熊本カヤック紀行その28

阿久根大島

2007年10月28日(日曜日)
0530起床/まだ暗い中起きだして、昨夜取り揃えた道具類を寝ぼけ眼
でレガシーに積み込む。
 この夏は7月にフォールディングを組み立ててそのままにしていた。
それも昨夜車の天蓋にしばりつけてある。
0600出発
 まだ暗い中阿蘇の向こうに曙光がきざす。
 熊本インターから高速で八代をめざす。
 八代で間違えて人吉方面に向かってしまう。
トンネルが23個あります。と看板が後ろに跳び退っていく。
これは結構痛かった。途中インターはないので人吉までいっていったんおりて再度もどってくるしかない。往復46個のトンネルだ。時間にして50分ちょい。いっそ球磨川くだりに変更するかなどと思う。
朝霧に煙る人吉についてとんぼ返り、やっと八代にもどりしばらく行ったところのlawsonでジャムバターコッペ、チーズかまぼこ(4本入り)スターバックスのキャラメルラテなどを購入。このラテが210円といい値段だが非常に質が高い。ふんふんと感心しつつ、田浦.芦北を過ぎる。それを食しつつ出水の脇本海岸をめざす。
 水俣を過ぎると何か南国の感じが出てくる。植物や潮焼けした板張りの家など、名も知れぬ洋品店、そんな風景がボクは好きだ。個人としては新幹線なんか通さないでほしい。もっとゆっくりしたほうが豊かだと思う。便利になっていいですね、とはあまりにも想像力にかける考えだ。AppleMark
0900過ぎ脇本海岸へ着、いい天気だ。気温もちょうどよい。日中は予想通り25度くらいになるだろう。ドライスーツは不要と判断
砂利敷きの駐車場に車をとめた。
 光がすごい。防風林の間から思いがけず近いところまで海が迫っていた。
間もなく満潮なのだ。湾曲した白い砂浜が遠くまで広がっていて自分以外にはだれもいない。眼前にはエメラルドの海。阿久根大島が数キロ向こうに横たわっている。その向こうに甑島が煙っている。
 ほぼ晴天。海は無風、凪ぎ。
ちょっと残念。台風20号の影響で強風/高波警報が出ていたので今日は外洋
すなわち東シナ海での荒天時のパドリングを経験してみるつもりだったのだ。
気温/天候あたり考えると今日やっておかないと次はなかなか無いと思い。
急遽昨日決めた。
 しかし目の前の海はぼくを歓迎してくれていた。長過ぎた夏の終わりのプレゼントである。シングルシートをセットし、フットバーを調整する。
1000出航
 しばらく漕ぐうちに舳先のしたスペースにダンゴムシが1匹居るのに気づく。
恐らく最近家のウラに伏せておきっぱなしにしてたのでそのまま我が家にしたものであろう。彼にとっては安楽な居宅であったはずがまさか本人もそれが船というもので自分もいっしょに海を渡るなどとは思っていなかったであろう。ややうろたえた様子でうごめいている。
 今日はイナゴ団(注)の団員もおらずボク一人なのでダンゴムシとともに
いこう。
漕ぐにつれ少しずつ体が順応しはじめる。パドルで水を掴む感じが出てきた。それにしてものどかな海だ。
振り返ると意外にまだ近いところに出発地が見える。
左に長島、さらに視線をのばすと牛深だろうか漁船が横切っていく。
左2キロほどのところに崖がちの海岸線が続いているので距離の目測には役立つ。
後方から運動会のmcがいつまでも追いかけてくる。脇本のどっかでやっているのだろう。
 海の色が少しずつ藍色に近くなっていく。
右数キロ向こうを鳥の大群が低空飛行していく。

1102阿久根大島の砂浜へ上陸
    陸地とはいいものだ。気持よく晴れた空を鳶が数羽舞っている。
    カヤックを引っ張り上げ。島内探索へ。
    ぼくは飲料水を忘れるという失敗をしていたのだが自動販売機があ
った。これが観光地でもなんでもない無人島なら一つ間違えばぼくはひからびて死ななきゃならない。
財布を探ったがあいにく10円数枚と1円しかない。「なんでこういうときに限って!」と思うが結局自分の準備が悪いのだ。釣り人が2、3人いるのでちょっと両替をとも思うがどうも気がすすまない。釣人というのはのんびりしてるようだが実は大抵忙しい、そして欲に駆られている。中国の墨絵の世界に出てくるような枯れた釣り人はほんの少数派である。
飲料水は断念。
松林の木漏れ日の中に鹿がいる。それなりに警戒心はもっているらしく近づくと一定の距離に達した時点で優雅に跳ねながらまた距離を保つ。
 島の裏側は崖っぽくなっていた。下を覗くと岩がちの浜辺が広がっている。風が遠く水平線の煙る東シナ海のほうから吹いてくる。穏やかで静けさに満ちた朝だ。
海の家の古びたタイル作りの洗面所や、潮風にさらされた木製のドアが気になり、写真をとる。それらにも木漏れ日があたたかな陰影をあたえている。
1130再出発
黒い服をきた男が突堤で竿を振っている。オフシーズンだが少数の釣り人の需要があるらしく1日は出水港から何本か船が出ている。その汽笛がなんともちゃちな感じでいい。
少し漕ぐとすぐに海の色が変わる。

帰りはややおもむきが違った。午后近くなって天候に動きが出てきた。
西風がやや強く波が立ち始めた。進行方向に向かって左真横から風と波が来る。
やや難儀だが「おーよしよし」と思う。波の越え方もある。足の踏ん張り方でも直進性とスピードが変わる。西の方をみると雲が出てきている。
 舳先が波にぶつかりしぶきが艇内にもはいる。「オー感じ出てきた」と思う。
ペースを一定で漕ぐとかえってつかれるので数種類の漕ぎかたをする。
漕ぐほうのウデと同じ方の足で踏み込む方法、逆足で踏み込む方法。
背中を立てて背筋と腹筋を使う方法。目線もあまり遠くを見るとなかなか目標が近づいてこないのでつらい。そこで手元の海をみる。そうするとちゃんと進んでいる事がわかる。
 漕ぐのを止めて小休止。
水平線を見るのは気持がいい。東シナ海は行きと違いやや凄みのある紺色に波だっている。雲が甑島後方に立ちあがりはじめた。
1本釣りの漁船が右前方にいる。鯛かアジか。右の沿岸をバスが尺取り虫のように走っている。
来るときに目印にしておいたグリーンの屋根が段々近づいてくる。
あと数百回パドルすれば脇本の湾内にはいるだろう。

1230頃脇本海岸へ帰着
    エメラルドの湾曲した水域はさほど高くない波で縞模様になっている。
    砂浜が随分広くなっている。汐が引いたのだ。
    しゃがみ込んで貝をとるひと、家族連れが数組広い海岸線に散ってい
    る。
    日射しはあふれんばかりに降り注いでいるが何故か秋の気配でもある。
    ダンゴムシはシートの後方で海水に浸かり、死んでいた。
    ここまで一緒にがんばってきたのにダンゴムシのばかやろう。

    いったん上陸するが車の位置が違っていたので再度カヤックに乗り込
    み移動。そろいのトレーナーを着たそれほど若くもない男女がなんと
    無く目障りだ。両方とも膝までジーンズをたくし上げ何かすなを掘っ
    たり、手をつないでみたりしている。
    再度上陸。
    カヤックを引き上げ防風林横で水だし。墓がある。随分古びた墓
    石の横に小さな地蔵がちんまりと座って陽をあびている。
    あまりにもいい天気なので泳ぐ。
    何ら問題は無い。寒くないし、クラゲもいない。こんなに気持のいい
    海水浴日和はない!10月の終わりに海水浴は初めてだ。
    引き潮に巻き上げられた砂煙の中を何かの稚魚が群れをなして通過す
    る。恐らく砂底からの微生物を食するためだろう。
    少しジョギングして再度泳ぐ。
    上がり際に沖を見渡すと甑島の上に雲が堆積し、どうやら局地的に雨がふっているらしい。それ以外はやはり光に満ちた10月の海辺の風景であった。完

 

2006.2.15
「電磁の力だ新宿なべふり日記」その1 〜リョータロー飛行機に乗る〜の巻き
06年2月15日(水)
妙に暖かい あれから一年またもや新宿へ舞い戻ったのだ。
岩田、矢野、おれの3人トリオは霧とも霞ともつかぬ熊本空港を朝九時の飛行機で発った。
黙り込みがちなタクシーの中で最年少の矢野にきいたところ 飛行機に乗るのが初めて、東京に行くのも初めてということであった。
「飛行機の事故はひでえもんね。」 「なんかあったらひざを座席の上にあげんと後ろの座席が雪崩うっておそいかかるけん足がつぶれるぞ。」 「大体あんな何百トンもあるもんはほんとかろうじて空中に浮いとるというだけのこっだけん。」 「スチュワーデスなんかはそういう事実、ないしヤバさばかくすためにきれいな女の子にして笑顔でだまそうというこっだけん。」 さんざんおどかした。 もやの中からボーイングが一機着陸態勢で脚をだして おりていくのが見える。

「しかし飛行機ちゃ鳥に似とるね。」 早めに空港につき朝食。 矢野は去年子供が生まれたばかりで一週間も家をあけるのは初めてらしい。
ミルクなんぞを飲んでいるやつの横顔に不安が見える。 岩田もそうだ。朝飯もそこそこに煙草を吸いに空港ロビーに消えていった。
たまにはいいではないか。男は外に出て仕事をするもんだ。 「ヒコーキの乗り方はどうすればいいんですか?」と矢野が聞くが特に乗り方というものはないのでフツーに座るだけだ。 定時過ぎに離陸、矢野、岩田は特にパニックを起こすような事も無かった。
雲上は真っ青な空が重層的に覆っている。 雲海をみて雪のようですねと矢野は言った。

10:40分 無事羽田着 モノレールで浜松町経由、新宿へ向かう。 東京湾岸は殺風景だがぼくにとってはある種の郷愁を感じさせる。
都市の機能美とは無雑作なものだ。
工場、住宅、潮さびた実用一点張りの船舶。 ふとした瞬間覗くビルディングの窓の内側、決して美しいとはいえない海辺。通り過ぎた船のウエーキ、立体交差する道路。 首都高速が見え巨大都市の稠密で入り組んだ空間に侵入していく感覚。
12:00 新宿はその喧噪が懐かしかった。
ホテルは新南口から歩いてすぐだったがチェックインまではまだ時間があった。 荷物だけ預けランチに出かける。
歩き回って結局「ライオン」にする。 牛カツレツの定食、牛タンの定食、スクランブルハンバーグ定食など。
地下の客席ホールは予想に反して混んでいた。やはり局部的な昼間人口の多さは特筆すべきだ。 サラリーマンが非常に多い。

13:00高島屋10fへ 思ったよりセキュリティが厳しくない。
10fはまだ比較的閑散としていた。薄暗いマネキンの並ぶ空間。 ぼくらのブースはその先に有った。
まだ冷蔵冷凍の機械や、電磁調理器具の配線が取り散らかされた状態だ。
バックヤードがありそうだったのでウラに鉄の扉をあけて入ろうとすると 作業着を来た男がでてきた。
ここは立ち入り禁止だ一切禁止だ、というようなことをややけんのある言い方でこっちに向かって歩きながらいった。
電磁調理器具用のフライパンが重すぎて使えなかった。 あまりにも鈍重だし、中のものをどんぶりに返すということができなかったのだ。
ヤマゲンにきいてももうひとりの高島屋の人に聞いてもはっきりした対応は無く、途方にくれる。途方に暮れるというのも予定のうちだ。
新しい場所、新しい道具でなんとかモノ作りをやるしかない。
身長195センチリーゼント頭の葛西さんに電話してどうにかしてくれと頼む 電話が途切れがちだが「マツモトをはりつかせるから」という返答はもらう。 この葛西さんは数週間前突然熊本の紅蘭亭フロントに現れた。事前調査にきたわけである。
食料品バイヤーの仕事は要するにスカウトである。日本全国をこうやって回るのだろう。

フロントに現れた葛西氏はツクリモノのようなリーゼントで 「以前北海道のいくらドンブリやったときは写真とちょっと分量が違うというクレームがはいってシャコク出してそれで4000万ですよ。」 シャコクとは陳謝広告のことか。 「バーンとシャコクですよ。」 両手を丁度新聞の1面の幅くらいに広げてそういった。 帰りに立ち上がるとあまりにも背が高いのでびっくりした。なんとなく存在そのものがウソっぽい。
あれから2週間ぼくらは新宿で再遭遇したのだ。 葛西氏のリーゼントは絶好調となってひさしのように張り出している。
ちょっとした小雨なら傘はいるまい。エレベーターの壁に「極端な髪の色、服装はやめましょう」と張り紙がしてあったがこのひさしはいいのかね。

ナベ問題はあっけなく解決した。結局手持ちの鉄ナベを使用したらそれでよかったのだ。 最初からそうすればよかったのだ。
モノのレイアウト、原材料などが全てそろったところで退出

18:00 ホテルにいったん帰り夜の新宿に出る。
シャツ1枚の岩田は少し寒そうだ。 会話の最後に「じゃん」か「さあ」をつければわれわれの熊本弁も東京弁のように聞こえるのではないかとさかんにぼくと岩田で練習する。 「こらやっぱさみーねー東京は、、、、、、じゃん。」とか 「よかじゃんかさあ。」とか。

歌舞伎町に「葉青」という台湾料理屋をみつけてはいる。 コブクロの炒めがうまい。
ぎゃはと笑っちゃうような丸い分厚いワイングラスのなりそこねみたいなグラスで生ビールが来た。
あれやこれやと料理の話しをしつつ食事。接客がいい。恐らくオーナーのひとりであろう女性マネージャーの動きが良い。
少し歩いてホテルに帰る。まだ8時台だ。 矢野の部屋でちょっとミーティング。 自室へそれぞれ帰る。
小さいが清潔な部屋でそれぞれ何を思っているのか。
1メートル四方の窓をあけると電車の音が飛び込んできて向かいのビルの非常階段が視界一面に広がっている。

ああまた新宿に戻ってきたぞこれから一週間だなと夜の冷気に当たりながら思う。

2005年9月12日
道で寝る男2
夏の午後であった。
8月ももう終わりで商店街のアーケードには午後の喧噪が 潮騒のように広がっている。
脇道にはいったところで休む男をみつけた。
丁度腰掛けるにいい石造りの縁石に座り背中を曲げて首をうなだれている。
よく寝ている。
目の前には業務用のごつい自転車、後部のプラスティックの箱には新聞紙が見える。
野菜かなにかの配達の途中だろう。 疲れた魚のようだ。
川に行くと岸辺の薮の足下でよく魚が休んでいる。それに似ている。
雨のあと奔流に もまれた大きな鯉などがよくそうしている。 バランスの取り方が絶妙だ。
重い頭が上についているので傍目からみると非常に不安定に見える。
「おきあがりこぼし」の逆である。
ぞうりに短パンをはいた足はちんまりと前方にまとまめられ腰は次第に湾曲しつつそ のカーブによって頭をつり下げている。
丈夫な短い釣り竿にすごく重いおもりをつけたような状態を想像していただければよ い。
そふしてゆうらりゆうらりと揺れている。
後ろにヒックリ返りはしやせんかと 心配するがそふなる事前に腰でコントロールしている。
名人の域に達しているといえよう。
彼は今このひとときの人生をこのようにしてやり過ごしている。
幼き頃の海辺での思ひ出が彼の胸に去来し、彼の長年の労働に報いてきた両手はまっ すぐに垂れ下がり一つのバラストとなって働きつつ軽く握られている。
嗚呼、白日の夏の夢はいまいずこ。
この人の来し方行く末を思ふ。
アアケイドのさんざめく人声が遠くなる。
傍らの街路樹で蝉が低く鳴いている。


急に涼しくなったようで・・お盆の頃の猛暑が懐かしい。
「まだまだぁ〜!」と暑さに逆ギレしてた頃、ヨーコージから投稿があっておった。

(以下投稿) 道で寝る男

真夏の朝10時とある繁華街のゲーセンで熟睡する男をみつけた。
まっすぐに立つということを忘れ去った肉体は見事なまでの脱力である。
この男のねじれ具合をみるがいい。
段下の石畳に右足のかかとをあずけ、左足は臀部への負担を軽減するかのように右足 の下に上手に折り畳まれている。
「おれもおええやあ、カワグチ部長もリカコももうええやあ。」 という「おれもおええやあ」という精神状態のまま倒れふしたのだろう。
「昭和生まれ哀愁の午前4時あきらめの夏」であろうか。
いずれにせよ彼をそうせしめた原因よりもわたしをとらえたのはその姿勢であり、力 の抜け方であり、彼の平和そのものの顔の表情であった。
彼の頭蓋にはタイヤのゴムがアスファルトを噛む音が聞こえているに違いない。
すでに日差しは白熱し、気温は30度を超えている。

熊本カヤック紀行その23 湯島海峡横断2005年6月30日(木)

一回の下見、江津湖での演習をふまえついに実行の日がきた。
昨夜は興奮して眠れなかった。
宮本ボートでバラスト用のタンクに水を入れ2個準備。風が強い場合は役に立つだろう。
ついでに艇やからだを洗える、水を捨てればフロートにもなる。 15キロが二個。

佐藤kは0558時にジムニーに乗ってやってきた。
「いやあきのうは寝れませんでした。興奮して。」 kはいきなり後部座席から食料の入ったビニール袋を出した。
中身はリンゴ/チョコバー/魚肉ソーセージ/カロリーメート/黒砂糖飴 など。底の方に鮫よけの乾電池が数個。
非常用食料だといってまっさきに魚肉ソーセージのあの不気味なオレンジ色のビニールをむき始めた。 かなりな緊張状態とみた。
とりあえず荷物をすべておれのレガシーに移し。

0500時;
江津湖宮本ボート出発 途中空模様、が気になる。雲が結構南から走っている。海上は風があるかもしれない。 宇土半島、太田尾付近から渺々と広がる島原湾が見える。幸い風はそれほどでもなく波の様子もおだやかだ。これならいけそうだ。  青空ものぞく。

0600時:
天草大矢野着       
七つ割漁港にてセットアップ 僕の艇は昨夜雨のそぼ降る100円駐車でほぼ組み立て終わっていたのでkの乗る方を2人で組む。
この七つ割漁港は湯島までの最短距離だ。約5キロちょっとだろう。1時間ほどが適度な速さだ。
組み立てながら海をのぞくと大変透明度が高いのに驚く。甑島などと似た水の色だ。6月最後の海の色は翡翠色だった。、
犬を連れた女性が立ち寄り、犬にともなくわれわれにともなく話しかける。 「うわあ、いいねえ、おにいちゃんたちいいねえ。」
犬は知らんふり。 「まああ、かっこいいねえ。」犬はしきりに傍らの薮でにおいを嗅いでいる。

  湯島は目前に洗面器を伏せたように見えている。 朝の光は海に反射してまだ不安定だ。雲も低くどう変わるかわからない。
伴走船の松尾さんが大盛丸という立派な漁船で入港。直前に電話で連絡を取り合っていた。
道具を詰め込んでkから先に出航。船底のチェックなどする。ぼくも追って出航。ああこのどきどきはなんだ。よし棍棒も積み込んだ。

0655時:出航 短い埠頭を回り込んで直線にて湯島をめざす。 水温は高い。
大盛丸はつかず離れずで左後方をついてくる様子だ。 波は穏やか、風もほぼないでいる。小潮の停滞をみての作戦行動があたった。
一気に湯島までいきたい。 右奥に雲をいただいた雲仙島原が大きく見え左に天草下島が広がる。 たことりの漁船が数隻みえる。 のどかな風景だ。
  Kがやや遅れてついてくるが十分対応できている。さすがライフセーバーだ。
飛び魚が一匹僕の前を横切った。背中がはっとするほど美しい。海の化身のよう。
アップダウンが心地よい。波の谷底で加速する。水面の揺れ、最初の軽い疲労がすぎてリズムが出てくる。
広い空間とスピード、肉体のバランスがうまくかみ合ってくるのがわかる。  

30分こいで小休止。 左に小島。ウーロン茶を手渡しでkからもらう。空に大きな晴れ間が見え る。
日が射して海の色が明るいグリーンに変わる。この辺は浅いようだ。 Kは大汗をかいている。ちょっとペースが速いかもしれない。
しかし 今日は早めの方が全般いいはずだ。 後半は湯島港の手前までほぼ一気にいった。よかった、鮫はいなかった。

大盛丸に艇を寄せて松尾船長と打ち合わせ。
「西側の海水浴場に上陸しょかなーと思うんですが。」
「なら南からまわりましょかね。今日はフカ狩りしよるです。港は通りにっか。」 えっフカ狩り?
「まだ時間も余裕があるけんですね。」
海面から見上げると松尾さんの真っ白いtシャツから赤黒く日焼けしたウデが見える。
Kが右手の浜辺をすすめるが結局港を通って内部のスロープからの上陸。 大盛丸の先導で我々カヤック艦隊はしずしずと湯島港にはいった。
埠頭に比較的大きな漁船が入ってきている。どうやらフカ狩り船らしい。
堤防に人だかりがしている。そうかほんとにフカはいるんだな。
と思ってよくみていたらちょうど3メーターほどのシュモクザメがその邪悪な姿をクレーンでつり下げられておるではないか。
げえっ! ぼくはジャッククストーの記録映画などでたくさん鮫の映像はみたが実際にみたのは初めてだった。
そのかたわらを通り過ぎて埠頭を回り込むと湯島の内懐だ。狭い斜面に数十戸の民家がかたをよせあっている。

 
0750時:湯島入港 一番おくまったところで上陸。Kと握手。 さっそく港まで鮫を見に行った。 大盛丸の松尾さんもいっしょだ。
どす黒い血を流しながら200キロから300キロのしゅもくざめが荷揚げされている。
「観光フカ狩りツアー」のおじさんおばさんたちが遠巻きにして多数それをみている。 歯はすべて船上で取り除いてあり鮫の口元は血まみれだ。離れた目は真っ黒で表情がない。形容しがたいグレーの肉体は見事な流線型で速さと力の象徴だ。 全身これ筋肉。
群衆をかきわけて触ってみた。さかなですると「ぎっ」と指がひっかかる。うむこれが鮫肌か。と納得。
ムこりゃかなわんー と僕は思った。水中でこんなのに襲われたらイチコロでアウトである。つくづくおれたちは馬鹿だと思った。
この圧倒的なパワーは乾電池や棍棒で防げるはずはない。畏怖すべき動物だ。 ばばさんたちがフカは完全に死んでるのを納得したらしく、
横たわったフカの上に数人で座りピースサインで記念写真をとったりしている。

いかにも精悍な初老の漁師に聞いてみたら餌は穴子だそうだ。 大きさはやはり200から300キロ。
出刃包丁を持ったフカ漁師が「ひれはいらんですかさしあぐっですよ。」 といっている。数人の人がひれをもらっている。
紫のジャンパーを着たおじさんが出てきた。 「これは中華のフカヒレといっしょですもんな。」 ばっと皆が聞き耳をたてる。
中華のふかひれはほぼヨシキリザメと相場は決まっている。これはハンマーヘッド、シュモクザメだ。
どうやって食べるんですかという質問に 「やっぱりうまい具合きってからそのまま吸い物に。」 いやそりゃ違うと思うが。
「ほすと時間がかかるけんですね。」 知ったかぶりの権化である。 だが数人の人が鰭をくれと言い出した。もらっても困るのになあ。
だまされたふりをしてぼくらは一番でかい尻びれをもらった。 それを持って船小屋の下のカヤックにもどりふねを引き上げる。

「ふとかつのとれたなあー。」とくわえたばこの漁師が気軽に声をかけてくる。
「はあ、この辺に中華屋さんはなかですか、売ろうと思ってですね。」 というと「うしゃうしゃ」と笑っている。
年寄りがのびのびとしていて気分が良い。

やっこらとカヤックをコンクリートの岸壁におろすと木陰のパゴラで数名の日焼けした漁師がいかにもゆっくりとくつろいでいる。
Kとぼくは30キロのカヤックとフカヒレを下げて港内をうろうろした。 とある雑貨や(一軒しかない)にはいり缶ビールと醤油を購入。
鮫を食おうというのだ。 とりあえず乾杯。 しっぽのくびれの赤身を少し削って食べた。血の味がこゆすぎる。さっと霜降りにしたらうまいだろうなと思った。
 Kのもってきたスイスのアーミーナイフで皮をはぎとってみた。 まず皮が硬い。刃がなかなかたたない。ざぎぎと刃をやっとの思いで入れて何度も小刻みに動かしていく、白い腱があらわれるがこれがまた強い。 通りすがりの人が見物していく。
「そらどぎゃんして食うとな?」と尋ねる観光客らしいおじいさん。 伴走の大盛丸を紹介してくれた昭和丸の姉さんもきてくれた。
不思議とだれもが警戒心がない。普通に挨拶し普通に話すのが不思議だ。 なぜか安らぐ。湯島はそういうところだ。  


重いカヤックをおいてフカヒレをぶらさげ西側にある海水浴場に行った。 道ばたの花がきれいだ。小さな冒険のあとは特にそう感じる。
水中眼鏡をつけて泳ぐ。冷たい水が心地よい。何度か小さな湾を往復する。 港の水がきれいでうれしい。このまま美しくあってほしい。
危険からの解放感もあり爽快だ。時間もまだ9時半過ぎだ。
フカヒレを両手両足ではさんでkが泳いでいる。 後ろ向きにかなりな速さで進んでいるがちょうど鮫に襲われているようにもみえる。
 これが洋上で沈したあとの現実でなくてよかった。ぼくもKと同じことをやてみた。 鮫の切り口からまだピンク色の血が出ている。
「ほんとなら6キロさきから鮫がよってくるはずですよね。」とKがいう。 鮫の鰭を手でもって遠投したが数メートル向こうに落ちただけで水中をみると 切断された優雅なそれは低く沖に向かって滑空していく。
もうちょっと沖合にすてようということで沈んだそれを再度拾い、「ぶどう玉」(これなんていうのかな海水浴場でよくあるやつ)の向こうにKがすてた。
鮫は止まったら沈むという。
かつて数年にわたり名もないシュモクザメを縦横無尽に駆け巡らせたそのひれは静かに湯島のかたわらに沈んだ。

ぼくはしばらく泳いだ。沖合に風が立ち始め、海が少し動き出した様子だ。 小潮の停滞時間が終わったのだ。波も出てきた。 透明なはずの水の分子が無限に重なるグリーンの沖合からやってくる鮫の幻影に急におびえ陸に上がった。あがって魚肉ソーセージを食べた。無性にうまかった。  

新たな雲が西からやってくるはずだがその向こうには目も開いていられないほどの夏の光と空間がある。
ほんのわずかな天気雨がその知らせだ。

番外編 「大阪食博なべふり三昧記その1」
大阪鍋ふり日記1 2005年4月27日(水)
アキオとユージ、オレの三人組はボーイングに乗って春遅い空に斜めに突き刺さっていった。
飛行機からの視程が非常によく阿蘇の噴煙と大分の海が同時に見えた。
四国近辺と瀬戸内の海はまるで銭湯の絵のようで数千メートル下には小さな漁船が蝟集しているさま、繊細な山肌にいくつかの集落がよりそっているのが見えて飽きなかった。
 
  出発前朝六時半
アキオは数分遅れてきた。いつものように漫画喫茶で夜明かしをしておくれたんじゃないかとユージは早朝の空気にハイライトメンソールの煙を吐き出しながら言った。
 
アキオはタクシーの中でよくしゃべった。
アキオ: 「太平燕のホームページ作ってるサイトーさんて言う人はウチの隣で  床屋さんしよらすです。」
「専務によろしくていいよらしたです。」
ボク: 「ヘー」「じゃあ今度頭に春雨乗せていってすいません切ってくださあい。」 ていうのはどうだと言うと
前の席でユージが笑った。
アキオ:「何年か前の台風のときは瓦が今は高いけんもう少し待ってくれていうて待ちきらん人にはもうよそでしてくれていいました。」
「あんときゃすごかったです。」
ボク; 「あ、そう」


 
アキオは37歳。実家は工務店でやつは調理師の仕事を選んだ。 金太郎のような体に眼鏡が似合う。密な髪の毛はスポーツ刈りだ。
  離陸のとき妙に静かになったなとよこめで見たら薄っすらと笑いを浮かべて半眼になっている。
  あとで聞いたら 「離陸が苦手で恐ろしかったんです。」ということであった。
「あのギューンて行くときがだめです。」とオレンジ色のポロシャツから突き出した腕を斜めにしていった。

  伊丹に着陸後空港の外に出たらまるで初夏のような日差しだ。 風に少し冷ややかさがある。
千里中央までモノレイルでいき阿波座まで中央線で「ニューオリエンタルホテル」にチェックイン11時頃。 安い。「毎日の掃除無し」だともっと安い。いい加減だが実質的だ。
 食博覧会会場のインテックス大阪はここから25分ほどだろうか。 空いた電車の車両では
アキオは漫画を読んでいる。いつの間に買ったのかと思い聞いて見たら 「拾いました。」とのことであった。
  いつの間にか大阪港が見えている。タンカーが何隻か。 会場インテックスは巨大であった。
  巨大なドームが6個ほどありそのすべてを食関係の展示、即売、実演、イベントで占めようというのだ。
資材を運ぶ人、恐らく徹夜明けの作業員がそこら中で寝たり、座ったり、ドリルの音、すごい喧噪の中迷いながらわれらのブースを探す。
 
  われわれの小間は熊本県のブースの半分をしめていた。このドーム全体が「ふるさと街道」という日本全国のウマいもの大集合という趣向らしい。 そのほんの片隅のいかにも目立たないところにぼくらのコーナーはあった。

  幅5メートル奥行き2メートル50くらいか。 見てうむむと思う。
まず防火ができてない。床は普通のグレーのカーペット。壁はたたくと単なるベニヤに紙をはったようなもの。でかいさいころを組み合わせたお立ち台のような箱の上にガスレンジが2基。ローレンジが2基。鍋は普通に洗う事はできないのでいちいちシンクで洗わねばならない。 排気設備は無い。 油ばんばん使っていいのだろうか。
  まあたいていの事はなんとかなるものだ。新宿伊勢丹の春のイベントでもなんとかなったし。

 防火板をレンジの背後にリクエストする。ガスがなかなか開かずガスの担当者に電話するが心細い声で「何時になるかわからへんのですわー。」 冷蔵庫を開けると通電前で非常に臭い。消臭剤をもとめて隣の駅まで行く。
  準備その他が済んで19:00時
アキオとユージ、ぼくは素早くなんば、道頓堀方面の夜の迷路へ去った。
以前から気になっていたおはぎ専門店でおはぎ3個、きな粉おはぎ3個購入  縁辺路とかいう吉林省出身の人の店で食事。
次から次に現れる路地に 脚が棒のようになるまで歩く。
 視界の届く限り続く隘路の灯火。ネオン、道頓堀の鈍い光。ソウルメートというお好み焼き屋で葱焼きを食す。 宗右衛門町がいい。何度も迷う。
「だけんあっちていうたじゃなかですか」と
アキオがいう。わかっとるよアキオちゃん。 明日からが問題だ。10日間の戦いやいかに。    

番外編
「ウエムラの頭」
05-5/20
5月下旬にしてはうすら寒い。
朝から前衛劇団ゼーロンの会代表、上村清彦から電話があり「きてください」 というので指定の場所崇城大学芸術学部までいった。
 11時に打ち合わせをするはずだったナベもいっしょだ。 アリーナ上になった広い空き地に上村は首だけ出して生き埋めになっていた。
 野菜のようである。芋かキャベツか。 一個だけ収穫されそこねたそれ。かまたは他は全部死んで上村の首だけが実った。そんな感じだ。
 彼の首から下は完全に地中にある。それは根っこなのだ。 周りでは芸術学部の学生がてんでにスコップを使って最後の仕上げをしている。 上村は愉快そうだ。
 「上村さんなにやってんですか?」 と聞いたが首をまわせないので笑顔だけが斜め上から見下ろせる。 ああ葉山さん、と言って目前の大地と雑草の狭い狭い彼の目のために用意された庭をみている。
 上村の目の前には段ボールがしいてあってその前に人がひとり寝転べるようになっている。
 ナベがそこに寝転んで上村と話している間にぼくはソプラノサックスをとりに車へ帰った。
 左手にサックスを下げて戻ってきたときはまだナベと上村は話していたが。 かまわず吹いた。学生どもがおおとかなんか言っている。
 そのまま最低音のBフラットを吹きながらかがんで上村の頭に吹き出し口をおいた。 上村の五分刈りの頭によって音はやんだ。「おお」と声があがる。 上村は嬉しそうにしているに違いない。ボクの吹き込む息と上村の頭はソプラノサックスによって隔たっている。手でもたなくていいいので楽だ。
 再び上村の頭から吹き出し口をはずすととまっていた息が入って音がまた出る。「すごいすごい」と誰か言っている。
 何度かそれを繰り返す。 アリーナ上の校舎の向こうから白蛇マリーがやってきた。
「あら葉山さん」 「これはこれはマリーさん」
うすでのワンピースの上にバスタオルのようなものを羽織っている。ヌードのモデルをきょうはやっているそうだ。
 ちょうどナベの話も終ったのでサックスを吹きながらその場を去る。
校舎の前のロータリーを通る際に運転席の窓から上村に声をかけたが 数十メートル下方に見える「上村の頭」からはなんの反応も得られない。
 少し動いたようだ。 何かぼくに向かって言ったのかもしれないがわからない。小さすぎる。 石ころと何ら変わりはない上村の頭。

熊本カヤック紀行3

「菊池川河口」2004年9月18日 8:00過ぎ上熊本から本妙寺を抜け、
雲を少しだけまとった金峰山を超えて河内へ出る。
 右に曲がって30分ちょっとで菊池川の河口にぶつかる。
「新大浜橋」から川沿いの道を進むと茫漠とした河口の風景がみえてくる。
1の橋としての新大浜橋から下は護岸工事がほぼ全域を覆っている。
いつ降った雨の分だろうか、水たまりをさけながらカヤックをおろせるところをさがす。
 
海までもう2〜3キロの地点で適当なところを選び車を止める。かたわらに カヤックをおける丁度いい芝生もある。
骨組みだけにして屋根に積んでいたフォールディングカヤックをおろして 組み立てる。
カヤックを肩に、細い急な階段をおりると、海から川につながる漠として茶色がかった水面を風が吹いてくる。

有明海から吹く風だ。 遠くに普賢岳がかすんでいる。 波はほぼない。
護岸のコンクリートから水面まで14,5メートルの水平な石組の土手が続いていて
その上をよろけつつ歩いてカヌーを水におろした。
 とりあえず上流に向かってみるかと舳先をさきほどの橋にむける。
対岸まで2,300メートルはあるのだろうか?  

海に出ていく漁船が数隻。海苔か船釣りだろうか。2キロほどさかのぼるともう橋だ。
 さらに上流に向かうとすこしづつ生活のにおいがしてくる。
小さな漁船たまり。川岸を竹を積んで走る自転車のおじいさん。
たき火のにおい。どこかでやってる運動会のアナウンスが風に乗ってときどき 聞こえてくる。

 護岸工事もとぎれがちになってきて釣り人もちらほら見える。
水も見た感じそれほど汚れてはおらず、ごみの類もそれほど目立たない。
同時に生き物の気配はなく、目標物のない広い水域を漕いでも進んでいる実感があまりないせいか
ちょっと白昼夢のような感じがする。
これはたとえば海を漕いで渡っても退屈するものかもしれないなと思う。
たとえば霧の海を何キロも漕ぐとしたら、、、そういったことに平然と耐える人間は少ないだろうなと思う。

引き返す途中で天気雨に見まわれる。
どうせ水だらけの中にいるわけだから 全く気にならない。
雨の水滴がきもちよく肌を冷却してくれる。
前方にくっきりと漣が立っていてどうもそこから先が海らしい。
海から風が吹いてくる。
人気のない小さな漁船だまりがあり 低い短い突堤にカヤックを寄せると小さな飛びハゼが
それにしがみついて 身を空気にさらしているのをみつけた。
よくみるとごく小さな川蜷の類も 群生している。この小さな生き物たちは大きくなれるのだろうか?

 再び舳先をかえして川の中央にもどる。
数キロ下の海と接するところで巨大な工事機械が動いていて規則的なくい打ちの音がこだましてくる。
曇り空と泥色を基調とする灰色の風景。

 以前訪れた柳川の海辺もそうだしここもそうだが共通して
「かえりみられない場所」の雰囲気がする。「果て」の雰囲気でもある。
海でもなく、陸でもなく、沼地でもなく、川でもない、そのくせに妙に広いからとらえようのない広がりなのだ。
広がりとはこの場合「時間」でもある。
有明海特有の、あるいはこのような内海の持つ「保護された時間感覚」ともいうべき広がりは不可思議である。
青空の間から雨がぽつぽつと降ってくる。 ためしにちょっとだけ水に指を浸してなめてみたら完全な塩味だった。
数キロ先には有明海が広がっているのだ。  

さきほどのフネをおろしたところにたどりつくと石組みの土手は折からの
満ち潮で消えていたので直接護岸コンクリの階段にカヌーをつけた。
船をあげて数分後にはその階段も漣が洗っていて飛びハゼが数匹じっと していた。
かたわらに小さな蟹が一匹。 雨がやんだのでカヤックから外皮殻をはずし土手の芝生に干す。
黒いゴムでできた腹は小型の鯨の皮をはいできたような感じだ。
次は中流域たとえば菊池市の上あたりから海まで下ってみようかと思う。

                        了
今回カヌー運搬中風の抵抗を出来るだけ少なくし、スタンバイのための時間を
短縮するために前日に構造体だけ組み上げて、外皮殻のセットは現地で行うように工夫した。
いいと思ったが塩水はやはり注意しないと運転中構造体のパイプに残った
それがしずくになってでてきてボンネットに塩水のシミを残す可能性がある。            

 

 

最上流の「蘭亭芭蕉園林」跡 熊本カヤック紀行 その2

2004年9月初旬 台風あけの2度目の江津湖。
思えば自転車が空中に浮くほどの風であった。
早朝のつもりが7時過ぎに起床。 朝食を待っていたら8時過ぎの出発になってしまった。
8時過ぎというと通勤・通学ラッシュであるということにここ十年来 気付いていなかった。

 愛車スバルのルーフにカヤックなぞ積んでそんな中を行くとちょっと 申し訳ない。
大甲橋の舗道を自転車の中高生が群れて走っている。
顔色のいいの悪いの、いろいろだ。がんばって勉強しなよ。

 薄曇りだがあとで日が照りそうだ。 台風後の江津湖は閑散としていた。
下流域には今回行かず。上流のみにする。
ウィークデイのせいもあろうが 見渡したところ釣り人もランナーも見あたらない。
 
湖面に乗り出すとなまなましい植物のにおいが濃く漂っている。
水中の様子を観察しながら進めていく。  
藻の群生に陸上の吹きちぎられた木々が絡みとられている。
中にはなんの 実であろうかそれを枝一杯につけたものもある。
なんとなく「終戦後」と言った雰囲気である。

 江津湖の底は上流域以外は泥地らしく雨による増水で巻き上げられた泥が藻のうえに付着している。
90センチほどの鯉の背中が泥を被ってじっとしているのが藻の切れ目に見えたので
「これはこんなとこで死んでいるな。」 と背中をパドルでつついてみたら、生きていた。
大慌てで藻の下に逃げ込んでいく。魚というのは昼寝をするものらしい。日光がはやくも照っている。

 「お魚さんの昼寝」は上流でもみられた。
きれいな流れ込みで泳いでパンツが濡れたので芦の生えた茂みにカヤックを乗り入れあたりを見回して
ふりちんになっていると足下でブラックバスの40センチくらいのやつが隠れていた。
「無駄なことはせず、必要なことだけしてできるだけ楽に生きる」 のが自然界の決まりなのだろう。
あれだけの台風ならば水中においてもなんらかの大騒ぎが有ったに違いなく、魚たちもそのせいで疲れているのだ。
ことに大きい魚ほど疲れやすいような気がする。

濁りのない上流で泳いでみる。不思議と目を開けても全然痛くないのはつまりこれが当たり前なのだろう。
プールの水は目を開けると目玉が収縮するような 痛みがある。えらい違いではないか。
多少生活排水が混じっていても こっちのほうがまともな水ではないか。
水は冷たく、長時間の遊泳は無理。 そのままカヤックにはい上がり途中降りて曳航しつつ上流を目指す。

左に木陰に包まれた住宅が迫り見覚えのあるカフェがその向こうにある。
右側には近代文学館の建物が芭蕉の林の向こうに見え隠れしている。

中高年の散歩者が数名。
浅瀬を曳航しているとおじさんが話しかけてくる。
「よかなー、帽子がにおうとる。」などといわれる。
地元の住民らしい品のいい高年の女性が 「上は浅くなってるわよ。」とアドバイスをくれる。
鰻やがある橋のたもとまでいって引き返すことにする。
マンションの壁がそそり立っている、あからさまな生活排水はここまでは みかけなかった。
まあ直に廃水をすることはほぼないんだろうが水前寺水系というのか、
清流と生活の共存がここではまだ可能だという気がする。

川の両脇の住宅のオーナーも川との接点は考えているらしくコンクリートでかためた岸壁の下にはちょっとした桟橋や、
ブロックを積んで作った「専用指定釣り場」などが(恐らく勝手に)作ってある。
しかしまあそこで米を洗ったり、洗濯をしたりはしないのだろうと思いつつやや急流っぽい浅い流れをくだる。
樹木が張り出している所などここにカヤックを係留して本でも読みたいなとうところを見つける。

 子供がひとり川岸を追いかけてきたので競争するが直線に近い分こちらが 速い。
目線が水面に近いせいもあろうが「快速」である。
前回見残していた上江津湖の東バイパス沿いの岸辺に行ってみる。
市民病院のみえるあたりで急激な淵を見つける。
ここまでは透明度もかなりあるが岸からの流れ出しはあまりにも人工的で、
流れが滞るところでは赤潮みたいなあぶくが浮いていて入り込む気にならない。

パドルの角度を変えて漕ぐ方式でやったら楽だった。野田知祐氏の写真を参考にやってみた。
今日はエアを注入するのを忘れていたが特に差し障りはなかった。
むしろショックを吸収させたりするにはフレキシビリティーはあったほうがいいのではないだろうか?
私の愛艇「ボイジャー460」は計量アルミの骨組みとてこによるテンション、+空気を側面に入れて剛性を保つ船である。
非常によく工夫された道具なのだ。  

1100時に船を揚げる。肩にくい込むカヌー越しに江津湖はひっそりと 休憩をとっているかのようであった。
ボート屋のおじさんがやっとでてきた。 街の喧噪にもどるときがきた。  
                          了






「熊本カヤック紀行」その1
「江津湖」 2004年・9月5日(日)
天候:晴れ
0500時起床
江津湖畔江藤ボートハウスの先駐車場でカヤックの組み立て
所要時間;45分:自動販売機の灯りを頼りに。

夜が明け、進水。緊張が高まるなか初の船出である。
靄立ちこめる上江津より無事湖水に乗り出す。意外にスピードがあり、運動性も高い。
自転車に近い感覚。
まっすぐ下江津方向へ進める。流れは比較的あるが、帰りに 往生することはない程度だろう。

橋をくぐると幅がやや狭まり川面に濃い朝靄が立ちこめている。
透明度があり 生き物の気配が濃厚だ。密生した藻の切れたあたりは流量も多く速い流れだ。
魚影は非常にこゆい。
左に鮒の大群が走り、前方でなにやら大きな 尾鰭を見せて「がぼり」と消える魚。鯉か。
ながれが早いところでは電光のように横切る細身の魚。
藻がジャングルのようになっていてかっこうの孵化場、隠れ家になっているようだ。
藻の底で砂ほこりが立つ、何の生き物か。

 もやの中に青さぎが超然と立っている。
遠くに矢部御船の山々、空は完全に 明けている。
下江津がひろびろと見えてくる。湖畔を走る人。歩く人。ルアー釣りをするひとがち らほらいる。
1メートル近い鯉が佇んでいてびっくり。
4人乗りカヌーの練習をする学生が遠くに見える。
中之島がありそれを回ると下江津 をぐるりと回ったことになるが遡行を考えて今日は上江津に引き返す。

まだ0640時。朝靄がほぼ切れてくる。
帰りに下、上江津の境界、東バイパス橋下で80センチほどのブラックバスをみる。
実に獰猛そうで野性味がある。ただ他にも時々みたが魚体に傷があり 痛々しい。
恐らくルアー釣りによるものではないだろうか。
「ブラッキー」と名付けよう。
ぼくを横目でじろりとみて「ブラッキー」は橋桁の向こうに消えていった。
かなりの年数を経た魚で、この橋近辺には釣り人ははいれないためヤツは ここを住みかにしているのだろう。
たいした存在感だ。

このカヤックはかなり遡行も出来ることに気付く。
無事上江津へもどる。 そのまま上江津の上流へ向かう。魚影がこゆい。
数十年前に「湖月」でみた どんかっちょ、ハヤの一種、などはこの辺にはまだ沢山いる。
「ああ、お前らまだ生きてたか!」と感動。
魚の様子がはっきりとみえるので 釣ろうという気はおきてこない。
見える魚は釣っても面白くはないものだ。
かなり透明度があり上江津も江藤ボートハウスのところまではほぼ水源の 清らかさを保っている。
流れも適度に速く、水量も比較的多い。

  都市の真ん中に存在するこの流れは驚異的だ。 眺めて飽きない。
蘭亭芭蕉園琳跡あたりの流れ込みからなんとも芳しいにおいが水と共に流れてくる。
きんもくせいか?陶然とする。
祖父のことを思い出す。
さらにさかのぼり、近代文学館の建物がみえてくると川幅も狭くなる。
釣りをする人が針路上にあり、トラブルを避けることにして引き返す。
向こうもほっ としている。水前寺からくる流れだろうか。
清冽といっていい美しさ がある。
短いが変化に富んだ「水上散歩」の楽しみがここ江津にはある。
水源域・渓流域・湖水域・沼地・中流・湖水が絡み合っていて面白い。
魚類もそれに応じたバリエーションがある。

恐らく、うなぎ、鯰の類岸辺の中流域にはいるし、水源域には 沢ガニ、タニシもかなりいる。
渓流域でニジマスか何か渓流魚の姿もみかける。
深度もさまざま。水温も流れによって色々あり。浅い所を渡渉しているとはっきりと わかる。
中流域には何故か磯臭いところがありそこは岸辺に藪があったりで釣り師がはいれな いところである。
実はそこに魚が群れているようだ。

上江津の最上流には水泳に丁度いい透明度のところが数カ所。
次は水泳パンツに水中 めがねを持参しようか。
水底から何カ所も水が湧いている様子だ。
生活廃水は水源直下ではじまるため本当に遊泳が可能なのは蘭亭芭蕉園林跡 から100〜200メートルだろう。  

ここは地上からのアクセスは道が狭くなかなか難しい。
そのおかげでこの状態を保 てているのではないか?
上流近辺で小さな流れ込みを見つけて遡行しようかと試みていると麦藁帽を 被った紳士が岸辺の散歩道からじっとみている。
その澄み切った流れは散歩道をくぐっ て出てきている。
自 分も細かい操作はまだできないので右往左往して90センチほどの流れにはいろう とするが結局あきらめた。
水深は20センチほど。

 その紳士は口にメガフォンがわりにてをあてていろいろと聞いてくるので 「乗りますか?」といったら「えっ」という顔をして自分を自分で指さしている。か たわらの乗りこめそうなところで靴を脱いでもらい前席に乗せる。
浮き足立っている。楽しそうだ。一回りしてもとのところでおろす。 紳士は礼を言って去っていった。

1130時
船を揚げ陽射しを避けて朝カヤックを組み立てた自販機でメロンソーダを買う。
しょわっと飲み干すと湖面からひときわ強い風が吹き上げてきた。 貸しボートのおじさんが大きなあくびをした。

まだ夏は続く。 「ブラッキー」よまた会いに来るぞ。                          了 次回

用意したいもの    :水遊び用のスニーカー・長袖tシャツ・水中めがね    
            ロープとアンカー・本・弁当・おやつ
             冬季のスプレイカバーは必需品であろう。     
            肩に担いで歩くにはクッションが欲しい。

目撃した生物    
:鮒    :鯉    :ブラックバス    :ハヤ    :タナゴ   
:ドンカッチョ    :沢蟹    :鱒(だと思う)   :タニシ    
他判別不能な魚類数種    :青サギ    :白さぎ    :アヒル    :鴨    :燕                           以上