SECOND SIGHT

SECOND SIGHT TOP arrow まごころ農園だより
2018/07/19 木曜日 12:31:41 JST

ENJOY CONTENTS
TOP
世界のセカンドサイト
イザ!イナゴ団奮戦記!
アセンションプリーズ
まごころ農園だより
ぐりぐり日記アゲイン
まごころ農園だより
2009.1.12 農園だより「長い道のり」
作者 hayama   
2009/01/15 木曜日 20:19:33 JST

 

 

娘の朋世は家本を離れ、福岡県の私立の短大に通っています。

今年は成人式で、珍しく長く帰省しています。

帰っても友達と会う機会が多く、夕食を共にする事も少なくなりました。

 

「魚釣り行きたい」と言い出し、娘の空いた日を見はらかって、海に出かけました。

風が強く、波立ち、じっとしてても寒さが身に染みます。風に流され雨も混じっつて来ました。

娘はそれでも釣りたいと言うので、風のあたらない場所に車で移動しました。

そこだけ陽が当たり、風もありません。

釣り糸を垂れると、小型のメバルが数多く上がって来ました。

娘はかわいそうだからと釣れるたびに逃がしてやりました。

僕が釣った時も同じでした。

予定が詰まってると言う事で、一匹も持たず早々に引き上げて来ました。

長い道のりが、神様からの贈り物に思えて仕方ありませんでした。

 

さて、今日はそんな娘の成人式です。

朝から予約した美容院に行き、着付けをし、ハニーと連れ立って、いそいそと町の成人式会場へ。

父親はつまはじきです。

成人式に参観に行くねと聞かれたましたが、断わりました。

厚化粧した娘がこそばゆかったのです。

 

畑に行き、午前中に出荷、午後はこたつに入ると、うたた寝です。

家内と連れ立った娘は挨拶回りか帰って来ません。

一人こたつで目覚め、海で「まだ帰らない」と言った娘を思い浮かべていました。

 

 

 
まごころ農園日記 「痛風北風かあちゃん風」 by ユージン 2008.11.13
作者 hayama   
2008/11/13 木曜日 21:42:06 JST

痛風です。
なった人以外は、その痛さは理解出来ません。痛さたるや凄まじいものです。酒飲みでも、もう金輪際絶対酒は飲みません。と嘘をいうくらい。

家内も始めの2、3日はかいがいしく看病してくれますが、やがて面倒になります。
僕は僕で右足首の痛みが、右膝に移ります。七転八倒です。

「病院に行くたい」と何も知らない家内。
病院に行くどころか、触っても痛い。立てない。動かせない。息も出来ない。
「わたしなら、痛みを堪えて行くばってんね」
敵もよほど看病に飽きて来たな。痛みも左足の膝の間接、治ると左足首と親指と移ります。
食事も床から立てなくなって断ちます。絶食です。
トイレに立てないからです。
ただ水を飲むだけ。尿酸を体内から出さなくてはいけません。

今回すがったのが「自然療法」という本。
耳の痛い事が書いてありますが、今日は割愛して、湿布だけ。
パスターと言って、じゃがいもや里芋、豆腐とひね生姜を卸し、小麦粉で固めた物を和紙に伸ばし、患部に張るのですが、これが冷たくて気持ちいいんです。
それを布で巻いて終日過ごすのですが、夕方には熱で乾燥して、石膏みたいにガチガチ。
これを剥がすのが一苦労です。

看病に飽きた家内が、湿布を変えるのですが、僕は腫れ上がっている足が痛くて仕方ありません。
湿布を剥がすために、左足を触っただけで痛い。
「痛い」
家内は大きなため息を一つ。
「少しづつするけん痛い。一気にやってしまおう。痛いのも一瞬」
言われたらそうかも知れません。
「いくよ。1.2.3」
湿布を一気に剥がします。「痛い! 
家内が一言。
「剥げんかった」

畑に出れず、とうとうレストランから数名畑に来て、収穫してもらいました。
大根、ねぎ、かぶ、ラディッシュ、里芋など。

ご苦労様でした。m(__)m

 
メタボリック夫婦のダイエット
作者 Administrator   
2007/03/21 水曜日 16:52:23 JST

  ご多分にもれず、ダイエットと名のつくものには、何にでも手を出す家内は、勿論、 納豆ダイエットも、まっ先にです。
冷蔵庫の中には納豆のパックがいくつも入っていました。
50回かき回して、20分放置しないとダメらしく、食事前から準備していました。
かなりの人々が、納豆ダイエットをしているらしく、やがて、スーパーの納豆売り 場に商品が並んでいない日もありました。
考えてみますと、昔から朝食は、ご飯とみそ汁、納豆と決まっていました。みそ汁 の具が豆腐やアゲだと、大豆のオンパレードになります。味噌も大豆ですし、アゲも も納豆も豆腐も大豆です。
このいい食習慣が崩れて来ています。それで、僕としたら納豆大歓迎です。
家内は売り切れるたびに、高くともあったら買って来ます。そうなると、こちらは 遠慮しなくてはいけません。「痩せた?」と尋ねても「全然」という返事しかありま せんでした。
メタボリック夫婦は、家内が3キロ痩せたら、その方法で僕もやると言っていまし た。
そうこうしていると、新聞で「納豆ダイエットのデーター偽装」問題が表面化して、 テレビでも取り上げられ、テニヤワンヤの大騒ぎ。番組は打ち切り。スポンサーは降 りてしまいました。
納豆売り場に、納豆が戻り、平和が訪れました。
家内のダイエットもしばらくお休みと思いきや、今度は炭水化物を取らないダイエッ トだって。
米、麺類、パンからお好み焼きまでダメ。しかもお酒は最もダメ。「じゃ、焼酎に する」と言っても、それもダメ!
それもそうだろうナー。飲みながら食べるもん。
家内の主食は野菜スープ。「肉はいいんだよ」と少し食べます。 「不自由だろう?」と言っても、ご飯以外は制約がないから楽と涼しい顔です。
2週間が経ち、「どう、痩せた?」と恐る恐る尋ねます。3キロ痩せたら、僕も同 じ方法でやる約束をしているからです。 「うん」と得意満面。「何キロ?」と戦々恐々の僕。 「2週間で500グラム」ホッと胸を撫で下ろします。
僕なら、酒を断っただけで、5キロ痩せる自信があります。リバウンドが怖いけど・ ・・・。

 
朋 世の巣立ち前
作者 Administrator   
2007/02/14 水曜日 16:51:42 JST

 朋世はいつの間にか、高校三年です。 今年の春に卒業して、福岡県の私立の短大に 進路が決まりました。
考えてみますと、僕の中では、印象としては小学生のままです。大丈夫かな?とい うのが正直な気持ちです。
アパートを探しに行かなくてはいけないと、入学が決まった年末に思いましたが、 家内と休日が合わずにのびのびになっていました。
一月の半ば休日がお互いに取れ、娘を釣れて三人で福岡市までドライブとなりまし た。

短大の周りは、学生アパートがところ狭しと立ち並んでいました。
不動産屋さんに案内されて、いろいろ見て回りますが、なかなか安心して白雪姫を 預けられる所がありません。 何せ、年子で一度に二人のの大学生を持つに、余裕なんてある訳はありません。最 低の家賃のアパートは半ばスラム化して、男ばかり。中年の男も昼間からいます。 「わたし、ここでもいいよ」と朋世がいいます。親の懐を心配しての事でしょう。け なげな朋世。 「わたし、どこでも楽園にする自信があるから」
そのアパートは、結局は値段で見る事にしたのですが、学校から離れた高台の高級 住宅地にありました。  洋館の比較的に新しく、二階建てのアパートは上に三所帯、下に三所帯。1Kなが らロフトがついて、子供が喜びそうな「隠れ家」みたいな作りでした。

不動産屋さんによると、一時は学生が多く、アパートが足りなく、どんどんアパー トが建ち、少子化で学生が減った今、学校から遠いアパートは敬遠されているという 話でした。
「いいじゃん」と一番に気に入ったのが家内。陽の差す明るい部屋で、高台の窓から 街並みが一望できます。そこに決め、家路に着きました。
僕の中でいじめられていた小学生のままの朋世とも、もうすぐお別れなんだなー。

 
猫物語
作者 Administrator   
2006/12/10 日曜日 16:51:03 JST

猫の話です。
猫の名がみんなチーなのでややこしくなりなした。
元からいる猫を「タヌキ」。もう10歳を越えています。
先だって、避妊した猫を「よっちゃん」その子はt「テン」  タヌキ、よっちゃん、テンの3匹になりました。
まだ小さいテンは黄色の背中に、白い点の目印があります。だからテンです。なかなかなつかない警戒心の強い雄(オス)の子猫です。
まだ、タヌキは避妊していませんが、獣医さんの話では、猫は8歳から10歳を越えると、子は持たないと筈聞きました。
タヌキは10歳を越えています。10年前ここに来た時には子連れでした。
先日、タヌキの弟の近所の猫は、老衰で死にました。
近所の農家の人は「もう、そろそろばいた。避妊なんぞせんでちゃよか。後1~2年の寿命だけん」と安心しいてると、春になりタヌキが1匹の子猫を産みました。
それにくわえ雄〔オス〕猫ののテンが2匹の子猫を産みました。
「何だ、お前メスだったのか?」  頭はクラクラです。猫の避妊手術代は、1匹一万八千から2万円。  産まれた子猫の性別を見て、またクラクラ。3匹とも全部メス!。
子供たちが、来春から二人大学生、生活が逼迫してきているのに、猫の避妊がテンを含め、4匹。クラクラ。  避妊をしなかったら、春には何匹になるやら。餌代だけでも大変なのに・・。

今、現在、子猫たちは、半年経ち、大きくなりました。小屋で野菜の梱包をしていると、膝の上に1匹の子猫が上って来ます。1匹可愛がると、他の子猫も、テンも、よっちゃんばーちゃんも甘えてきます。
あぶれた子猫は爪を立て、背中を登ります。 「痛いって言うの」!! 膝から落ちそうにた子猫は、慌てて落ちまいと、爪を立ててふんばります。 「本当に痛いってば、いい加減にしなさい」又、風呂に入る時、しみるバイ。
あのね、おじさんは、そんなに猫好きじゃないの・・・。
小屋に出勤すると、喜び勇んだ子猫集団が軽トラの音を聞きつけ、駈け寄り、軽トラの下に潜り込みます。  慌てて止めて、キヤットフードを持って、小屋の中に、足もとに6匹の猫。  歩けません。
蛇退治に手なずけた猫。子猫たちは捕まえた蛇をくわえて持って来て、道具箱の中などに隠しているのです。  怖いったらありゃしない!。やぶ蛇だな~。

 
携帯電話のいたずら
作者 Administrator   
2006/09/15 金曜日 16:50:17 JST

 夏場の農作業は何が大変かと言いますと、草取りです。
暑い中、じっと太陽 に照らされて、もくもくと草を抜かなくてはいけません。
本当に恨めしいくらいに、草は伸びます。雨上がりになると、一面に草は元気づき、あたりを覆います。  真夏は朝の八時になると、もう日差しが強く、汗が滝のように流れ、草取りが出来ないような暑さになります。それでも、草は取らなくてはいけません。

そんな日々。夕方、枝豆の草を取っていた時です。枝豆が草で見えない状態でした。
胸ポケットに入れている携帯が、しゃがみ込んだ作業中に落ちます。ゴム手袋を外して、胸ポケットに戻し、又、落とします。
そうこうするうち、ズボンのポケットに移します。
作業ズボンのポケットは深く、重たい携帯は背後に回ります。
水戸の肛門様の近辺に落ち着き、玉の裏側に回って、おとなしくジッとしています。
こちらは、なかなか進まない草取りと、片づけなくてはいけない仕事で、焦る気持ちでいっぱいです。
しばらく、ジッとしていた、身体に馴染んだ携帯ちゃんが、ここぞとばかりに、突然、音楽を奏でます。
それはいいのですが、問題はバイブレーターです。
玉裏横町にへばりついた状態で、肛門様にアンテナの先ッチョをあてがい、バイブレーターは最高レベル5で直訴ですからたまりません。
平穏な日々の状態から、一気に雷でも受けた衝撃!
驚いたのなんのって騒ぎではありません。三メートル程飛び上がりました。 「ウアーッ!*§‡・・・・」何が起きたのか咄嗟には分かりません。 「こここ・・肛門様が・・・、お玉様が・・・」
気を取り直して、電話に出ます。相手は非通話。電話番号が出ません。一体誰だ!
先方さん、電話に出るなり、「間違いました」チンですよ。
何かい! 間違えたと言って、いきなり肛門様やお玉様に電気ショックを与えてもいいって言うのかい!
「あの声はレストラン、イル・ジャルディーノのHちゃんの声にそっくりでしたよ」見ていてやったのじゃないんだよね?

 
メール
作者 Administrator   
2006/06/18 日曜日 16:49:20 JST

 太郎達が高校を卒業しました。それぞれに進学して、多くの子供たちが親元を離れてしまいました。
親が寂しがる話にいとまはありません。特に母親は哀れなものです。
しかし、今や瞬時に対応出来る携帯電話があります。便利になりました。
その携帯電話を全員が持って、県外組は旅立ちました。
さて、親たちは、今までメールが苦手で敬遠していた人も、真剣にその方法をならい、親元を離れたわが子にメールを送ります。
あるお母さん、しつこいほど近況を聞いて、何か手料理を冷凍して送るけど,何がいいか最後に聞いたら。  返ってきた答えが「肉」の一言だけ。
別のお父さんが長い長いメールを送ったら、返事が「分かった」のみ。
その話を聞いた別のお父さん。 「いいですよ、返事があるだけ。うちは返事がないから、何度もメールを打ったら、お父さん、僕は大学に遊びに来ているんじゃないとよ。忙しいのに、たびたび用もないのにメールせんで」  

得意満面なお父さんがいました。 「うちは知らせて来ますよ。アパートと大学との距離から、みんなはどんな生活をしているかまでメールが来ます」
後日、その満面お父さんとコンビニで会いました。相変わらずメールが来ているのか聞きました。 「それが・・・。バイクが必要だと言うんで、お金がないから中古で探して、ローンの書類はこっちに送ってとメールしたらパタリ。なしのつぶてですよ」と苦 笑い。
僕は二十歳前の青年は、それ位で丁度いいと安堵しました。

 
チ-の避妊
作者 Administrator   
2006/06/09 金曜日 16:47:42 JST

 チーは農作業用に、廃屋を借りている所に住み込んだ、近所の猫です。餌を与えたら、居座ってしまいました。
昨年、二匹の子猫を持ち、一匹が生き残り、総勢三匹、手ぜまになってしまいました。
今年も、発情期が来て、近所の雄猫が寄って来たので、避妊をすることにしました。
捕まえて、袋に入れ、車用の収納庫に厳重にして入れました。それから軽トラの荷台に積んで、予約を入れたM動物病院に走りました。
診察室で収納庫を開けると、チ-は網の袋を出ていました。しばらく様子を伺っていたチーは、異様な雰囲気を察して、飛び出し診察室を逃げ回りました。
温厚な老年の先生の表情が一転しました。
チーは少しも留まることなく、棚の上に駆け上がり、薬箱を蹴散らし、注射器を落として割ったり、大暴れです。
先生は網を持って追い回します。
僕はチーの豹変ぶりが信じられません。「チ-」と呼んでも何のその。チーは少しもじっとしてなく、柱を駆け登り棚から棚へと飛び回り、床に飛び下り、机の上、こっちの棚と逃げ回ります。
雑多な物が散乱する中、先生はとうとうチ-を網で押さえ込みました。 「押さえておいて下さいよ」と手術台に、そのチ-が入った網を置き、麻酔を二本打ちました。
チーは僕に押さえられ、身動きが出来ません。 「五分で麻酔が効きます」しかし、五分たっても僕が手をゆるめると逃げようとします。 「興奮していると、麻酔が効きにくい」 もう一本麻酔をうちました。
暫くそうしていると、「もう、いいでしょう」と先生の言葉。
 そっと放してみると、目を開けたままのチーは、何の反応もありませんでした。 「目を開けてますが?」「麻酔が効いている間中、まぶたは閉じないのです」瞳孔は乾かないのか心配で、訝しい気持ちでした。 「手術を見ていきませんか?」と言われましたが、とても見る勇気はありませんでした。
小一時間、席を外し戻ると、「終りました」と先生の声。 「大きい子猫が二匹入ってましたよ」とアルマイトのトレイに入った、産まれる寸前と思われる子猫を見せられ、思わず合掌しました。
『育てる事ができないんだよ』と何度も言い訳を呟きました。
チーは言われる通り、目を開けたままでした。麻酔が効いたその体は死んでいる様でした。
眠ったままのチーを軽トラの助手席の床に横にして、作業小屋に戻って来ました。
まだ麻酔は効いたままで、眠っていました。新聞紙を敷いたコンテナにいれ、小屋の奥の暗がりに、そっと置きました。
僕は自分の作業に戻りましたが、小屋から離れる事は出来ず、小屋で出来る仕事をしました。

二時間くらい経つと、ゴソっとかすかな音がしました。そして叉。ゴソと音が続きます。
駆け寄ると、チ-が必死に逃げようとしています。 「チ-、大丈夫だよ」と言っても、麻酔で利かない肢体を、芋虫みたいにくねらせて、僕から懸命に逃げようとしています。
抱き上げ、椅子に座り撫でます。 「大丈夫だよ」このまま、一時間でも二時間でも信頼が回復するまで、抱いていようと思いました。
チーは麻酔の魔力から逃れるためにもがいている様でした。
首が少し動く、爪が少し動く。だんだんと僕への嫌悪感を表せるようになると、僕の腕の中でもがき、爪を立て『傍にいるのさえ嫌だ』と身悶えします。
コンテナに戻します。安静にしているように、上から蓋をしました。手足が利かない体で、お腹の傷口を地面にすり寄せる事が心配だったのです。
どうしたものか、途方に暮れていると、チーは眠りにつきました。
首尾よく近所の畜産家の若奥さんが、犬を二匹連れて散歩にやってきました。世間話の末に、眠っているチーを見せ、事情を話したら、一晩預かってもいいと言ってくれました。
早速、牛舎の事務所になっている小さなプレハブにチーを閉じ込めました。体力回復のための入院のつもりです。
翌日、迎えに来ると約束し、ねんごろにお礼を言って帰りました。
翌朝は相手が不在で、チーを迎えたのは昼でした。事務所の中で大人しくしていたチ-は、僕の顔を見るとけたたましくなき声を上げました。 「信じていたのに・・」怨み節にも聞こえました。
事務所のドアを開け放し、チ-自身で出るようにしました。今更、僕から抱っこされるのを嫌がると思えたからです。
一目散に逃げ、後を振り向く事もありませんでした。
僕の借りている作業小屋は目と鼻の先です。先に帰っているのかと思っていましたが、その日は、チーは姿を見せませんでした。
翌日も、小屋で作業をしましたが、戻らずじまいでした。
きっと、僕に見切りをつけたのでしょう。諦めかけた時、子猫を探すチ-がやって来ました。しきりに甘い声で子猫を呼んでいます。子猫がお腹にいるのを胎動で知っていたのです。きっと、愛しんでいたのだな。
連日、狐に摘まれたようなチ-が、わが子を探す姿がありました。

 
心残り
作者 Administrator   
2006/04/04 火曜日 16:46:40 JST

太郎も県外に出てしまいました。
太郎の友達も殆ど県外に就職、進学し、いなくなってしまいました。
ひとつ心残りがあります。家に招いて、焼肉でもしなければならない三人の友人達がいて、彼らはすでに関東に旅立ってしまいました。
あれは三学年になってからです。百名を越える人数を有するサッカー部は、一軍と称する部員は二十五名です。
公式戦でベンチに入れる人数は二十名で、予備を含めてその人数になっています。ですから、一軍でも試合が始まると、応援席に廻る選手が五名いることになります。
この一軍に入るために、皆必死です。
こんな先輩がいました。二軍の練習中にだらけていたので、Tコーチが、志気を高めるために、相撲を取らせたのです。
その時、弱気を見せたらいけないと、頭から双方突っ込み、額をお互いに切ったそうです。
片方の先輩の怪我がひどく、鮮血が流れ落ち、ユニホームが血に染まってきました。 「病院に行って来い」とTコーチ。するとその先輩。 「いえ、自分は大丈夫です。やらせてください」と言います。 「出血がひどいので、まず、病院に行ってから」とTコーチ。 「大丈夫です。やらせてください」と先輩もひきません。 Tコーチが何と言おうと、「大丈夫です、やれます」
とうとう、コーチは声を荒げて言うと、真っ赤に血で染まったユニホームで、悔し泣きをしたと聞きます。  取り囲んだ皆も、目は真っ赤だったそうです。
先輩は病院で十数針縫ったそうです。
事あるごとに、先輩の事を、太郎に尋ねますが、とうとう一軍上がらずじまいだったようです。
一軍が着られるベンチコートがあります。全国大会のみで着る純白のコートです。サッカー部員に「憧れのベンチコートと呼ばれています。
このコートのために懸命に努力し、しのぎを削ります。
ある遠征の時、一軍のメンバーが発表され、太郎は選外でした。
遠征とか大会の前の一軍のメンバーは学校で合宿をします。
どんな理由があったのか、体調を崩した選手がでたのかもしれません。欠員が出来ました。それで太郎が指名されました。
合宿なしの遠征です。
その夜、三名の二軍の友達が祝いの宴をしてくれました。マオ君、岩崎君、瀬口君です。
六百円のうどん定職を二百円ずつ出し合って、太郎の分を払ってくれました。
皆、進路が決まって、その三名を招いて、お礼をするつもりでした。
でも、三名ともぎりぎりまで進路が決まらず、見ている方がハラハラさせられました。チームメイトは地元を離れて行く中、進学が決まり、パッと手の届かない所に行ってしまいました。
とうとう、お礼も言わずじまいです。その妬みも持たず、太郎の一軍祝ってくれた純粋さが心に残り、その感謝を伝える機会を失った事が残念で仕方ありません。

 
太郎のひとりだち
作者 Administrator   
2006/03/30 木曜日 16:48:34 JST

 高校の三年間は。今思うとあっと言う間でした。
太郎のサッカーにかけた青春は、三年生の正月に、メインの高校選手権の全国大会でピークを迎え、それが終わると、卒業、進学と慌ただしく過ぎていきます。
太郎は早々に推薦で他県の大学に決めていましたので、春休みになると、アルバイトを始めました。
やりたかったという土方の仕事を見つけてくると、朝早くから、作業服を着て、自転車で出掛けて行きます。そして、決まってタオルを頭にかぶって戻ってきます。
数週間、そんな生活をして、初めて貰った給料で、みんなで外食しようと言い出し、隣町の回転寿司に案内してくれました。
それから、原付の免許を取り、中古のバイクを買い、得意満面で乗り回していました。
僕にも同じ経験があります。車の免許を取った時より、初めての原付の免許が嬉しかったのを覚えています。ある日、突然鳥になったような気持ちでした。
それで、大学のある山口県までやるつもりでした。太郎は大喜びです。
卒業式が終わり、進学が決まった仲間が、早々に熊本を離れて行きます。連日、送別会です。

いよいよ、太郎も熊本を離れる日がやってきました。
朝から太郎が起きてくるのを待っていましたが、なかなか起きてきません。思いつきでホットドックを作ったり、手持ち無沙汰でいけません。
太郎は十時過ぎに起きて来ました。 「朝ご飯を食べる?」と訊きましたが、いらないという返事でした。
「お父さん、二千円持ってない?」今から旅立つ者が、たかだかの二千円を無心するなんて・・。
財布の中の有り金の六千円を渡すと、「こんなにいいよ」と太郎が言います。 「持っていなさい。必要になるかもしれないから」駄目な父親の出来る最後の事です。 「ありがとう」 太郎は礼を言います。そのお金は妹と弟に渡す千円づつの小遣いだと、後で知りました。 「じゃ、行って来ます」と、まるで近くのスーパーに買い物でも出掛ける挨拶に聞こえました。
いつ帰るか分からない旅立ちです。あっけなく行ってしまうと、静寂が訪れ、柱時計の秒針の音が、重くのしかかってきます。
太郎の部屋を覗くと,荷物をまとめた段ボール箱が重ねられ、ハンガーにただ一着、今まで着ていた学生服が掛かっていました。
太郎が始末に迷ったのでしょう。その学生服は取り残され、主に見捨てられ困惑しているように見えました。
こんな時、母親は泣きたくなるんだろうなと思います。 「寂しいですよ」と人から何度も言われました。『なるほど』と納得しました。
親は何時か味わわなくてはいけない事なんだろうな。
僕も同じように希望だけを抱いて,旅立った事がありました。亡くなった僕の父も同じ感情を抱いたに違いありません。  

 
太郎のひとりだち
作者 Administrator   
2006/03/30 木曜日 16:45:50 JST

 高校の三年間は。今思うとあっと言う間でした。
太郎のサッカーにかけた青春は、三年生の正月に、メインの高校選手権の全国大会でピークを迎え、それが終わると、卒業、進学と慌ただしく過ぎていきます。
太郎は早々に推薦で他県の大学に決めていましたので、春休みになると、アルバイトを始めました。
やりたかったという土方の仕事を見つけてくると、朝早くから、作業服を着て、自転車で出掛けて行きます。そして、決まってタオルを頭にかぶって戻ってきます。
数週間、そんな生活をして、初めて貰った給料で、みんなで外食しようと言い出し、隣町の回転寿司に案内してくれました。
それから、原付の免許を取り、中古のバイクを買い、得意満面で乗り回していました。
僕にも同じ経験があります。車の免許を取った時より、初めての原付の免許が嬉しかったのを覚えています。ある日、突然鳥になったような気持ちでした。
それで、大学のある山口県までやるつもりでした。太郎は大喜びです。
卒業式が終わり、進学が決まった仲間が、早々に熊本を離れて行きます。連日、送別会です。

いよいよ、太郎も熊本を離れる日がやってきました。
朝から太郎が起きてくるのを待っていましたが、なかなか起きてきません。思いつきでホットドックを作ったり、手持ち無沙汰でいけません。
太郎は十時過ぎに起きて来ました。 「朝ご飯を食べる?」と訊きましたが、いらないという返事でした。
「お父さん、二千円持ってない?」今から旅立つ者が、たかだかの二千円を無心するなんて・・。
財布の中の有り金の六千円を渡すと、「こんなにいいよ」と太郎が言います。 「持っていなさい。必要になるかもしれないから」駄目な父親の出来る最後の事です。 「ありがとう」 太郎は礼を言います。そのお金は妹と弟に渡す千円づつの小遣いだと、後で知りました。 「じゃ、行って来ます」と、まるで近くのスーパーに買い物でも出掛ける挨拶に聞こえました。
いつ帰るか分からない旅立ちです。あっけなく行ってしまうと、静寂が訪れ、柱時計の秒針の音が、重くのしかかってきます。
太郎の部屋を覗くと,荷物をまとめた段ボール箱が重ねられ、ハンガーにただ一着、今まで着ていた学生服が掛かっていました。
太郎が始末に迷ったのでしょう。その学生服は取り残され、主に見捨てられ困惑しているように見えました。
こんな時、母親は泣きたくなるんだろうなと思います。 「寂しいですよ」と人から何度も言われました。『なるほど』と納得しました。
親は何時か味わわなくてはいけない事なんだろうな。
僕も同じように希望だけを抱いて,旅立った事がありました。亡くなった僕の父も同じ感情を抱いたに違いありません。
 

 
病が持ってきたもの  
作者 Administrator   
2006/03/28 火曜日 16:45:04 JST

先月、 風邪をこじらせ寝込みました。
医者嫌い、薬嫌いに僕は、農閑期ということもあり、ただ寝て治します。たまには病気するのも悪くないなーと思います。咳き込むのはつらいですが、終日、布団の中にいるのも、時にはいいものです。
一週間目位に、妻が僕と同じ症状でダウンです。おかげで僕は元気になりました。ケロッと治ったという感じです。
これを「ウツシタ」と言うのでしょう。
毎日忙しい妻は、病院に行き、インフルエンザと診断され、注射と薬で、寝込まずに治してしまいました。 「他人にうつす前に、病院に行ってよね!」と妻。 「はい」と返事だけはいい僕。  バチが当たったのか,間を入れず、連ちゃんで恒例の痛風ですよ。これは痛い!
何度もしていると,要領が分かり、しびんの代わりに牛乳パックを二本用意します。トイレにも立てなくなる状態になると分かっているからです。
なぜ、牛乳パックかと言いますと、ペットボトルですと子供が、麦茶と間違えて飲んでしまう恐れがありますし、チンチンが抜けなくなってしまう恐れがあり ます。想像してみて下さい、痛風は何もしないでもいたいんです。じっと痛みに耐えながら、チンチンはペットボトルに噛みつかれたままの状態。
やっぱり、牛乳パックです、しかも用をたすのは二回まで、それ以上だと経験上あふれてしまいます。
なみなみと溜まったら、尿を止めなくてはいけませんが、若いときは何でもなかったのですが、歳が加わると自信が持てなくなります。
痛風で寝ているのに、なみなみと尿の溜まった牛乳パックを持って、トイレに走らないといけませんからね。
インフルエンザの時もそうでしたが、食欲は変わりません。何でも美味しい。パックパクです。
かくて、通算三週間、寝てるだけでパックパクでしょう。起きあがってみると肥っていました。
畑に出て、草取りをしようと、しゃがみ込むと、しばらくはいいのですが、じきに呼吸が出来なくなって苦しくなります。
お腹の脂肪が、胸を圧迫してしまうのです。我慢して作業を続けていると「ううう、苦しい!」と立ち上がります。
かくて、こんな状態になりました。

 
ポンポコお父さん
作者 Administrator   
2006/03/25 土曜日 16:44:17 JST

 三週間の休養で、肥った僕は、山口県に引っ越した太郎の荷物を、乗用車に隙間なく詰め込んで、妻と二人で運びます。
愛用のジーパンはどうにかはける有様で、運転中は苦しく、ボタンを外さなくてはいけません。
荷物を無事運び終えると、太郎を連れて、日用品の買い出しです。自然と外食になりますが、なんせ、ジーパンのボタンをとめていますので、何も入りません。ただでさえ苦しいのに・・。
その夜、太郎のアパートに泊まるのですが、パジャマ代わりに借りた太郎のジャージ。締めつけた風船を解き放ったように、楽になります。
翌日、楽なので上下のジャージを借りました。しかし靴がありません。太郎の靴のサイズは全然あいません。かくして、ジャージの上下に革靴といういでたちになりました。
子供たちは一番嫌うのです。「ださい」の骨頂ですからね。
高校二年生の娘なんか「他人の顔しててよ」と言う始末。
ジャージの上下に革靴のどこが悪い! 「まるで、田舎の小学校の教頭先生じゃん」  子供たちは何も知らない。田舎の教頭先生はジャージの上下に革靴、しかも、いつ来客があってもいいように白いワイシャツにネクタイ。校庭の草むしり中は 麦藁帽子と手に鎌。
まとめると、ジャージの上下に革靴履いて、白いワイシャツにネクタイ、麦藁、手に鎌、ですよ。
お父さんはジャージの上下に革靴まででしょう? 恐れ多くて、田舎の教頭先生とは言えません。 「お父さん、そのファッションでいいよ。ここはそんなファッションの人ばかりだから」優しいね、太郎は。
こんな時、大人になったなーっと思うのです。という話でした。

 
「太郎の青春」その3
作者 Administrator   
2005/12/15 木曜日 16:43:32 JST

 太郎高校のサッカー部には県外の生徒が多くいます。HI監督の指導を受け、プロへの道も夢ではないからです。来春はプロへは4人決まっています。
鬼塚君も宮崎県から来ました。太郎高校の目の前にある中学校に3年の時に転校してきて、太郎高校に進学してサッカー部に籍を置いています。
鬼塚君のお母さんもサッカーの試合の時に、宮崎から駆けつけます。そしてテンポの遅い宮崎訛で話してくれました。
鬼塚君は中学の時、県の指導を受ける県トレの選手だったのです。ゴールキーパーの彼は、指導に来た太郎高校のサッカー部の沢村キーパーコーチから将来性があると言われ、夢を持ってやって来ました。
そのコーチもプロから誘いが来て、彼が太郎高校に入学するといませんでした。
宮崎からこちらの中学に転校するとき、両親が車に乗せて、荷物と一緒にやってきました。両親はまだ幼さの残る彼が、一人で生活するのに反対でした。
それでも、彼の夢に進む気持ちに押し切られた格好になりました。
彼を下宿に一人置いて、帰るのが不憫で荷物を下ろしても、帰りづらく、帰るきっかけがつかめないでいたそうです。
その下宿の夕食の時間になり、「それじゃ、帰るよ」と言うと、彼が見送りに来ようとして、それを制して、車に乗ると両親ともとめどなく涙がこぼれ、泣いたそうです。
太郎高校は地元の高校ですが、そうでない生徒がいっぱいなんだと改めて思いました。
その鬼塚君も厚い選手層に,公式戦に出る機会を与えられないまま高校の3年間を終えそうです。

 
太郎の「これが青春だ」 パート 2
作者 Administrator   
2005/12/13 火曜日 16:42:44 JST

T コーチのこと  
太郎が入学し、やがてそのTコーチが赴任してきました。
彼はK商業高校のサッカー部の監督で、太郎の高校(後、太郎高校と略)のサッカー部のHI監督の強い要望によるものだったのです。
Tコーチは、高校進学の時、HI監督の前赴任校、K商業高校に迷わず進み、入学すると、HI監督は転勤で太郎高校に、離ればなれになりました。
無惨な運命ですね。
ですがサッカーはK商業高校が太郎高校より強かったといいます。
HI監督の教えを受けた選手達と、監督をしたって優秀な選手が入学して来たので無理もありません。
学生上がりの、青年という感じで、運動部の先輩に対する挨拶を、保護者にもしてくれるコーチです。  Tコーチは二軍の監督を主な仕事としていましたが、皆「Tコーチ」と呼んでいました。
ある県大会で太郎高校はK商業高校とあたりました。Tコーチの指導を受けた選手ばかりです、K商業高校も強く県下でベスト4には残るチームでした。
白熱した試合が進み、太郎高校が1点先主、追加点を加え、差をひろげます。
Tコーチは試合を見られなくなりました。自分が指導した選手達を負かすのが、仕事ですから。
Tコーチは視界がくもりました。やがてホイッスル。
試合は太郎高校が勝ちました。
破れたK商業高校の選手達、泣きながらTコーチに挨拶にきます。 「ありがとうございました」と全員で頭を下げます。
Tコーチも涙。  「これが太郎の青春のひとこま」

 
太郎の青春
作者 Administrator   
2005/11/23 水曜日 16:41:48 JST

 初冬になり、畑はやっと収穫をむかえました。
大根、ほうれん草、里芋にレタス、じゃがいも等。残暑がきびしく、収穫が遅れている人参も白菜もやがて収穫を迎えます。
先人がなぜ秋にお祭りをやったのか理解できます。
豊作を祝う意味は勿論、農閑期が待っているからです。畑の野菜達は自然の冷蔵庫の中で眠りにつき、欲しいときに収穫するだけなのです。
草取りもない、種まきもしなくていい。
では、失敗した農家はどうしていたのかと考えますと、矢張り「冬眠」でしょうね。

さて、子供たちはどうしてるのか、と目をやると。
長男の太郎は高校三年生になりました。
勉強よりもサッカーです。幼稚園から始めたサッカーは有能なチームメイトに恵まれ、小学、中学と好成績で終え、高校は体育コースに進みました。
親の気も知らないで、太郎がサッカーで大成すると思えません。ま、反対できない事情があり、体育コースに進学してしまいました。
それからというもの、サッカーに没頭、日の出前から登校する有様で,起床が百姓の僕より早い。「お前の方がたるんでいるだけだろ」と言われれば、そうなんですが。「だって、眠いんだもん」
そんな太郎のサッカー青春物語をいくつか、農閑期の内にご紹介したいと思います。

その1  スポーツの世界はすべてそうですが、上下関係が厳しい。
挨拶は勿論、言葉使い、気配り等大変。
太郎が一年生の頃は、あんまり早朝に登校するもんだから、その理由を尋ねると「先輩がボールを取っとけって」
二年生になりインターネットで買ったスパイクを練習中に届けると、後輩達が慇懃に挨拶して用件を伺おうと駆けつけます。
太郎の父親だと知った二年生が駆けつけて来ます。一年生達を押しのけて、丁寧な挨拶と手伝いの申し込み。 「これを太郎に渡して欲しいんだけど」と言うと、「はい、分かりました」 と気持ちがいい返事。
見ていると、スパイクを太郎に渡し、受け取った太郎に後輩が駆けつけ、それを管理する役目らしいのです。  徹底した関係の中にいるのだなと思います。
さて、三年生になった太郎に後輩の二年生のサッカー部員が、 「太郎君」と話し掛け、着ている物を脱ぎだした、パンツひとつになり。何を始めるのか見ていると、土下座して。
「太郎さん、次郎君(弟)は元気ですかと言うつもりでした」
先輩に君付け呼んだ無礼の詫び方を知らないから、そうしたんだって。  大変だね、後輩も。

 
睡眠時間
作者 Administrator   
2005/04/05 火曜日 16:40:19 JST

 僕は寝ないといけない体質です。子供の頃から、よく寝ていました。
妻はあまり寝ません。感心するほど寝ません。夜中の二時まで、台所の片付けをして、五時には、高校に通う長男の弁当作りに起き出すのです。 こっちは高いびき。
僕はそのせいで、ちいさい頃からだいぶ怒られました。その圧巻が・・。

小学校の高学年の頃、遠足がありました。 「雨天の場合延期。当日は通常の授業」 当日、早朝に目が覚めると、外は小雨でした。そのまま寝て、通常通り、遅刻して 雨上がりを登校すると、誰一人としていませんでした。
皆、遠足にルンルンランランで出掛け、学校はもぬけの殻。先生一人いませんでした。三〇年以上前の事です。
可愛い中村少年、ショックでした。
こんな状態でもチャイムは鳴ります。一時間目は国語。チャイムの音で書取をしました。教室には、誰もいません。それどころか、学校中に僕一人ですから。静かなものです。学校がこんなに広いなんて知りませんでした。時間が長い長い。
休み時間になると、走って校庭に出て、当時流行っていた鉄棒を、一人ぼっちでやりました。
いつもは早い者勝ちで、奪い合って鉄棒を取らなくてはいけませんが、なにしろ学校に僕一人ですから、寂しいものです。楽しくも何ともありませんでした。
チャイムが鳴ると、教室に引っ込みました。
二時間目、算数の時間。ドリルを出して、したくもない計算問題を。
不思議と、帰ろうとかサボろうとか思いませんでした。  ただ、遠足から帰った先生に叱られるのが怖かったのを覚えています。
こんなに時間を長く感じた事はありませんでした。
昼下がり、皆は戻ってきました。 「わっー。ユウちゃんが来とる!」蜂の巣を突ついた様な騒ぎです。
さて、担任の緒方先生の登場です。
僕は慌てて、自習したノートを提出。怒られる前に見せておかなくてはいけません。ちゃんと勉強した証拠なんですから。
先生の前でうなだれている僕を、皆は遠巻きにして、固唾を呑んでに 見つめています。
先制はパラパラとノートめくり、一言。 「馬鹿バイ」  その事があって、遅刻しまいと密かに誓いましたが、早速、翌日から遅刻でした。
今では、密かに恐れている事があります。
閻魔大王様です。例え,百歳まで生きたとしても閻魔様の前でに出た時、かしこまった僕の目の前で。 「百歳か。フムム、養生したな」
閻魔帳を開いてみると「半分くらい寝てました」

 
朋世
作者 Administrator   
2005/03/30 水曜日 16:39:20 JST

朋世というのは、長女です。今度、高校の二年生になります。
地元の大津高校の美術コースに通っています。  
高校入試の時は、塾に通いましたが、塾長から「無理」の一言と、太鼓判まで貰いました。ランクを落とすように言われました。
駄目だったら田舎の二次募集のある公立の高校にバイクで通学するというので受験させました。
毎年、人気の美術コースは高い競争率なのですが、この年に限って、なんと定員割れ。
受験してみると、受かってしまいました。「奇跡の合格」「モウケの入学」と言っています。こんな事ってあるんですね。
さて、入学してみると、クラスメイトにフィリピンとのハーフが二人いました。どちらも女の子で、アスカちゃんとエミリちゃん。
「あたし、フィリピンのハーフ、トモヨちゃんは?」 日本人離れした顔立ちの朋世は尋ねられます。
「お母さんが日本人で、お父さんが~」 「フィリピン?」
「お父さんが日本人」
「じゃ、純血の日本人じゃん」
「そう」
「面白くないじゃん」
「本当のこと言って」
「私は日本人」
「ホントに内緒にするから」
「ホントに日本人。なんでそんなに言うの?」
「だって、フィリピンに行くと、トモヨちゃんに似た子がウジャウジャいるよ」

僕も小さい頃から「外人」と言われていました。今考えると、いじめられていたんですね。知らなかった。 二十歳過ぎ、ロサンゼルスに一年間滞在しましたが、よくメキシコ人に間違えられました。
近所にインド人の家族が住んでいましたが、すれ違うたびに「わーっ。僕にそっくり」
日本人がいない郊外の高級な住宅地で、在米して、始めて見た懐かしの日本人母娘。まだ小学生低学年の女の子がキャベツをビニール袋に入れるのを苦労して いました。見かねて僕が手伝い「お母さんと一緒でいいね」と言ったら、その母親が駆け寄って来て「あなたは日本語がお上手ですね」
可哀想に朋世は、顔格好が僕にそっくりなのです。
さて、朋世の学年の修学旅行で関東に行った帰り、空港に迎えに行きました。朋世は皆の前で僕の横に立ち「これ、私のお父さん。そっくりでしょう」とニーッと笑って見せます。
突然の事に僕は狼狽して「よせやい、照れるじゃねーか!」
そういう訳があるんだと、後で知りました。

 
2005.3.22
作者 Administrator   
2005/03/22 火曜日 16:37:53 JST

  農閑期は過ぎたのに  のんびり出来る農閑期は終わり、春野菜の種まき、夏野菜の苗作り、畑の準備と慌ただしくなってきました。
ところが、悪い習慣が身についてしまいました。こともあろうにゲームです。子供たちに「いつまでも、ゲーム何かしているんじゃないの!」とゲームに嫌悪感すら持っていたのに、何て事ありません。
携帯電話を新しいのに替えたら、ついてきたのです。
末っ子の次郎のサッカーの練習に向かえに行った時、待ち時間が出来、新しい携帯電話をいじっていて、時間つぶしにゲームをしてみたのです。そこが地獄の1丁目でした。
「ボム リンク」というのです。上から火の玉が落ちてくるのに、ドンドン下から湧いてくる爆弾の導火線に、その火をつけて、爆弾を減らしていくというゲー ムなのです。爆発した爆弾に他の爆弾の導火線が触れていたら、それも爆発する、つまり次々に連鎖的に大爆発させるというように爆弾を回転させたり、とりあ えず爆発させたりと技術がいるようになっています。
初級のイージー、中級のノーマル、上級のハードとあって、初心者はイージーから。でも理屈が分かっていても指が動きません。 あっけなく終わって「あーあ」ため息。
右に回転させたいのに、勝手に左に回転するし、動かしたい爆弾以外が動いたりするのです。下から湧く爆弾が早すぎます。うろたえてしないといけません。
数回すると、さんざん馬鹿にされて、すべて途中で「ゲームセット」。ブップー、ヘタ。
「もう、しぇん!」 頭に来て、携帯電話を助手席に投げ出します。しばらくするとやっぱり手が出ます。
誰かが「せんと言ったたい」と言おうものなら、
「誰が一生せんと言った? しばらくせんと言っただけたい」 血が頭に上っています。
又、始めますが、今度は爆弾達に声を掛けます。「お前達は、おじちゃんの言う事を聞くんだぞ。右と言ったら右。動くなと言ったらジーツとしてるんだぞ」
始めてみると,てんでバラバラ。ですぐにゲームセット。ブップー、ヘタクソ。
もう感情的になります。「もう、おじちゃんは許さんけん」
頭の中はカッカカッカ。ゲームから手がはなせません。
「お父さん、帰ろう」次郎が戻ってきます。
「お黙り、今はそれどころじゃありません」 そのゲーム戦争が今も続いています。忙しくなってきて来てるのに。
今期の野菜はだめばい。 一体誰だ、ゲームなんて考え出したのは?

 
釣り
作者 Administrator   
2005/02/10 木曜日 16:36:58 JST

二月になり、寒さが厳しくなりました。  
時間が出来ると、海に釣りに行きたくなります。
あまりいい天気でないので、グズ グズして迷っていました。 天気予報では多少波がある程度と言っています。
これまでは、時間が取れずに、海に行けるのは、雨の日、しかも、お店から野菜の 注文がなかったら、という条件つき。雨の日でも、畑で収穫しないといけない時もあ ります。
さして急ぐ作業もなくなった今でも、「行かにゃんバイ」とそのセッカチさは習慣 となっています。
朝から、晴れ間が顔を出したら、そそくさと、軽トラで出掛けました。

天草の釣り場まで、二時間かかります。以前は焦って運転していましたが、歳を取っ たのか、運転も釣りの一環。浮き世を離れるドライブでもあります。 釣り場の堤防に着くと。釣り人はなく、僕一人でした。
車から降りると,風があり、波が防波堤を越えていました。多少の波どころではあ りません。何と言っても風が冷たく、寒い!。 簡単に帰ろうとは言えません。餌も買っているし、一日を犠牲にして来ているので すから。 堤防に座って竿を出しました。風でテグスを捕まえる事も一苦労でした。冷たい海 風がたまりませんでした。
二時間ねばって、ふぐ一匹。散々たる結果でした。 しかし、数日は波のリズムが体に残っていました。

僕の釣りは、まず、売ってある撒き餌のアミにパン粉とぬかを混ぜ、増量して、出 来るだけ安価にして、海面に撒きますと、海底から魚影が湧くように集まって来ます。 ウジャウジャ。
そこに、竿を出すのですが、魚もバカじゃない。うまく避けて食べるか、上手に餌 を釣り針から外して食べます。ウキが動かないように餌を取るのですから、大したも のです。
そこで、人間と魚の知恵比べになります。
釣れるのは、黒鯛の掌位の物、コグロといいます。これが主流で、他にメバル、ガ ラカブです。季節により、アジゴ、サユリ、ボラ等が混じります。みんな小型です。
水面の波間に漂うウキを見つめていると、瞑想をしているような感じになります。 ウキの一点に全神経を集め、じっとしているのです。海鳥の声、海風、定期的な波の リズムそんな中にいると,全てから解放されます。
そんな訳でボーッした人間が、もっとボーッしに行くというお話でした。  

 
痛い風
作者 Administrator   
2004/10/22 金曜日 16:36:08 JST

  泣きっ面にハチと言うけれど  又、 風痛です。
尿酸値が高いくせに、酒を飲むからこうなります。何度も繰り返すと馬鹿だと思われます。 尿酸値を下げる薬を貰って、飲みます。
日頃はどうもないから、ルーズになり副作用が気になり、飲まなくなって、又、足の親指の付け根を腫らして「痛いです」  恥ずかしいから、真面目に薬を飲み続けていて、首が痛くなりました。
おかしいなぁと思いましたよ。「寝違え」って、農作業しててもなるの? 昼、起きてて?
そのまま寝込み、大変痛い。痛みが峠を越えたら、ジャ~ン!左足首が痛み始めました。
「こここの痛みは・・・」痛風です。 連休で病院は休みです。ただただ耐えるのみです。
それが峠を越えたら、左膝。何?痛みの三連ちゃん。 ここで神様にお願いとなります。
「酒はやめます。一週間ばっかし」とお祈りしても、音沙汰なし。
「酒はやめます。・・一ヶ月ばっかし」それでも痛みは横ばいです。
「神様酒はやめます・・」考えていたら、子どもが話しかけてきて祈りは中断。
翌朝、どうにか立てるようになり、気になる畑に行ってみました。足は痛みが残って、引きずりながらです。 「ところで神様、お酒を一生やめます。と誤解されてるんじゃありませんよね。」冷たくなった夕暮れの風に、湯豆腐と白波のお湯割りが頭をよぎります。
トラクターで耕した真綿のような土と、軽トラの走る道の境目で足を取られ踏ん張って痛風の足首をギクッ。
泣きっ面にハチと言い方は聞きますが、痛風の足首に捻挫は聞きません。こっちの方が痛いです。
神様、冗談だったのに。

 
続 チー (前号の続き)
作者 Administrator   
2004/10/13 水曜日 16:35:02 JST

  身重の元祖チーは、子育ての下手な猫で、うまく育てるか心配でした。
一昨年は、納屋の二階で幼い鳴き声を聞かせていましたが、何時の間にか、声が聞こえなくなったと心配していたら、数日後、亡骸をくわえて来ました。 どうしたら良いんだろうと当惑顔でした。
僕は埋めてやりながら、まだ、元祖チーが未熟な母親だと感じていました。  

昨年は、いつの間にか子猫を連れて現れました。よそで産んでいたので、いつ元祖チーが母親になっていたのかも知りませんでした。
考えてみますと、元祖チーを僕の猫と思っていましたが、ただ僕が餌をやるので、なついてるだけでよその飼い猫かもしれません。

 ともあれ、昨年は小学六年生くらいになった子猫を突然連れて現れました。
名前はチーですが、区別をつけるため、ここではオスメントにしましょう。
そのオスメントは黒っぽい雉猫で、警戒して、全くなつきません。
キャトフードを更に入れると、元祖チ-と喜んで食べるのですが、その時だけ触る事ができました。 非常にいやがっている様子で。触られた所に鳥肌を立ててる風でした。猫に鳥肌が出来るか知りませんが。
後は、寄りつきもしません。薄情なものです。

それでも、時間をかけると、少しずつ逃げなくなり、とうとう捕まえて膝の上に置く事が出来ました。
弁当を広げると、そばに寄って来て、僕の靴の上に前足を乗せて「ミヤー」と声を上げ、ねだるのです。  魚のフライのしっぽをオスメントの目の前に見せると、その刹那、手を出すのです。「ひっかかれた!」と思ったら、爪を立ててない。感心。感心。元祖チー なんていまだ爪を立ててるのですからね。

オスメントは僕の軽トラのエンジン音を覚えていて、どこにいても駆けつけてきます。「あっ、パパだ」ニャンニャンニャン。ってなもんです。
そして、そんなオスメントをはねてしまうのです。
軽トラの後ろから喜んで走って来て、後輪の下敷きになってしまいました。可愛がっていたので、なおさら哀れでした。

そして、今年。懐妊から餌をふんだんに与えていましたら、毎年一匹の子猫が今年は三匹です。
チ-1号は初めて姿を見せた雉猫です。小屋のニ階から間違って落ちて来たという風でした。目やにをいっぱい付けた醜い猫の子といった感じでした。
ものおじする事なく、僕の膝によじ登って来ては、左膝で休むのを日課にしていました。
後の二匹が姿を見せたのは、人で言うと幼稚園児くらいでしょうか。
オスメントそっくりな2号、黄色い雉猫で一番大きい3号です。
どれも目やにをいっぱい溜めていて、目が腫れ上がっていました。鼻水も溜まっている風で、近所の畜産農家の人は、「猫インフルエンザ」と言っていました。獣医さんの見立てだという話でした。
1号は小さく、鼻が利かず、食べ物が分からず、母親のたらふく出る乳も、兄弟達と母が争って食べるキャトフードも関心がなく、弱っていきました。

それでも、僕の軽トラのエンジン音は分かるらしく、出勤するとすぐに駆け寄り、膝の上に登って来ます。 牛乳を買って来ても、飲もうとしません。だんだんと動かなくなり、農作業から戻って来ると、コンテナの中で、動かなくなっていました。痩せ細った姿が哀れ でした。
そっと撫でると、まだ息があり、身動きして「ミァー」と細い声で鳴きました。断食している高貴な僧を連想させました。
翌朝、心配していつもより早く行ってみると、チー1号は冷たくなっていました。大きさは兄妹の半分もありませんでした。  その兄妹のチー2号、3号は走り回り,じゃれ合っていました。

数日後、チー2号が雨の中で死んでいるのが、出勤した僕の目に飛び込んで来ました。
犬に咬まれたのか、僕が知らない間に車ではねたのか分からずじまいでした。雨でびっしょり濡れている屍を、庭の隅に埋めてやりました。
その日から、チー3号も姿を見せなくなりました。
どこかで生きていると思いたいのですが、まだ小さく親にも甘える時期でしたので、やはり事故か犬にでもやられたと思われて仕方ありませんでした。

母親の元祖チーは、誰もいなくなった農作業小屋で、まだ張ってる乳を抱えたまま、うつろな眼差しを宙に泳がせ、思いついたように、子供たちを甘い声で呼んでいました。  m

 
チー
作者 Administrator   
2004/08/11 水曜日 16:33:58 JST

  農作業をするのに、廃屋を無償で貸してくれた山本さん。何時も無人の小屋に電気を通すのが怖くて、電気なしの農作業小屋に、時折姿を見せていたチーと名付けた猫一匹。
もう、かれこれ5年位前の事です。
蛇の苦手な僕は大歓迎です。廃屋のあちこちに蛇の抜け殻があります。
今はキャトフードですが、当時は魚や鶏の骨とかを持って,餌付けをしていました。
紆余曲折を経て,今では大の仲良しです。小屋で蛇を見なくなりました。当時は、チーを警備員、餌を給料と言っていました。 従業員の一人です。
今年はチーは3匹の子猫を産みました。名前はチーとチーとチーです。猫はみんなチーです。よその猫もみ~んなチーです。
話を分かりやすくするため、子猫をチー1号、チー2号、チー3号としましょう。親猫は元祖チーです。
そもそも発情期に雄同士の、元祖チーをめぐっての争いがありました。その争いが壮絶で、元祖チーは怯え、小屋に行った僕の後に隠れるのが常でした。そんな元祖チーが不憫で仕方ありませんでした。
戦いに勝った雄猫。話を分かりやすくするため、通称泥猫,虎次郎。その仮名虎次郎は堂々と会いに来る訳です。「ヘイ、今日から、お前は俺のスケだぜ」へ、へ、へ・・と。
そこで、パパは黙っていません。パパとは僕の事ですが・・・。
3メートル位の、竹竿を用意して、虎次郎の姿を見たら追い回します。 「うちの可愛い元祖チーに手を出したら、承知せんけんね!」竹竿では役に立たず、投げる物を用意しました。 音のする物、空き缶とか金属の物です。追い回してそれを投げるのです。
小屋に出勤すると、仮名虎次郎が元祖チーに言い寄っているではありませんか!。許せない!。
投げる物が切れたら、手当たり次第です。追い回し、逃げる仮名虎次郎に靴を脱いでで投げます。 追っ払ったら、それらを回収しなくてはいけませんが。
近所の猫も、今考えたら迷惑だったでしょうね。猫=悪者だったですからね。猫と見たら、雌猫でも追い回さないと気が済まなかったですから・・。
今の平常な日々でも、近所の猫たちは、僕の顔を見ると、慌てて逃げます。合掌。ゴメンナサイ。
それで、畑に行っても気になります。そ~と戻ってみると、道の真ん中でやってるじゃありませんか!。
「あ!」  あのね。ひとけのない小屋の中二階とか、薄暗い農機具入れの隅とかあるでしょう。場所が・・。ティシュ用意して・・。ゆっくり。
よりによって、トラクターや軽トラの頻繁に通る、年寄り子どもの歩く、そんな道の、こともあろうに真ん中で・・・。  パパとしたら、許しませんよ。頭に血が上り、「この泥棒猫が!」竹竿は投げるわ、靴は投げるわ、手間を掛けて靴下を脱いで投げるわ。手間の割には当たっ ても痛くありませんが・・。
不思議なことに、雄猫は遠ざかりました。今、思うと懐妊したのを、分泌物か何かで察知するのでしょうかね。
又、平穏な日々が戻りました。 日の日中、元祖チーの傍で、パパは玉ねぎの整理をしてると、突然元祖チーが食べ物を戻して,体調の悪さを訴えます。 「大丈夫かい、元祖チー!」駆け寄ります。 「パパ、デキタミタイ」弱々しい、元祖チーの声がありました。 {続く}  

 
子供と人参畑
作者 Administrator   
2004/04/08 木曜日 16:32:56 JST

小学三年生の次郎のクラスが授業の一環で、畑に来ると言います。  
春風が漂う三月。あいにく今の時期は冬野菜が終わり、春野菜もまだで、野菜が切れる時なのです。唯一、人参だけがかろうじてトウが立っていません。 「人参だけしかありませんが、いいですか?」と問い合わせると、いいとの事。
当日畑で待っていると、有志の保護者が運転する数台の乗用車に分乗した子供たち三十名が、どやどやとやってきます。 「おっちゃん、テレビに出とったろう。お父さんがやったジャージば着とったろう? 見たばい」とヨウちゃん。知った者の子供です。「おおっ、今日もお父さ んがやった別のジャージば着とるね。だろう? これ貰い物だろう?」 「コホン」 子供というのは辛辣だな。人前だというのに・・・。 「お世話になります」と担任の佐藤真由美先生。
どやどやと、がきどもがやって来ます。 「おじさん、おじさんは次郎くんのおじさんね?」  次郎はうかれています。 「あっ、つくしが出ている」「どこどこ?」「これ、僕の」「わーっ、いいな」「あった!」「わーっ、ここにもあった!」と土手に子供たちが集まります。 「はい、みんな中村さんの話を聞きます。中村さんどうぞ」 「みんな人参は好きですか?」と僕。「人参なんか好きな奴なんかおるもんか」と小さい頃の僕そっくりな子供が一人。 「わたし、た・べ・れ・る・う」自慢げな女の子。 「食べられる人は手をあげて下さい」と僕。
約半数の子供たちが手をあげています。そんなところでしよう。 「今日は収穫した人参を、畑で食べます」「えぇーっ、料理する道具が何もないじゃん」「生で食べます」「げっ、食べられると?」「べっ、来るとじゃなかった」 「じゃ、人参の抜き方の見本を見せます」「葉っぱを全部握って、上に引くときれいに抜けます」と抜いて見せます。 「わーっ。見とらんだった」「おっちゃん、もう一回」 「見本は一回だけです」どうやっても抜けますので、心配はいりません。 「この畝(うね)は全部抜いていいです」と言うと、わっと子供たちは先を争って抜き始めます。隣りの畝の人参を踏みつけ、蹴散らしながら一目散に人参を抜きます。

そこで僕たちは収穫したばかりの人参を、バケツで洗い、皮を剥き、たんざくに切り、マヨネーズを添えます。 「みんな、出来たよ」と呼ぶと、蜂の子を散らしたような騒ぎ様。 「手を洗って」「手を洗った人から食べていいよ」バケツの水はひっくりかえすわ、ぬかるみにった所に足を突っ込むわ。
早い者勝ちなもんで、先を争ってほおばります。 「おばちぁん、おかわり」用意していたものは、すぐなくなり、慌てて妻は人参の皮を剥き始めます。 「おじさん、人参じゃないみたいだよ。甘いもん」「口に入れた時、メロンの香りがして、噛んだらくだものの味がした」「マヨネーズがない方がおいしいよ」 子供たちはたらふく食べると、持って帰れる五本までの人参を手に、近くの小川まで行き、洗うと袋に詰め込みます。
畑に戻ると、代表の子が挨拶の言葉を言って、皆で礼をすると、 「おっちゃん、人参を食べられるようになったよ」「僕も」「生で食べたの初めて」「人参がこんなにおいしいなんて知らなかった」と口々に戻ってしまいました。
後日、父兄から、「人参嫌いのうちの子が、生で食べるのを見てびっくりしました」等の言葉を聞き何よりだと思いました。
人参は、何度も霜にあたり甘さを増します。このマジックの種は旬なのです。

 
焼き畑
作者 Administrator   
2004/02/04 水曜日 16:31:45 JST

 夏野菜を植えた畑は、雑草が覆い、冬を迎えました。
本当は,すぐに片付けて、堆肥をまいて、耕して綺麗にしていればいいのですが、秋野菜の植え付けや、年末年始の出荷などで、とうとうそのままになっていました。
さてと、畑を見るとご覧の通り。おまけに、雑草はカランカランに乾燥しきって、畑を覆っています。 「なぁんだ、これに火をつけたらいいじゃん」単純明快。手間がはぶけます。
で、火がつくかどうかが問題です。はい。
畑の中央に行き,百円ライターで火をつけると、バチバチ燃えます。草は刈っていない、立ち枯れのものです。 「おーっ、手間いらず。手間いらず」と喜んでおれたのはこれまで。火の勢いは増すばかり。パチパチパチ。
燃え後が黒く直径十メートルばかりなると、火の手は激しくなり、火柱がいくつも立ちます。僕は青くなり、すぐに生木を引き抜き、火を叩き消しに入ります、 脳裏には山火事が浮かびます。山を切り開いて畑を作ったような土地柄。燃やす山には事欠きません。この畑の道向こうは、杉林。根本に笹がかってあります。 しかもその上に枝打ちした杉の枝がたんまり。ちょっとでも火の気があれば、爆発する様に燃え広がってしまいます。
必死に消しにかかりますが、火の手は増すばかり。手が妙に軽いので見ると、手にした生木は折れ、火の中でバチバチ燃えています。軽いはずです。手元ばかり残った棒ッ切れを振り回しているのですから。
つい先日も、消防車を何台も呼んだ人を知っています。
「わーっ、山火事みたい」と思っていると、本物の山火事でした。
きっと始めは軽い気持だったのでしょう。

火を消す道具を探すと、スコップしかありません。しかたなくスコップを振りかざします。ジリッと髪の毛が焼けた音がします。かまってられません。火の手は広がるばかり、だ・だ・誰かをよばなくては・・・。  軽トラックが横を通ります。
「こんにちは」と会釈して平静を装ってしまいます。
『火事場の馬鹿力』と言いますが、本当にそんな力が出るんですね。体力が百あったら、三百位の力。息をしているかどうかも分からない状態で、冷静さを失い、まるでお尻に火がついた鶏さながら、必死です。
どうにか鎮火したら、息絶え絶え。軽トラの運転席に座り、動けません。
鏡を見ると、髪の毛は左半分チリジリ。顔の産毛までチリジリ。鼻の下にスス。タオルで拭くと汚れが広がり、まるで泥棒さん。

どうにか、家まで帰り着き、寝込みました。 「くわばら、くわばら」  今日の農作業日記でした。
皆さんも「火の用心」「火の用心」

 
若き日の思い出  
作者 Administrator   
2004/01/21 水曜日 16:30:30 JST

 やっと、農閑期に入りました。野菜達は冬の寒さに成長をやめ、ひたすら寒さに耐えているといった状態で、必要なときに、里芋、人参、白菜、じゃがいもなど収穫に行くだけですみます。
頭痛の種の雑草も全く伸びず、草刈りの心配もいりません。
さて、ゆっくり出来ると、朝寝して、妻がパートに出るので、洗濯物を干し、台所の洗い物をして、買い物に行き、そぞろ物色しながら、時間を気にしないで歩けます。  
今日はカツ丼と子供たちからリクエストがありました。パン粉、豚カツ用の肉をかごに入れながら、思い出しました。
二十歳の頃、飲酒運転で事故を起こし、免許取消になりました。会社では、車の運転が出来ないので、事務の手伝いをさせられました。会社の穏和な待遇に, 職のない今の時代なら、ありがたい処置なのですが、その年代の僕には屈辱的でもありました。すぐに退職しました。
季節従業員という、いわゆる出稼ぎに出ました。事故で借金が出来、免許も取り直さないといけません。大阪の工場で,寮と工場を往復するだけの、反省の日 々をおくるべく行ったのですが、大阪の街は二十歳前の僕にとっては誘惑の的でもありました。
特に「じゃんじゃん横町」が、その時分の僕を捉えて離しませんでした。「じゃんじゃん横町」とは、通天閣という塔を起点になっている飲食店街で、安いの が売り物でした。店構えも、屋台を店にしたような物が多く、一杯飲み屋が多い通りでした。おでん、うどん屋、坂田三吉の出陳地ということで将棋屋、畳敷き の店舗に将棋台と座布団を所狭しと置いてあります。このお店が繁盛していて通りのウインドーはいつも人だかりでした。路地を入ったら、暗い家屋が無数に続 くといった案配で、迷路という感じでした。
僕はそんな所が大好きでした。夜勤明けの朝から、京阪電車で出掛け、朝から酒を飲むのです。浮浪者も多く、地元の人達はよしたほうがいいと再三言います。「中村くん、危ないよ。わし知らへんでー」
飲むと言っても慣れない夜勤で、体力を使ってしまっていて、そうそう飲めません、すぐ目の前ぐるぐる。  大阪弁というのは、大阪では、その地方地方でニュアンスがあって、色々な大阪弁が坩堝になっていることに気付いた僕は、大いばりで知ってる大阪弁を使っ て飲み歩き、おでん屋で厚揚げで焼酎を飲んで、ふらふらとじゃんじゃん横町を歩きます。
餅屋もあり、炭火で焼いた餅を海苔で巻いたのを、炭火を香らせて売っています。正月以外にそんなものを売るなんてと僕は思っていました。 「兄さん、遊んでいかない?」化粧の厚い娼婦が声を掛けてきます。「これよ」と三本指を立てて見せます。三千円なのでしょう。五十歳過ぎの中年太りの女が 笑みを見せます。無視して通り過ぎると、近くにいた酔っ払いとか浮浪者が、女をからかうように、「ええ尻してんなー」と上着をめくっていました。 「商売の邪魔をするんじゃないよ」と女の罵声の声がこだましていました。
そんな中、B G Mで中島みゆきの音楽がかかっていると、あまりにマッチして世界が出来上がってしまいます。焼鳥屋で飲んでいると、そんな中島みゆき風の女と男のカップル が入って来て、店内で女は客の男を物色している風で、付き添いの男は黙っていました。女は綺麗な出で立ちでした。歳も若く三十歳前。「だって、そうやん」 と話す彼女の前歯が一本欠けているのが見え、その笑顔が鬼のように見え、奥深い谷に引きずり込まれ、旋律が走ったのを覚えています。
怖いことと言えば、そんな飲み屋で飲んでると、注文したのにその金額を持っていないというおっちゃんに遭遇します。「僕が出したる」と何十円かだしてや ると、店を出た僕に付きまとい「山口組に入れたる」いくら組に入る気がないと言っても無駄です。「ええから、ついて来い」と一点張り。頃合いを見て、走っ て逃げてきました。
また、やはりお金が数十円足りないという中年の女。出してやると「肝臓が悪いねん」「酒はいかんやろ」と言っても、「そうやねん」小銭で支配されている場末を実感するのです。
そんな店波で、繁盛していたのが串カツ屋でした。屋台の店で串カツと焼酎を飲んで。安かったのを覚えています。
その串カツというのが、肉があまりなく、串にからまっている程度で、つまり、コロモだけという代物でした。しかし、よく焼酎に合うのです。
話は長くなりましたが、それを突然思い出し、試してみたくなったのです。薄いスライスの普通の豚肉を買い、自宅でコロモを付けるのですが、串は面倒でつ けない、卵なんて使わない、塩コショウを小麦粉に混ぜ、水で溶いて、肉を入れ、上げてパン粉をつけました。揚げてみるとかんたんでした。火が通っている心 配がなく、高温でコロモがきつね色になればいいのです。片面三十秒位で出来上がり。いくつか揚げ、味見。笑ってしまう程美味しい。
やはり、焼酎がないと・・、かくて昼間から酒盛りになりました。
あんなにのぼせた「じゃんじゃん横町」も今では興味がなくなりました。ただ遠い思い出になってしまいました。      

 
夢をたどれば
作者 Administrator   
2004/01/17 土曜日 16:29:08 JST

 セカンドサイトがオープンして、もう五年目ですね。  僕が脱サラで農業を初めたのも、同じ頃です。二十世紀のとんと末です。ノストラダムスの大予言で、世の中が滅ぶと大騒ぎしていました。
密かにそれを信じていた僕は、自分のやりたい農業をやらなければと焦りを感じていました。何か何時死んでも好きな農業なら、悔いはないと思えていたからです。
子ども三人。四十歳前。県庁の農政課をたずね、就農の説明を聞くと、「やめなさい」「無謀です」 農地もない、お金もトラクターもない。しかも子育て真っ最中。「無理です」と係員。
後日、知人を介して紹介された県の農業T氏。「中村さん、小川のせせらぎと鶏の鳴き声を聞いて、目覚めるのを夢見ているんじゃないでしょうね」「農業は厳しく、農地があって機械が揃っていても、赤字をうつのが現状ですからね」  それから毎日、夜になると「農業はやめなさい」と電話を受けます。
でも、僕の仲間は違っていました。「いきなさい」「いいな」と羨望の眼差しです。路頭に迷うことなんか、お首にもださない、ただただ羨望の眼差しでした。
幼稚園を頭に、まだ小さい三人の子供たち。「中村さん、やめときなっせ」「百人が農業を初めて、残るのは一人ですばい」と毎晩電話は掛かってきました。
農地が見つかりません。空いている農地はたくさんありますが、貸してくれる人がいませんでした。アルバイトをするしかありません。そんな中、畑を三畝(約百坪)貸してくれる人が見つかりました。
嬉しくて、真冬なのにじっとしておれず、種を蒔き、失敗。春になり、種を蒔き、失敗。何をやっても失敗。通りがかりのギャラリーのうるさいこと。「長靴 とジーパンじゃいかんもん、地下足袋ばはかにゃ」、後日、買ったばかりの地下足袋を自慢げに見せると、「メーカーがいかん、月星じゃなくっちゃ」  本当に僕は、娯楽の少ない、田舎の老人達の慰み者。
そんなことをしていると、「もう少し畑をかそうか?」「はい・」という事になり,一反(約三百坪)の畑を借りました。田んぼも五畝(百五十坪)借りました。気分はもう農業者。
トラクターが欲しいと思えば、世話してくれる人。お金が必要な時、貸してくれる人。米を作るのに、苗を作ってくれる人と皆が力を貸してくれ、丁度小石が 転がりだし、なだれが起こった状態になりました。軽トラが手に入り、必要な農具も手に入れ、初めて作ったジャガイモは仲間の世話で、繁華街の飲食店に期間 限定で納品。余ったものは宅配にと、やがて完売。
そんな時、紅蘭亭の羽山氏を紹介うけました。僕より若い人です。彼がセカンドサイトを立ち上げる前年の事でした。 「中村さん、専属農園でやってみませんか?」と賃金を表示してのありがたいお誘いでした。僕は農業の経験もないし、収穫のめども、だいたい借りた農地が、 どんな状態なのかも、何も分かりませんので、賃金分だけ納品出来ないだろうからと、断りました。
羽山氏は賃金を下げて交渉に臨みます。「損をしますよ」と念をおしても「いいです」 そんないきさつで専属の農園になりました。二・三年で賃金を越える納品額になると思っていましたが、未だに迷惑の掛け通しです。申し訳ない。
畑を訪れた羽山氏は、無農薬で野菜を見て、その貧弱で、市販の物の半分の大きさの野菜をみて、「これが、おいしいんです」  紅蘭亭の料理長も畑を訪れ、中国人の彼は「中国の野菜は、このサイズが一般的ね」とふぞろいの野菜達を収穫して持ち帰り、後日,紅蘭亭に食事に寄ると、 わざわざテーブルまで料理長が挨拶に見えて、「中村さん、野菜美味しいです」僕の作ったターサイの炒め物を出してくれました。
おいしかったです。それより僕の作った野菜を大切に使ってくれる事が嬉しかったのを覚えています。  あれから、七年目。今はセカンドサイトに納品しています。
百三十%農業で失敗すると言っていた県のT部長。「何か小川のせせらぎと鶏の鳴き声が・・どうとか言ってましたよね?」 T氏「その話はやめましょう」

 
パッチ・アダムスの事
作者 Administrator   
2003/12/10 水曜日 16:22:02 JST

  もう、三十年以上も前の事、誰の本だったか、人類はもう、戦争など辞めたら、働かなくても暮らせるのではないか。というくだりを読んだ事があります。
それはいいなーっと漠然と思って、その言葉が頭の中から離れませんでした。
又、松下幸之助が旅人が「水を飲ませてください」と言うのを聞いたそうです。家の人が「どうぞ」と言い。旅人が井戸から水をくみ、飲んで、礼を言って立 ち去ったのを見て、『テレビも大量に作れば、いつかはタダになる』と本当か嘘か分からない話を聞いて、これも十年前の事でしたが、頭から離れませんでし た。
いみじくも、僕は農業に進み、昔は一家で三反と言っていた農地も、いまや機械化で、その十倍も二十倍もの農地を耕作出来るようになりました。
それなら、余った人数が遊んで暮らせないかと考えますと、無駄なものを棄てていくと、何だか出来そうに思えます。  一番の無駄が、医学の延命治療。意識のない末期の患者を点滴、輸血し植物人間のまま、何年も生かしておく治療。誰だってそうなりたくないですよね。
無駄を承知でやっているのが、自宅に電話があるのに、携帯電話、パソコン、ついでにFAX。そんな物をどんどん省いていったら、最小限の必要なもの、あるのは季節の野菜と米。そんな世界になれば、人類は自由になれるのかもしれません。 遊んで暮らすというのは、何もしないというのと違うと思います。
仕事に疲れた人は、何周も何ヶ月も休養が必要かもしれません。でも元気になれば、何かしないと、間が持てないものです。人との接点が必要になります。
自分に合ったボランティア。ノルマもない奉仕作業。  たとえば、農業の手伝い。草刈り、堆肥まき、耕運して種まき、草取りと土寄せ、そして収穫。いつもお日様と一緒。
その時感じるのは、矢張り自分が作ったのではないという事、神様からの贈り物と感じることでしょう。
それをタダで配って、和が広がり、それを貰った人が,他の人へ。ある人は近所の清掃。又ある人は、自分の好きな大工の加勢にと。好きな道なので覚えも早い。二,三年もすれば,棟梁が「家を一軒建ててみるか?」  子どもが好きな人が、子供の世話をして、ものを教え、老人を敬う人が、話を聞いてやり、世話をして・・・、そんな世の中。 パッチ・アダムスのビデオを見て、そんな動きが、世界で起きているのを知りました。  世界中がそんなになったら・・・。  そのために一番悪いのが戦争です。
今朝の新聞にイラクに自衛隊派遣の閣議決定のニュースが大きく報じられていました。

 
田舎の老人達
作者 Administrator   
2003/09/01 月曜日 16:20:36 JST

 今朝の朝刊で、大阪の児童殺傷事件の詫間被告に 死刑の判決が大々的に報じられました。
我が娘トンの中学校でも、事件以後、厳しくなりました。 まず、勝手に校内に立ち入れません。 用があるときは、まず職員室に行かなくてはなりません。というのです。
でもね・・。忘れ物を届ける場合、汚れた野良着姿で、しかも軽トラで届けると、嫌がります。
以前、堆肥まきをしてそのままの姿で、迎えに行ったら、他人のふりでした。 知らん顔。
小声で「父さん、他から見たら親子て思わすじゃないね」と不機嫌。 「親子ジャン」と僕。
「よう、そこの彼女。俺のムスタングに乗っていかないかい?今日は堆肥まきをしてきたけど・・・」
「・・・歩いて帰る。ほら、シッシッ」 と追い払います。 『これで又、嫌われたな』と実感します。
忘れ物を届けても、「靴箱にいれといて」と、こう来ます。
で、校内に汚れた、洗っても落ちない野良着姿の、ホームレスみたいな僕が、娘の忘れ物を持って、内々に忍び込みます。 「分からないようにね☆」とトンの言葉が頭をよぎります。 「・・・・あれ?」  下駄箱に名前が記入してありません。ウロウロして、弱り果てます。 このまま教室に行ったら、捕まる恐れもあります。 なんせホームレスルックスですから。
「どうしました?」 用務員ルックスの人が声をかけます。事情を話すと「私が届けましょ」 渡り船です。ホイホイお願いして、一件落着。と思いきや・・・。
学校から戻ったトンが言いました。 「父さん・・事もあろうに校長先生に頼むなんて・・・こっちの身にもなってよ」 返す言葉もありません。

さて、僕が通勤している農村。 夏の日の出前。鎌を持った老人がウロウロ。田んぼの草を刈るのでしょう。 そこらを歩き回っています。鎌を研いで50年以上、今でこそ鎌の出番は少なくなりましたが、昔は命。 品物もいいですが、研ぎ方も一流。ハエが間違えてとまったら真っ二つ。
若い衆は「もう、年寄りはでらんでもよか!」  と言われても、老人は鎌で畦道の雑草を刈ります。 一日がかりでした仕事も、若い衆は機械でジ――。小一時間でしています。
それでも、老人は早朝から鎌を手にウロウロ。
そして、知らない子がいると「あんた何処の子ね?」 僕はつくづく思うのです。
『よく、捕まらないなぁ』

 
作者 Administrator   
2003/08/19 火曜日 16:19:26 JST

脱サラで、農業をはじめて十年過ぎました。  まだ、消えない夢があります。  理想的な村を作る事です。  畜産家の農家が「牛ば飼いなっせ」と勧められます。 「いや、殺生がいやで・・・」と言えば。 「そんなら、乳牛がよかですばい。日に五升の乳が搾れるですばい」 「この『日に五升』に心が動かされます。  いいだろうなー、一頭の牛。家で飲みきれないんで、チーズとバターを作ろう。牛は放し飼い。
ついでに、小麦も作って、パンも焼こう。  そうだ、鶏もついでに放して、卵も欲しい。夢は尽きません。  それには、清らかな土地がいいですね。わき水が豊富な山麓。敷地の中央に池を作り、鱒とか鯉を放ち、動物たちと一緒に生活だ。  勿論、農業が土台になって、米も野菜も作って、大豆も麹(こうじ)も作る。味噌も自家製。  小さなログハウスをいっぱい建てて、友人知人を呼んで宴を開きましょう。  桜や果実の木を植えて・・。
世間とか社会とか隔てて、お日様の世界へ。  いつか、そんな村を作ってみたい。

 
食事療法
作者 Administrator   
2003/08/14 木曜日 16:17:58 JST

 高血圧で、塩辛い物が大好きで、酒飲みなんで、何だかあぶない取り合わせだなぁと自身思っています。  薬を貰って、飲んでいますが、自覚症状がないんで、飲み忘れる事が多々あります。
 子供が高校に行きだしたら、やたら出費がかさみ、自転車操業みたいになっているので、血圧の薬が長くもったら、ムフフ・・もうけもんばい。なんて思って病院に行けば、血圧測定は150ム100位。
「中村さん。分かっているのですか。酒と塩分は控えめ、それに、運動ですよ。こんな数値じゃ、何もやってませんと言ってるようなもんじゃないですか!」と先生にお叱りを受けます。
毎回毎回、お叱りを受けますと、少しは考えます。 「そうだ。薬を貰いに行くときだけ、血圧を下げていこう・」薬が切れかかると、野菜スープと粥だけ、塩分0これを、一週間。  一週間目は血圧130ム80台。体重ム2k。理想ですよ。でも、長くは続けられない。お腹が減るのが耐えられない。
それで、薬を貰いに行くときだけの、慣例行事になりました。  何回か続くと、「中村さん、いいじゃありませんか」と先生。僕は褒められます。へへへへ・・・・。  何回かしてると要領を覚えます。まず、塩分は多少はとってもいい。汗で飛ばしてくれます。野菜スープは芋類が、腹持ちがいい。  なんてったって、ベテランの域ですから。米と酒はご法度。
そんなある日。「あたし、○×式で、ダイエットしてみようかしらん・」とハニー。 「ええばい。競争しようばい」1週間の勝負期間。ムヒヒ・・・と僕。  敵は野菜スープが主。望むところだ。
僕はというと、2、3日でで1k減少。野菜スープは共通。じゃがいもはたっぷり。米と酒のナイ日々はつらい。 「今日は、果物がいい日だ」「今日は肉♪」「今日はバターとポテト・」と嬉々としたハニー。 「で、何k減った?」ななな・・んと。「2k」とハニー。 なんで?  その後、再起を振るうが、及ばず。どうもじゃがいもがいけなかったみたいです。  それでも、病院に薬を貰いに行って、褒められたのがなによりで。完敗。 「おい、明朝は、みそ汁と塩鯖と漬物、それに、あったかいご飯だよ。誰が何と言おうと!」
翌朝、ご飯はみんなおにぎりにしてある。「なんだ、あんなに言ったのに・・・」(_~_) 「フランスパンがあるジャン」目玉焼き二ツ、アイスコーヒー・・。 食べ出したら、美味しい事この上なし。涙が出てきます。 「わーっ。ウインナーとホットドックパン」お腹いっぱいで見つけても、焼いて食べます。 で、わくど(蛙)みたいなお腹ポンポコリンになって、動けません。 「くくく・・・苦しい・・・」節度がないなーっ。と我ながら感心します。

体重が戻った事は言うまでもありません。別に、いいですよ。

 
2003年8月9日
作者 Administrator   
2003/08/09 土曜日 16:16:01 JST

父が肺癌で死んで五ヶ月になります。自宅で看病して、父の死の覚悟も出来ていたし、何の悔いも残らない様に見取ったつもりでした。だけど、あっけない最後でした。やはり後悔も未練も心に尾を引いています。
大津町の山裾に畑と廃屋を借りて農業をしていますが、その廃屋の隣に九十歳位の老婆が一人で住んでいます。 「寂しかばい」と言っては世間話をして戻っていきます。御主人は八十三歳で他界されたとの事でした。大往生だなと聞く方は褪めていますが、本人にしたら堪 えがたいのだなーっ。

 村で葬式がありました。ある人が香典を届けてやろうと、気を配って老婆に「届けようか?」と尋ねると、「そのお金がない」という返答で、その人が立て替えたという事を聞きました。
また、ある時、僕が借りている廃屋の大家さんが、久々に逢い、老婆の家に泊まって話をしてみると、同じ事のくり返し。正常でなくなっているとの事でした。
村の夜は早く来る。冬の七時ともなれば、闇が深く、騒音もなく、あるのは風の音か、鳥の羽音。 「寂しかあ」と言う老婆の姿と、死んだ父の姿が重なります。
 畑で収穫していて、何か持っていってやろうと思い、老婆の家に行きます。 「今ある野菜は、ほうれん草と大根、じゃがいもに人参、里芋、白菜があるけど、いる野菜はないですか?」と尋ねます。 「今は何も作っとらんけん、なーんもなかです」

収穫を多めにして、老婆の為に野菜を洗います。  そして届けます。老婆は恐縮し何度も礼を言った後で、何かお礼に持たせようと、物色します。 「なーんもいらんです」と早々に引き上げます。
老婆の為じゃない、亡き父の為、いや、老いて死んでいった父に思う事の一割もしてやれなかった呵責から、その埋め合わせに、やってる事なんだと改めて思い知ります。僕自身の為。
「もう、長くないばい」と往診に来た医師。 「後、何ヶ月位ですか?」との僕の問いに、「今晩か明日の朝か・・」  驚いて、医師の表情を伺います。介護は持久戦になると覚悟していましたので、父の死がそんなに近いなんて夢にも思っていませんでした。  医師の言う通りになりました。次の朝、父は冷たくなりました。悔いだけが残りました。
その老女は、十二年前に亡くなった自分の夫を探しに夜の闇に出かける様になりました。  その姿が、死期の迫った父の姿と重なります。

 
従業員
作者 Administrator   
2003/07/29 火曜日 16:14:29 JST

廃屋を借り、トラクターやコンテナ等を置いています。  そこで、野菜を洗ったり、荷造りをしたりの作業もします。お昼のお弁当を開くのも、辛い時にコンテナを敷いて横になるのもそこです。  
ある日、お弁当を広げていると、一匹の子猫がやってきました。餌が欲しいらしく「みあー、みあー」ないて見せます。魚のしっぽを投げるとパッと口に加え 隠れてゆっくり食べます。何も、そんなに警戒しなくともいいのに。  子猫は一定の距離より近くに寄ろうとしません。「いつか捕まえてやる」というのが本心ですが、お首にも出しません。  平静を装い、多量に出た鶏のガラを自宅から持ってくると、その小屋の、お猫様專用のお皿に盛り、僕はお弁当。エンジンの音で分かるのか、その子猫はやっ て来ます。名前は「チー」と付けました。  
チーは皿に盛られたお御馳走を見ると、「みやー、みやー」と言うだけで、警戒して近付こうとしません。お皿を猫に近付けると、逃げ 様子を見て、僕が遠くにいると、サッサカサと現れて、骨をくわえては逃げるのです。  こちらは時間になると、畑に戻ります。お猫様の至福の時になります。「頂きます」  
分かった事は、まず、餌を朝は見せて味見程度に、少しだけ与える。そうすると、昼もやってくる。昼に全部やらないで少し残していると、夕方もお猫様は登場。なんと三度三度のご対面になります。
好きな物があります。このチーの場合は魚。そして、猫マンマ、御飯に鰹ぶしをかけ醤油をまぶしたもの。意外に肉は好みません。手羽先等の軽い、つまり、軽食の骨でも「何だ、親父。こんなもんしかないのかよう」とシブシブ鼻先をつけてくれます。  魚だったら、ルンルンランランとついつい僕に近寄ります。足元の皿まで来るのに半年、それでも、少しでも動こうなら、サッと逃げてしまいます。  僕は動かない様に努力しますが、小指が動いただけ、驚いて去ってしまいます。
毎日の餌が大変です。魚屋の廃棄物に魚のあらを始め、内臓、骨がたらふく捨ててあるのは、喉から手が出るように欲しかったのですが、言えませんでした。農作業でボロボロの格好をして、「これ、下さい」と言えば、物貰いですものね。じっと我慢します。
先日、子供の行事でバーベキューがありました。この時とばかりに「こげたのとか、手羽先の骨とかを下さい」と言えば「畑の堆肥にするんですか?」と質問 がありました。「お猫様のお食事です。夏場になると蛇が多いので」と答えたら。 「蛇は作物に、何か悪さをするのですか?」と聞き返されました。 「何言うのです。恐くって仕事が出来ないじゃないですか!」  猫というのは、狩りをして、獲物を飼い主に見せる習性があります。ですから、ここで捕まえた蛇も持って帰るというすんぽうです。
長男太郎に言わせると、お猫様は「従業員」だそうです。  毎日、朝から冷蔵庫を開けては「お猫様に何かな いかなーっ?」  えびせんとか、ビスケットを買い与えても、「げっ!もっと良い物ないのかよう」と、いやいや口にし、こんなまずい物はないと、顔をしかめて噛むのです。 そして、一つか二つ食べては、「ごっつおさん」といなくなって、その日は姿を見せません。「どうせ行っても、ろくな物ないもんな」てなもんです。
でも、今日は違います。ハマチの尾頭付き、背骨、内臓付き、軽めの塩フレーバーです。ウーム スメイルイズ グッド ミャンミャンです。 「ヘーイ。ミャンコ カモン」チーは大急ぎでやって来ます。 「今日こそ捕まえてやるっ!」噛み付かれたり、引っ掻かれても大丈夫な様に、厚手のゴム手袋を準備します。 「おおっ!今日はあたいの好きなお魚ジャン」「いただきーっゥ」とパクッとひとくわえすると姿を消します。 「ちょっと待て、まだ準備中だぞう」悔しいから、魚をパーツ別にバラバラにします。これなら一度にくわえて持っていけまい。  チーは影で食べてしまうと、又やって来ます。 「ルンルルル、ランララララゥ」チーは僕を見て、ギョッとして足を止めます。  僕ときたら、ゴム手袋をして、猫皿を足元に置いて、ロウ人形のように動かず、固まったまんまにしています。
「何か変だぞう」「この緊張感」それでもチーは恐る恐るやって来ます。  なんてたってお御馳走です。  お皿に近付き、ひと口パクッ。チーは様子を伺います。僕は微動だにしません。もうひと口、もうひと口。「なんだ、動かないジャン」と視線を僕からそらし たその時、チーを押さえ付けました。 「キャイン!!!」猫ですから、「キャイン」とは言いませんでしたが、大慌てです。  逃げようと身をよじりジタバタ暴れます。敵は必死です。ワジャワジャワーと身をくねらせると、僕の手から逃れてしまいました。 「しまった!」と悔やんでも、もう遅い。 「チー、おいで、おじさん何にもしないよう」と言っても、もう遅いか。
チーはしばらくたてがみを総毛羽立てていました。興奮覚めやらず。 「チー、おじさん何にもしないから」この言葉も空しく響き、チーは逃げてしまいました。  従業員と仲良くやるのって、やっぱり難しいなー。と社長の僕は思うのです。

 
2003年7月27日
作者 Administrator   
2003/07/27 日曜日 16:11:13 JST

中村裕二の日常
「雨にもまけ・・」
雨にも負け、風にもめげ
雪にも、夏の暑さにも寝込む
怠け心を持ち、 欲は非常に深く、すぐに怒り
いつも「世の中、銭ですばい」とつぶやき
一日に白米、しかも『コシヒカリ』二合と 『白波』三合と刺身だ、肉だと贅沢三昧をし
贅肉だらけになり、 あらゆる事を、自分を一番に勘定いれ
よく話を聞かず、早合点をして、ひとりよがりをし
大津町の町営団地に,われ先にと入り、決して出ず
東に病気の人あれば
行って「日頃の行いがいかんもん」といい
西に疲れた人あれば、行って「根性がたらん」と言い
南に死にそうな人あれば,行って「もうそろそろよかどたい」 「まわりの者が迷惑するたい、逝くときはポックリいかにゃ」 「下手ねえ~」と言い
北に喧嘩や訴訟があれば、「日頃からあんたの悪口ば、言いよらすばい」 と油を注いで火をつけ
『白波』がきれたら、涙を流し
後家さんを見たら、「何か用はなかかいた」とすぐにちょっかいを出し
みんなに変人と呼ばれ,褒められもせず,苦にされ
そういう僕に誰がした

 
Copyright 2008 SECOND SIGHT all rights reserved.