎれがちになってきて釣り人もちらほら見える。
水も見た感じそれほど汚れてはおらず、ごみの類もそれほど目立たない。
同時に生き物の気配はなく、目標物のない広い水域を漕いでも進んでいる実感があまりないせいか
ちょっと白昼夢のような感じがする。
これはたとえば海を漕いで渡っても退屈するものかもしれないなと思う。
たとえば霧の海を何キロも漕ぐとしたら、、、そういったことに平然と耐える人間は少ないだろうなと思う。

引き返す途中で天気雨に見まわれる。
どうせ水だらけの中にいるわけだから 全く気にならない。
雨の水滴がきもちよく肌を冷却してくれる。
前方にくっきりと漣が立っていてどうもそこから先が海らしい。
海から風が吹いてくる。
人気のない小さな漁船だまりがあり 低い短い突堤にカヤックを寄せると小さな飛びハゼが
それにしがみついて 身を空気にさらしているのをみつけた。
よくみるとごく小さな川蜷の類も 群生している。この小さな生き物たちは大きくなれるのだろうか?

 再び舳先をかえして川の中央にもどる。
数キロ下の海と接するところで巨大な工事機械が動いていて規則的なくい打ちの音がこだましてくる。
曇り空と泥色を基調とする灰色の風景。

 以前訪れた柳川の海辺もそうだしここもそうだが共通して
「かえりみられない場所」の雰囲気がする。「果て」の雰囲気でもある。
海でもなく、陸でもなく、沼地でもなく、川でもない、そのくせに妙に広いからとらえようのない広がりなのだ。
広がりとはこの場合「時間」でもある。
有明海特有の、あるいはこのような内海の持つ「保護された時間感覚」ともいうべき広がりは不可思議である。
青空の間から雨がぽつぽつと降ってくる。 ためしにちょっとだけ水に指を浸してなめてみたら完全な塩味だった。
数キロ先には有明海が広がっているのだ。  

さきほどのフネをおろしたところにたどりつくと石組みの土手は折からの
満ち潮で消えていたので直接護岸コンクリの階段にカヌーをつけた。
船をあげて数分後にはその階段も漣が洗っていて飛びハゼが数匹じっと していた。
かたわらに小さな蟹が一匹。 雨がやんだのでカヤックから外皮殻をはずし土手の芝生に干す。
黒いゴムでできた腹は小型の鯨の皮をはいできたような感じだ。
次は中流域たとえば菊池市の上あたりから海まで下ってみようかと思う。

                        了
今回カヌー運搬中風の抵抗を出来るだけ少なくし、スタンバイのための時間を
短縮するために前日に構造体だけ組み上げて、外皮殻のセットは現地で行うように工夫した。
いいと思ったが塩水はやはり注意しないと運転中構造体のパイプに残った
それがしずくになってでてきてボンネットに塩水のシミを残す可能性がある。       

 

 
熊本カヤック紀行 その2
作者 Administrator   
2004/09/08 水曜日 00:00:00 JST

最上流の「蘭亭芭蕉園林」跡

2004年9月初旬 台風あけの2度目の江津湖。
思えば自転車が空中に浮くほどの風であった。
早朝のつもりが7時過ぎに起床。 朝食を待っていたら8時過ぎの出発になってしまった。
8時過ぎというと通勤・通学ラッシュであるということにここ十年来 気付いていなかった。

愛車スバルのルーフにカヤックなぞ積んでそんな中を行くとちょっと 申し訳ない。
大甲橋の舗道を自転車の中高生が群れて走っている。
顔色のいいの悪いの、いろいろだ。がんばって勉強しなよ。

薄曇りだがあとで日が照りそうだ。 台風後の江津湖は閑散としていた。
下流域には今回行かず。上流のみにする。
ウィークデイのせいもあろうが 見渡したところ釣り人もランナーも見あたらない。

湖面に乗り出すとなまなましい植物のにおいが濃く漂っている。
水中の様子を観察しながら進めていく。  
藻の群生に陸上の吹きちぎられた木々が絡みとられている。
中にはなんの 実であろうかそれを枝一杯につけたものもある。
なんとなく「終戦後」と言った雰囲気である。

江津湖の底は上流域以外は泥地らしく雨による増水で巻き上げられた泥が藻のうえに付着している。
90センチほどの鯉の背中が泥を被ってじっとしているのが藻の切れ目に見えたので
「これはこんなとこで死んでいるな。」 と背中をパドルでつついてみたら、生きていた。
大慌てで藻の下に逃げ込んでいく。魚というのは昼寝をするものらしい。日光がはやくも照っている。

「お魚さんの昼寝」は上流でもみられた。
きれいな流れ込みで泳いでパンツが濡れたので芦の生えた茂みにカヤックを乗り入れあたりを見回して
ふりちんになっていると足下でブラックバスの40センチくらいのやつが隠れていた。
「無駄なことはせず、必要なことだけしてできるだけ楽に生きる」 のが自然界の決まりなのだろう。
あれだけの台風ならば水中においてもなんらかの大騒ぎが有ったに違いなく、魚たちもそのせいで疲れているのだ。
ことに大きい魚ほど疲れやすいような気がする。

濁りのない上流で泳いでみる。不思議と目を開けても全然痛くないのはつまりこれが当たり前なのだろう。
プールの水は目を開けると目玉が収縮するような 痛みがある。えらい違いではないか。
多少生活排水が混じっていても こっちのほうがまともな水ではないか。
水は冷たく、長時間の遊泳は無理。 そのままカヤックにはい上がり途中降りて曳航しつつ上流を目指す。

左に木陰に包まれた住宅が迫り見覚えのあるカフェがその向こうにある。
右側には近代文学館の建物が芭蕉の林の向こうに見え隠れしている。

中高年の散歩者が数名。
浅瀬を曳航しているとおじさんが話しかけてくる。
「よかなー、帽子がにおうとる。」などといわれる。
地元の住民らしい品のいい高年の女性が 「上は浅くなってるわよ。」とアドバイスをくれる。
鰻やがある橋のたもとまでいって引き返すことにする。
マンションの壁がそそり立っている、あからさまな生活排水はここまでは みかけなかった。
まあ直に廃水をすることはほぼないんだろうが水前寺水系というのか、
清流と生活の共存がここではまだ可能だという気がする。

川の両脇の住宅のオーナーも川との接点は考えているらしくコンクリートでかためた岸壁の下にはちょっとした桟橋や、
ブロックを積んで作った「専用指定釣り場」などが(恐らく勝手に)作ってある。
しかしまあそこで米を洗ったり、洗濯をしたりはしないのだろうと思いつつやや急流っぽい浅い流れをくだる。
樹木が張り出している所などここにカヤックを係留して本でも読みたいなとうところを見つける。

子供がひとり川岸を追いかけてきたので競争するが直線に近い分こちらが 速い。
目線が水面に近いせいもあろうが「快速」である。
前回見残していた上江津湖の東バイパス沿いの岸辺に行ってみる。
市民病院のみえるあたりで急激な淵を見つける。
ここまでは透明度もかなりあるが岸からの流れ出しはあまりにも人工的で、
流れが滞るところでは赤潮みたいなあぶくが浮いていて入り込む気にならない。

パドルの角度を変えて漕ぐ方式でやったら楽だった。野田知祐氏の写真を参考にやってみた。
今日はエアを注入するのを忘れていたが特に差し障りはなかった。
むしろショックを吸収させたりするにはフレキシビリティーはあったほうがいいのではないだろうか?
私の愛艇「ボイジャー460」は計量アルミの骨組みとてこによるテンション、+空気を側面に入れて剛性を保つ船である。
非常によく工夫された道具なのだ。  

1100時に船を揚げる。肩にくい込むカヌー越しに江津湖はひっそりと 休憩をとっているかのようであった。
ボート屋のおじさんがやっとでてきた。 街の喧噪にもどるときがきた。  

 
「熊本カヤック紀行」その1
作者 Administrator   
2004/09/05 日曜日 00:00:00 JST

0500時起床
江津湖畔江藤ボートハウスの先駐車場でカヤックの組み立て
所要時間;45分:自動販売機の灯りを頼りに。

夜が明け、進水。緊張が高まるなか初の船出である。
靄立ちこめる上江津より無事湖水に乗り出す。意外にスピードがあり、運動性も高い。
自転車に近い感覚。
まっすぐ下江津方向へ進める。流れは比較的あるが、帰りに 往生することはない程度だろう。

橋をくぐると幅がやや狭まり川面に濃い朝靄が立ちこめている。
透明度があり 生き物の気配が濃厚だ。密生した藻の切れたあたりは流量も多く速い流れだ。
魚影は非常にこゆい。
左に鮒の大群が走り、前方でなにやら大きな 尾鰭を見せて「がぼり」と消える魚。鯉か。
ながれが早いところでは電光のように横切る細身の魚。
藻がジャングルのようになっていてかっこうの孵化場、隠れ家になっているようだ。
藻の底で砂ほこりが立つ、何の生き物か。

もやの中に青さぎが超然と立っている。
遠くに矢部御船の山々、空は完全に 明けている。
下江津がひろびろと見えてくる。湖畔を走る人。歩く人。ルアー釣りをするひとがち らほらいる。
1メートル近い鯉が佇んでいてびっくり。
4人乗りカヌーの練習をする学生が遠くに見える。
中之島がありそれを回ると下江津 をぐるりと回ったことになるが遡行を考えて今日は上江津に引き返す。

まだ0640時。朝靄がほぼ切れてくる。
帰りに下、上江津の境界、東バイパス橋下で80センチほどのブラックバスをみる。
実に獰猛そうで野性味がある。ただ他にも時々みたが魚体に傷があり 痛々しい。
恐らくルアー釣りによるものではないだろうか。
「ブラッキー」と名付けよう。
ぼくを横目でじろりとみて「ブラッキー」は橋桁の向こうに消えていった。
かなりの年数を経た魚で、この橋近辺には釣り人ははいれないためヤツは ここを住みかにしているのだろう。
たいした存在感だ。

このカヤックはかなり遡行も出来ることに気付く。
無事上江津へもどる。 そのまま上江津の上流へ向かう。魚影がこゆい。
数十年前に「湖月」でみた どんかっちょ、ハヤの一種、などはこの辺にはまだ沢山いる。
「ああ、お前らまだ生きてたか!」と感動。
魚の様子がはっきりとみえるので 釣ろうという気はおきてこない。
見える魚は釣っても面白くはないものだ。
かなり透明度があり上江津も江藤ボートハウスのところまではほぼ水源の 清らかさを保っている。
流れも適度に速く、水量も比較的多い。

都市の真ん中に存在するこの流れは驚異的だ。 眺めて飽きない。
蘭亭芭蕉園琳跡あたりの流れ込みからなんとも芳しいにおいが水と共に流れてくる。
きんもくせいか?陶然とする。
祖父のことを思い出す。
さらにさかのぼり、近代文学館の建物がみえてくると川幅も狭くなる。
釣りをする人が針路上にあり、トラブルを避けることにして引き返す。
向こうもほっ としている。水前寺からくる流れだろうか。
清冽といっていい美しさ がある。
短いが変化に富んだ「水上散歩」の楽しみがここ江津にはある。
水源域・渓流域・湖水域・沼地・中流・湖水が絡み合っていて面白い。
魚類もそれに応じたバリエーションがある。

恐らく、うなぎ、鯰の類岸辺の中流域にはいるし、水源域には 沢ガニ、タニシもかなりいる。
渓流域でニジマスか何か渓流魚の姿もみかける。
深度もさまざま。水温も流れによって色々あり。浅い所を渡渉しているとはっきりと わかる。
中流域には何故か磯臭いところがありそこは岸辺に藪があったりで釣り師がはいれな いところである。
実はそこに魚が群れているようだ。

上江津の最上流には水泳に丁度いい透明度のところが数カ所。
次は水泳パンツに水中 めがねを持参しようか。
水底から何カ所も水が湧いている様子だ。
生活廃水は水源直下ではじまるため本当に遊泳が可能なのは蘭亭芭蕉園林跡 から100~200メートルだろう。  

ここは地上からのアクセスは道が狭くなかなか難しい。
そのおかげでこの状態を保 てているのではないか?
上流近辺で小さな流れ込みを見つけて遡行しようかと試みていると麦藁帽を 被った紳士が岸辺の散歩道からじっとみている。
その澄み切った流れは散歩道をくぐっ て出てきている。
自 分も細かい操作はまだできないので右往左往して90センチほどの流れにはいろう とするが結局あきらめた。
水深は20センチほど。

その紳士は口にメガフォンがわりにてをあてていろいろと聞いてくるので 「乗りますか?」といったら「えっ」という顔をして自分を自分で指さしている。か たわらの乗りこめそうなところで靴を脱いでもらい前席に乗せる。
浮き足立っている。楽しそうだ。一回りしてもとのところでおろす。 紳士は礼を言って去っていった。

1130時
船を揚げ陽射しを避けて朝カヤックを組み立てた自販機でメロンソーダを買う。
しょわっと飲み干すと湖面からひときわ強い風が吹き上げてきた。 貸しボートのおじさんが大きなあくびをした。

まだ夏は続く。 「ブラッキー」よまた会いに来るぞ。                          了 次回
用意したいもの    :水遊び用のスニーカー・長袖tシャツ・水中めがね    
ロープとアンカー・本・弁当・おやつ
冬季のスプレイカバーは必需品であろう。     
肩に担いで歩くにはクッションが欲しい。
目撃した生物    
:鮒    :鯉    :ブラックバス    :ハヤ    :タナゴ   
:ドンカッチョ    :沢蟹    :鱒(だと思う)   :タニシ    
他判別不能な魚類数種    :青サギ    :白さぎ    :アヒル    :鴨    :燕                           以上   
 

 
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